05話.[分かったけどね]

「いい加減にしなさい」


 三島君を積極的に先輩の元へ届けるということを繰り返し続けて1週間が経過した頃、放課後の教室にやって来た先輩によって直接怒られることになった。

 基本的に無表情な先輩ではあるものの、いまの表情には怒の感情が込められている。流石にやりすぎたかと反省するしかないぐらいには。

 冷たい目、冷たい声音、慣れているからなんてことはなかったが、それでも普段は平坦な態度でいてくれている先輩らしくなくて驚いた。


「次にやったら2度と相手しないわよ」

「それでもいいですよ」


 こちとら嫌われるためにやっているんだ、中途半端にではなく。

 それに僕に文句を言うというのも分からない、僕はきっかけを与えているだけでその先で邪魔しているというわけではないのだから。

 が、先輩は僕が悪いと言わんばかりにこちらの頬を叩いて睨みつけてくるだけだった。


「僕はやめませんよ」

「やめなさい」

「やめません、三島君に嫌われるためにやっているんですから」

「それで私からも嫌われたら楽でいいと?」

「はい」


 一石二鳥だ。

 津郷さんのことはもう諦めているが。


「それなら私は嫌いにならないわ、残念だったわね」

「これから先も繰り返します、あなたはいま叩いたじゃないですか、必ずいつかは嫌いになります、いえ、嫌いにさせます」


 どうすればいいのかなんて分からないから考える。

 暴言とかを吐くのは嫌だった、自分が確実に嫌な気分になって終わるだけだから。こんなことを言っておきながらあれだが、先輩は僕程度の言葉ぐらいで嫌いになったりはしなさそうという考えがあるからだ。

 接触を増やしたところで軽く流されるか通報されて終わるかのどちらかだから、先輩のところに行くことをやめるのが1番かもしれない。

 って、なんで僕は必死に嫌われるように努力しているんだろうか。


「あなたのしていることは無意味だわ」

「ほら、誰か悪役がいれば他の子は被害に遭わなくていいでしょ?」

「確かにそういう点ではそうかもしれないわね。でも、中にはいるわよ、なんでこの子がここまで言われなければならないのかと心配になってしまう子がね」

「先輩も? なわけないか、名字すら教えてくれないもんね」


 意固地になっていただけで冷静になればはっきりとしている。

 おかしいのは確かに僕だ、津郷さんがああ言いたくなる気持ちはよく分かった。で、問題なのはいままでそれに気づいてなかったということだ。


「そんなに知りたいの? 矛盾しているじゃない、嫌われたいのに」

「冗談を言ってみただけだよ」


 仮にこれに気づいたところで嫌われやすいことには変わらない。

 だからこそだったんだろうな、どんなに努力してもそれだけは変わらないから逆に嫌われてやろうと動いていただけなんだと思う。


「図書室に行かなくていいの? もう17時を過ぎちゃっているけど」

「今日はいいわ、可愛くない後輩の相手をしなければならないから」

「可愛くないって、まあそりゃそうだけどさ」


 こういう日に限ってあのふたりがいない。

 片方は部活動、片方はこの前叱られたから早めにお使いというわけで。


「大体さ、名字すら教えないっておかしくない? そこまで価値があると考えているのなら結構だけどさ」

「ふふ、女は秘密が多い方がいいのよ」

「いや、それでも名字すら教えない人とか初めて見たよ」


 悪い意味で絡んでくる子だって「僕、私、○○ってんだけど」って来るんだけどね。すごいね、いいかは分からないけど徹底できることは素直に素晴らしいと言えるかな。


「知りたい?」

「そう聞かれると知りたくないって言いたくなる」

「天の邪鬼ね」


 もういいや、先輩相手に嫌われようとすること自体が馬鹿だ。


「帰るの?」

「うん、なんにもないけどさ」


 嫌われようとしていた自分と、寂しさを感じていた自分。

 放課後に残っていた理由は主に後者だ、家も他人がいないと薄暗くて静かすぎて落ち着かない場所だし。


「私も帰るわ」

「あ、そうなんだ、それじゃあ気をつけてね」

「は? このタイミングで帰ると口にしたんだから一緒に帰るに決まっているじゃない」


 どうせならともっと気をつけなよって注意しておいた。

 異性の家に気軽に入るとかやめた方がいい。


「それよりあなた、昨日なに食べたの?」

「目玉焼きと油揚げのお味噌汁かな」

「その前は?」

「卵焼きと油揚げのお味噌汁かな」


 最悪お米と卵があれば生きることができる。

 その後は温かいお風呂に入って、温かい布団に入って寝る。

 これだけは断言できる、そのコンボこそが最高だということを。


「お馬鹿、そんなのじゃ駄目じゃない」

「そうかな? 美味しいよ?」

「美味しいのは分かるわ」


 先輩はそこで足を止めてしまった。


「そんな変な顔をしてどうしたの?」

「誰が変な顔よ、失礼な子ね」


 だって実際に先輩らしからぬ表情を浮かべているからしょうがない。

 なんだろうな、この妙なところで心配性なところ。

 そういう優しさを三島君に向けてあげてほしいと心から思う。


「あのとき私は1回だけって言ったわよね」

「うん」

「相手が自分のことを嫌うように努力するのをやめたら作ってあげる」

「え、じゃあいいよ」

「…………」


 あ、また先程の冷たい顔だ。

 睨まれていると怖くもないのにごくりと唾を飲んでしまう。

 迫力があるんだろうな、津郷さんのとは比べ物にならないぐらい。


「もういいわ、早く行きましょう」

「え、やめないからね?」


 なにも言わずに歩きだしてしまった。

 なんか家にいるのは気恥ずかしかったので、先輩が作ってくれている間はずっと外にいた。テトラが玄関前に来てくれていたのも影響している。


「なにしているのよ」

「あ、できた?」

「ええ、早く来なさい」


 ああ、やっぱり先輩が作ってくれるご飯って素晴らしい。

 ぐっ、この嫌われやすい能力すらなければ積極的にアピールするのに。

 三島君はやっぱり津郷さんと仲良くしているのが1番だと思うんだよ。


「ちゃんと噛んで食べなさい」

「……先輩は僕のお母さんかよ」

「そうよ、誰かに料理を振る舞ったら似たような存在に昇華するのよ」


 素晴らしいのに先輩の存在が邪魔している。

 ご飯を作ってくれたのはありがたいが食べているところを見られたくないというのはわがままだろうか。しかもこういうときに限って柔らかい表情のような感じがするから嫌なんだ。


「見られながら食べたくない」

「そう、それならお風呂にでも入ってくるわ」

「うん、そうしてて――って、え?」

「今日体育で汗をかいていたの、それに先程の調理でもね」

「いやいや、着替えとかないんだし無理でしょ、送るから帰りなよ」

「嫌よ、なんでそんな非効率的なことをしなければならないのよ」


 なるほど……、だから先程溜まったという音が鳴っていたんだ。

 元々そのつもりだったと、いや、だからって異性の家で入る?

 気にせず行ってしまったし、すぐにお湯をかけている音も聞こえてきてしまった。今度は別の意味で食べづらいね、わーい、最高だ。


「ふぅ、気持ちが良かったわ」

「そう、それは良かったわ」

「真似するのはやめなさい」


 なんだ、着替えも持ってきていたのか。

 運動部でもなんでもない、寧ろ運動とは無縁そうな先輩だから正直に言ってかなり意外だった。


「美味しかった?」

「食べられたよ」

「美味しかったって言いなさい」

「……美味しかったです」


 まだ帰る気はないようで読書を初めてしまいました。

 なんだかなあ、乗っ取られた感じがぷんぷんとしている。

 それならせめて、先輩から知る努力を始めてみよう。


「先輩の名字だけでも教えてください」


 読書に夢中で目すらこっちに向けない。

 こんなことで挫けては駄目だ、嫌われるのは楽でいいけど現実逃避をしてばかりもいられないから。

 だから直接的な手段に出ることにした、簡単に言えば本を掴んでいる片方の腕を引っ張るという作戦だ。


「私、読書中に邪魔をされるのが1番嫌なのよ」

「それでもです、教えてください」

「離しなさい」

「嫌です、教えてくれるまで離しません」


 と言いつつも離して、距離も作った。


「帰ってください、あなたがここにいる意味はもうない」


 矛盾しているが自分の行動、言動がおかしく感じたのだから仕方がないのだ。誰かがこの家にいるというのも気持ちが悪かった、背中がゾワゾワして仕方がなかった。


「はぁ、あなたはお礼も言えないのね」

「あ、それはありがとうございました、凄く美味しかったです」

「え……あ、そう」


 お、なんか珍しい表情だった。

 危ないからもちろん送って家に戻ってきた自分。


「調子に乗ったな……」


 こういうことがあるから嫌いでいてほしかったのだ。

 頼むから今件のことで嫌ってくれえ! と願い続けたのだった。




 憂鬱だ。

 こういうときに悪口を言ってくれるクラスメイトには感謝しかない。

 昨日の僕は明らかに調子に乗っていた、許されることではない。

 ま、まあ、三島君の気になる人なんだからこのままでいいんだけどさ。


「山口君、なんでそんな表情をしているの?」

「ん? あー、昨日ちょっと調子に乗りすぎちゃ……って」

「なかなかに大胆だったわよね、ああいうことをしてくるタイプではないと思ったのだけれど」

「すみませんでした、いやもう本当にすみませんでした」


 なんかあれだと必死に口説こうとしていたみたいだよなと。

 異性に気軽に触れたことがもう有りえない、女の子じゃないのに女の子みたいに自分に指摘している自分がいた。


「それよりあなた、人気なのね」

「どこがですか……、嫌味ですか?」

「だってみんなが見ているじゃない、ほら、あの子なんてこっちを見てひそひそと話をしているわよ?」


 それは違う、僕に三島君や津郷さん以外の話せる人がいたから見ているだけだ。それだけではない、単純に先輩がこんな時間に顔を出したからというのが大きいだろうな。


「どうして敬語に戻してしまったの?」

「そりゃあれですよ、あなたが年上だからです」

「あら、私も2年生よ?」

「え゛」


 あれ、確かにそうだ、津郷さん達と同じく赤色のリボン。

 え、じゃあこれまで先輩扱いをしていたのは無駄だったと?


「それに私、隣のクラスよ?」

「えぇ……」


 なるほど、だから僕のことについて詳しかったんだ。

 名字を知っていたのもそういうこと、なんだそういうことだったのか。


「なんてね、これは渚沙さんのを借りているだけよ」

「えぇ……」


 なんのためにそんなことするんだよ……。

 もうやだ、この人のマイペース性にはうんざりだ。

 大体人の家でお風呂に入ったりするな、すぐに帰らずに自宅みたいに読書をしようとしたりするな。

 頼むから嫌っておいてくれ、それだけが唯一の望みだから。


「どうしたんですか? 珍しいですね」

「ええ、三島君の言う通りね」

「山口に用があったんですか? それなら教室外の方がいいですよ、こいつ、クラスメイトから嫌われていますから」

「いえ、山口君にそこまでの用はないわ。そうね、三島君に付き合ってもらおうかしら」

「俺で良ければなんでも付き合いますよ」


 助かったと思って三島君を見てみたが、彼はこちらを見てはくれないまま先輩と教室から出ていった。これは作戦通り、あれだけ無茶苦茶したなら嫌って当然だからね。


「ぷふふ、孝輔に無視されてやんのー」

「いいんだよ、それが僕の望みなんだから」

「ばか、いつまでそれを続けるつもりなの?」

「できれば一生かな、なかなか自分は変えられないよ」


 だからできれば彼女にも嫌ってほしいんだけど。

 が、駄目だ、明らかに嫌ってくれる感じがしない。


「津郷さん、君に嫌ってほしい」

「むーり!」

「はは、だろうね」

「そうっ、むりなんだよ!」


 それなら少しずつ彼女について知っていく努力をしよう。


「僕は山口つばさ、君は?」

「え、津郷渚沙……だけど」

「うん、よろしくね、津郷さん」


 勝手に手を握らせてもらって笑みを浮かべる。

 大丈夫だ、いまの自分はまず間違いなくいい笑顔を浮かべているはず。


「君の誕生日っていつ?」

「11月21日」

「そっか、まだ遠いんだね」


 僕は早生まれでもう重ねた後だから同じく遠い。


「どんな食べ物が好き?」

「パフェとかかな」

「どんなテレビが好き?」

「動物が出てくる番組かな、アニマル特集とか」

「なるほど、それなら最後に」


 どういう異性だったらいいのか聞いてみた。

 が、急激な変化におかしい扱いをされて答えてはもらえず。


「ど、どうしたのいきなりっ」

「うーん、君が嫌ってくれそうにないから知る努力をしようと思ったんだよ、どうせ一緒にいるならその子のこと知っておきたいでしょ?」


 矛盾しているのは分かっているんだ。

 昨日痛いことをした、調子に乗ったっていまでも反省中だ。

 けど、そろそろ変えたいという考えもあって、僕は戻ってきた。

 嫌われることは簡単だが、好かれるのはかなり大変。

 でもだからこそいい、やり甲斐があるというものだろう。


「知ってどうするの?」

「いま言ったけど、その情報を活かして仲良くしたいね」

「君が? 興味がないって言っていたのに?」

「うん、なんで必死に嫌われようとしていたんだろうなって」


 もちろん、彼女がいまのままを望むのならやめる。

 こういうときでも決定権があるのは相手の方だから。


「僕と仲良くしてくれないかな?」

「ま、まさか君からそんなことを言われるなんて……」

「嫌ならいいんだ、でも、君が要求を受け入れてくれるなら」


 なんでもすると口にした。

 死ぬとか痛いのとかそういうこと以外ならと重ねて。


「なんでもって本当に?」

「死ねとかって要求には応えられないけどね」

「そんなこと言わないよ、それじゃあ嫌われようとするのをやめなさい」

「分かった、君が言うなら」


 素で嫌われてしまうのは勘弁してほしい。

 ただ、積極的にそうすることはもうしない、そういう契約だからだ。


「あとはそうだね、とりあえず席、戻そっか」

「三島君の隣じゃなくていいの?」

「一緒に先生のところに行こ、それで見てて? ちゃんと謝るから」

「そっか、分かった」


 職員室で堂々と彼女は謝った。

 先生はかなり困惑していたけど、こちらが凄く謝られてしまった。

 席も戻すということになって、このことについては無事解決っぽい。


「あとは美味しく作れるようになるまで付き合って」

「うん、誰かに作ってもらえるだけで嬉しいからね」

「とりあえずはこれぐらいかな、山口君は私になにか望みはある?」

「望みができたら言わせてもらうよ」

「うんっ、分かったっ」


 三島君のことが好きならちゃんと言ってほしかった。

 そうすれば僕なりに応援するから。

 まあ、三島君の様子を見たらそれは難しいって分かったけどね。

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