あの蔵にはご主人さまの人生が眠っている

日崎アユム/丹羽夏子

第1話 門

 養子縁組と里親制度は違うシステムだ。養子縁組は法的に親子関係が発生するのに対して、里親は委託された児童を養育するというだけで、法律に束縛されるものではない。


 だけで、というのは語弊があるかもしれない。児童を養育する、というのはとんでもないことだ。さくはそれがどんなに大変なことか知っている。なぜなら朔は過去に二度も里親に施設へ返されてしまったからだ。


 今までの里親が悪かったとは、朔は思わない。彼ら彼女らは根気強く朔の面倒を見てくれた。言うことを聞かないくらいで放り出したわけではない。朔を一生懸命愛そうとしていた。みんな基本的には善良で、だからこそ、朔があまりにも良い子だったことに耐えられなかったのかもしれない。


 朔は自分がひとを追い詰めてしまいがちなことをわかっていた。だがそれが悪いことであるとはまったく思っていなかった。というより、朔は自分が悪いと思ったことは一度もなかった。自分はいつも正しかったし、悪いことなど何ひとつしていない。ただ生きているだけの可哀想な親なしのこどもだ。


 悲しい悲しいすれ違いの引き起こす事故だ。しかしその事故が朔の身の周りではなぜか結構頻繁に起こる。


 それが、ある秋の日のことだ。

 そんな朔を引き取りたいという奇妙な人が現れた。


 和服を着た、細身の男性だった。顔立ちが整っていて、姿勢がよくて、少し不思議な雰囲気の人だ。男の人にこんなことを言うのは変かもしれないが、美人だな、と朔は思った。年は三十歳くらいかと思いきや、なんと四十五歳だという。ずいぶんと若く見える。


 今度こそ朔を矯正してくれると意気込んだ人がやって来るのかと思ったのに、その人は、朔とふたりきりになってまず、こんなことを言った。


 ――きみには私の財産を管理することのほかに何も望みません。気が合えば養子縁組をして法的にスムーズに私の財産を相続できるようにしようと思っていますが、気が合わなかったらまたこの施設に戻ってください。


 物腰穏やかでおっとりしていて優しそうに見えるが、わりとはっきり、あっさりとしたことを言う。


 ――施設のひとにはナイショですよ。私が里親として不適格だと思われたら、きみを引き取れませんので。


 朔は悩んだ。


 この人、変な人だ。


 でも魅力的な話だ。

 財産の管理、といっても、朔に経理や法律の知識を求めているわけではないようだ。具体的には、掃除と整理整頓らしい。

 それくらいならいいかな、と朔は思う。

 大学卒業まで金銭的に援助してくれる人が欲しかった。別に勉強したいことがあるわけではないけれど、中卒や高卒の就職が厳しいということは知っていた。

 その上、この人は結構なお金持ちだとみた。そんな人の財産をまるっと貰えるのなら、この先の人生はかなり楽だろうなあ。


 ――わかりました。行きます。


 そんな感じで、ふわっと今日になった。


 タクシーを降りると、そこは山の中だった。


「ここが私の家です」


 立派な門構えのお屋敷だった。和風建築で、いつか前の里親と行った武家屋敷を思い出した。土壁に囲まれていて、中から赤く色づいた楓の葉が見える。見るからにお金を持っていそうだ。そして掃除が大変そうだ。


 彼は、羽織っていたコートのポケットから、小さなグレーの何かを取り出した。プラスチック製の、朔の親指と同じくらいの大きさの何かだ。黒い革のアクセサリーがついている。

 その何かのボタンを押すと、門が自動で開いた。

 見た目と違って、ハイテクだった。


「この鍵はそのうちきみの分も作ってあげようと思っていますが、特注品なので少し待っていてくださいね。それまではLINEをくれれば私が中から開けます」

「LINE、ですか」

「あ、いけない。きみはスマホを持っていませんでしたね。今携帯ショップに寄ってくればよかったですね。仕方がありません、また明日にしましょう」


 ショートブーツを履いた彼の足が、門の向こう側に行く。


 朔は、門の屋根瓦を見上げて、なんだか想像と違うなあ、と思った。なぜかよくわからないけど、この門をくぐったらもう戻れない気がする。


 それでもいいか、と思った。

 まずはお金だ。


 門をくぐった。


 ここは異界への入り口かもしれないなあ、と朔は思った。珍しいことだ。朔は超常現象のたぐいはあまり信じていないたちだったが、不思議なことに、この門の内側はちょっと空気が違う気がした。


「ようこそ、望月もちづき家へ」


 そして、くつくつと笑う。


「望月朔。不思議な名前になりましたね。いったいどちらなのだか」

「長く生きていればそんなこともあります」

「そうですね。私ももう四十五年も生きてしまいました」


 小走りで彼の隣に行き、彼の顔を見上げた。

 彼は相変わらず微笑んでいた。


「朔はあなたのことを何と呼んだらいいですか」


 少し考えるそぶりを見せてから、彼はこう答えた。


いずみさま、ですかねぇ」


 この人、自分から自分にさまをつけろと言うのか。

 ちょっと面白くなってきた。


「泉さま。泉さま、泉さま」

「はい、何ですか、朔」

「呼ぶ練習です」

「そうですか、がんばってください」


 彼――泉がふふっと笑った。






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