第20話 お腹を出して寝てはいけない

 彩愛先輩が風邪を引き、今日は学校を休むことになった。


 先日の雨が原因かと思って話を聞いてみれば、ベッドから布団が滑り落ちた状態でお腹を丸出しにして寝ていたらしい。


 私は心配して損したと呆れ、落ち着きのない先輩に「ちゃんと安静にしていてくださいね」と釘を刺してから一人で学校へ向かう。


 隣で騒がれることも、些細なことで言い争いが始まることもない。


 朝から余計な体力を使わずに済むのはいいことだけど……いつもはそんなに遠く感じない学校までの道のりが、今日は果てしなく長い時間をかけて辿り着いたような気がした。


***


 放課後になってすぐに教室を飛び出し、校舎内は早歩き、昇降口を出てからは全力疾走で下校する。


 胸が揺れることによって付け根に生じる痛みを少しでも軽減するために、カバンを持っていない方の腕で胸を押さえつけながら必死に足を動かす。


 途中でコンビニに寄ってフルーツ入りの甘さ控えめなゼリーを買い、再びダッシュ。


 こんなに本気で走ったのはいつ以来だろうか。息苦しいし、心臓は爆発しそうだし、脇腹も痛くなってきた。


 合鍵を使って猿川家にお邪魔して、深呼吸をして少しだけ息を整えてから部屋に入る。



「――ちゃんと寝てましたか?」



「寝てたわよ。子供じゃないんだから、ベッドから抜け出してゲームしたりしないわ」



「そうですか。別に心配はしてませんけど、お見舞いってことでゼリーを買って来てあげましたよ。甘さ控えめですから、彩愛先輩も普通に食べれると思います」



「ありがと、後で食べるわ」



「具合はどんな感じですか?」



 落ち着いて話をするため、イスをベッドの横に動かして腰を下ろす。



「かなり元気になったわよ。ぐっすり眠ってたくさん汗をかいたおかげかしら」



「それはよかったです。汗は拭きました? あと着替えとか、まだなら手伝いますけど」



「まだよ。ちょうどいまからやろうって時にあんたが来たから」



 私は「なるほど」とうなずき、タオルや着替えの用意をするために席を立つ。


 何度も訪れているおかげで、この家のことなら自宅同然に把握している。


 手間取ることなく必要な物を集め、彩愛先輩のところへ帰還した。



「まずは汗を拭きますね。自分で起き上がれますか?」



「汗ぐらい自分で拭けるわよ」



 彩愛先輩はそう言いながら、ゆっくりと上体を起こす。



「ダメです。病人は黙って看病されてください。抵抗するようなら、力づくで黙らせます」



「じゃあ任せるけど……優しいのか鬼畜なのかどっちかにしなさいよね」



 本人の了承を得られたので、手荒な真似をせずに済む。


 私はイスから離れてベッドに移動し、彩愛先輩のそばに正座する。


 汗まみれのパジャマを脱がして、ブラも外す。


 体が冷えてしまわないよう、丁寧かつ迅速にタオルを体に這わせる。


 まだ熱が下がりきっていないらしく、透き通るような白い肌がほんのりと紅潮している。



「歌恋、あんた汗臭いわよ」



「っ!? あ、彩愛先輩だって汗臭いですよ! 全身から立ち込める酸っぱい香りで鼻が曲がりそうです!」



 実際にはそれほど臭くないし、別に嫌だとは感じないんだけど、売り言葉に買い言葉で大げさに反応してしまった。



「はぁ!? そっ、そこまで臭くないでしょ!? 仮に臭かったとしても少しは気を遣いなさいよね! まったく、デリカシーの欠片もないおっぱいモンスターだわ」



「おっぱ――まったく、病人じゃなかったら殴り飛ばしてましたよ」



 とはいえ、私が汗臭いのは事実だ。校舎内やコンビニを除けばひたすら走っていたので、いますぐシャワーを浴びたいぐらいには汗をかいている。



「……ごめん、嫌な言い方しちゃったわ。あたしが言いたかったのは、その、えっと……そんなに汗をかくぐらい、学校から急いで帰ってくれたのよね。本当は素直にお礼が言いたかったんだけど、なんか照れくさくて、つい……改まって言うと余計に恥ずかしいけど……あ、ありがとう」



 彩愛先輩の顔が見る見るうちに赤くなっていく。原因が風邪ではないのは明白なので、心配はしない。


 まだ本調子に戻っていないせいか、いつになく殊勝な態度だ。


 不覚にも、かわいいと思ってしまった。



「わ、私が風邪を引いた時は、この十倍ぐらい手厚く看病してくださいね」



「いいわよ、楽しみにしておきなさい。真心を込めておっぱいの汗を拭いてあげるわ」



「できれば胸以外もお願いします」



 上半身に続いて下半身の汗もきっちりと拭いて、脱いだパジャマを洗濯機に運び、最後に二言三言交わしてから自分の家に帰る。


 彩愛先輩は翌朝になるとすっかり快復し、おいしい朝ごはんを振る舞ってくれた。


 ごはん、か……。


 次に彩愛先輩が風邪を引いたら、おかゆを作ってあげようかな。


 おかゆなら、さすがに失敗しないよね……?

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