第6章 新婚さんと読書少女

第42話 そして、新しい朝が来る

■6月22日(月)


「……」


 気がついたら、意識が覚醒していて、天井を見ていた。


(また、あの頃の事を夢に見たな)


 夢は無意識の反映とよく言う。

 俺にとってあの頃の出来事がそれだけ重みを持っているのかもしれない。


 時計を見ると、まだ朝5:30。

 昨日は旅行の疲れもあって、早く寝たので、こんな時間に目が覚めたのかもしれない。

 隣を見ると、珍しく、すー、すー、と静かな寝息を立てている古織の姿。


(ま、なんだかんだ言って、こいつも疲れたよな)


 昨日は平気そうだったけど、自転車での移動も長かったし。


(よし)


 今朝はいくらか古織の代わりに家事をやろう。

 これまで、なんだかんだで任せっきりだったけど、いい機会だ。


 月曜は燃えるゴミの日だ。昨夜開けたお土産の包装紙なども含めて

 ゴミ袋に放り込んで行く。


 まだぼーっとした頭で着替えて、ゴミを出しに行く。

 この時間は暑くなく、ほどよい気温だ。

 それと、誰も居ないマンションを早朝歩いていると、何か独占出来た気持ちになる。


(あとは、洗濯物っと)


 洗濯機から俺の分の洗濯物を取り出して、形を整える。

 別のネットに入っている古織の分は、勝手にやると怒られそうなので置いておく。

 ベランダで洗濯物を干していると、次第に日が昇ってくる。

 普段なら拝めない景色に、旅行中とは違う新しい日常が始まるのだと実感する。


(掃除はまだ要らなさそうだし、朝ご飯でも作るか?)


 とはいえ、料理スキルなぞほとんど無い。

 調理実習で習った程度ならなんとかなるが……やってみるか。

 冷蔵庫を見ると、豆腐と長ネギがあるので、味噌汁でも作ってみよう。


 ザクザクと適当に豆腐と長ねぎをぶった切る。

 そして、鍋に水と具材を入れて適当に加熱。

 適当なところで、だし入り味噌を目分量で投入。

 いい加減極まりないけど、だし入り味噌だし、まあ大丈夫だろう。

 (しかし、古織はこれ、ほとんど使ってないよな)

 普段は出汁から自分でとっていると言っていた気がする。


(あと、ちょっと、おかずでも作れないかな)


 炊飯器には炊きたてのご飯があって、味噌汁があればいいといえばいい。

 とはいえ、せっかくだし……と思って、冷蔵庫を見ると鶏むね肉が残っていた。

 

(よし、焼いてしまえ)


 これまた乱暴に、鳥肉を一口サイズにぶった切って、油を引いたフライパンに投下。

 ひっくり返して、火が通ってきたところで、塩コショウをぱっぱっと振る。

 調理実習と、数えるほどの料理経験しかないが、一つわかっている真理がある。

 焼いたり炒めたりして、塩コショウを振れば、大体のものは食べられる。


 出来上がった、焼き鳥のような何かと味噌汁とご飯を配膳して、準備完了。

 古織に比べれば遥かに劣るが、食えるものにはなっている。


「古織ー、朝だぞー?」


 時間は6:30。普段の我が家の朝食より多少早めだ。


「ふわぁ。おはよ、みーくん」


 寝ぼけ眼で起き出して来る古織が妙に可愛い。

 早起きすれば、こんな光景が見られるなら悪くないな。


「おはよう、古織。朝ご飯出来てるぞ」

「ええ!?ど、どしたの、みーくん?」

「そこまでびっくりすることないだろ」

「で、でも、ご飯作るのは私のお仕事だし……」

「旅行で疲れてただろ?今日くらいは、な」

「そっか。うん。ありがと♪」


 鼻歌でも歌い出しそうなテンションで、洗面所に駆けて行く。


「で、どうだ?まあ、食えるとは思うんだけど」


 初めて夫として作った朝食だ。少し感想が気になる。


「うん、美味しいよ?少し、塩っ気が強いけど」


 焼き鳥のような何かを食べながら、講評をする古織先生。


「その辺は適当に塩コショウ振ったからな。味噌汁はどうだ?」

「こっちも美味しいよ。みーくん、料理なんてほとんどしないのに……」


 古織は何やら目を丸くしている。


「目分量でやっただけだけどな。古織に比べりゃ全然だけど」

「みーくん、意外にそういうの得意だよね。私はいっつも、ちゃんと量測ってるよ?」

「そりゃ意外だ」

「逆に、目分量でこれだけ出来るみーくんが凄いんだよ」

「そうなのかなあ」

「そうだよ」


 ザ男の料理というか、フィーリングでぶち込んだだけなんだけど。

 市川駅まで自転車を漕いで、総武線に乗車。

 で、いつもなら満員電車を我慢して乗るのだけど……


「♪」


 隣の古織は妙に機嫌が良さそうだった。

 いつもより距離を詰めてくるまである。


「やけに嬉しそうだな」

「みーくんのおかげなんだけど?」


 ぎゅうぎゅう詰めの中で、やっぱり笑顔の古織がそう言う。


「朝の家事の事か?」

「そう。ほんとに、ありがとね」

「いつもやってもらってるし、たまにはな」


 こんなに喜んでくれるなら、もっとやってもいいかなとすら思える。


「ふふ。でも、どういう風の吹き回しなの?」

「色々あるけど、京都旅行で心機一転ってとこ」

「旅行デビュー?」

「なんだよその言葉」

「今作ったの。旅行をきっかけに俺は生まれ変わるぞ!みたいなの」

「そこまで大それた事じゃないって」


 窮屈な満員電車が、妙に楽しく感じられた朝の電車だった。

 総武線市ヶ谷駅から歩いて約10分。

 俺たちの通う、私立南條高校なんじょうこうこうはそんな立地だ。

 Aクラスの教室に入って、いつものように着席すると、まず古織が寄ってくる。

 次いで、幸太郎こうたろう雪華せっかも。


「おはよう、二人共。新婚旅行はどうだった?」


 なんだか落ち着かない様子で聞いてくる雪華。

 そして、相変わらずの爽やかスマイルの幸太郎。

 こいつらのおかげで、新婚旅行が出来たんだよな。


「かなり楽しかった。ほんと、恩に着るよ、雪華」

「うん、ありがと。雪華ちゃん」


 二人揃って、雪華に頭を下げる。

 このために出してくれた金額を考えれば、大げさとも言えない。

 雪華が父親経由でもらったという設定なのが、少し歯がゆいけど。


「お、おおげさよ。それに、私だけじゃなくて、幸太郎にも……なんでも」


 設定を忘れていたのか、本音を言いそうになったのを見て、二人して笑う。


「ちょ、ちょっと。何か言いたいことでも?」

「ううん?雪華ちゃんはいい子だねって」

「そうそう」

「いい子って。何よ、その言い方」


 むくれる雪華がなんだか可愛らしい。

 気の遣い方が回りくどいところも含めて、いい奴だと思う。


(幸太郎も、ありがとうな。設定的に言えないけど)

(そうそう)

(設定って君たちね……。でも、どういたしまして)


 設定という言葉に幸太郎の奴は苦笑いだ。

 続いて、お土産を二人に渡して、新婚旅行の土産話をしていると、後ろから何やら人影が。


「えーと、少しいいでしょうか」

「?」


 見慣れない女子だ。

 ショートカットな茶髪に、少し気弱そうな二つの瞳が揺れている。

 左頬に泣きぼくろ。クラスメートの顔と名前くらい覚えてると思ったんだけど。

 って、なんだか見たことがあるような……。


「ひょっとして、たちばなさん?」


 古織がびっくりしたように叫ぶ。


「ああ、言われてみれば。お前、橘か!」


 このクラスには、一番後ろの席でいつも本を読んでいる少女が居る。

 縁無し眼鏡に、腰まで伸ばした黒髪と左頬にある泣きぼくろが特徴的な女の子。

 絡んだ事はほとんどない。

 知的な美人さんで、成績優秀、そして、物静か。

 深い付き合いのある相手はいなさそう。

 それが、橘立花たちばなりっかという人間の俺達からの認識だった。


 ただ、今の彼女は眼鏡もしていないし、髪もショート。

 一瞬、誰だかわからなかった。


「は、はい。橘、です。工藤さんたち、いえ、道久君と古織ちゃんが話をしているのを見て、楽しそうだなと思っていたんですけど。仲間に入れてもらえないでしょうか?」


 橘さんは、そんな、なんとも返答に困る申し出をして来たのだった。

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