第32話 ホテルのお風呂で……

 ホテルに着いた俺たちは、素早くチェックインを済ませて、部屋に直行。

 本来なら、

 「ああ、疲れたー!」「お布団気持ちいいー」

 とか言いながら、二人して、ベッドに大の字になって、寝転んでいただろう。


 しかし、そんなことにはならず。

 俺たちは、隣り合ってベッドの縁に腰掛けている。


「なんか、楽しかったな……」

「うん。とっても楽しかった」


 そんな事を言いながら、お互いをちらちらと見つめ合っている。

 どうしようか。

 なんて思ったら、隣の古織がそっと頭を俺の肩に預けてくる。

 俺も古織の身体を抱き寄せる。


「んっ」


 気がついたら、お互い唇を重ねていた。

 お互いの唇を啄むようにして、数十秒間。


「身体は覚えてるもんだな」


 慣れない気分でも、キスの仕方まで忘れるわけじゃないらしい。


「その言い方、エッチぃよ、みーくん」

「キスして来たのは、お前の方だろ」

「だって、したくなっちゃったんだもん」

「……」


 なんだ、この可愛い生き物は。

 このまま……と思うが、自制する。

 お風呂も夕ご飯もまだだぞ。いきなり盛ってどうする。


「ねえ、みーくん」

「なんだ?」

睦事むつごと、しよ?」


 古織がお誘いをする時のいつもの言葉。


「お風呂、先に入るんじゃなかったのか?」


 このタイミングで言われると、色々抑えられそうにない。

 だから、押し留めようとそんな言葉を発する。


「お風呂は後でいい」


 上目遣いでそんな事を言われると、もうなんでもいいやと思えてくる。


「俺、汗臭いぞ?」

「私も汗臭いよ」

「俺は別に気にしないぞ」

「じゃあ、私も気にしない」


 据え膳食わぬは何とやらと言うけど……。

 いや、順番が後か先かだけの問題か。


「じゃあ、するからな」


 もう一度キスを交わして、お互いの服を脱がせていく。


「なんか、恥ずかしいね」

「何度もしてることなのにな」


 なんて言いながら。


◇◇◇◇


「汗、いっぱいかいちゃったね」


 幸せいっぱい、という笑顔でこっちを見つめてくる。


「これからお風呂行くからいいだろ」

「みーくん、いつもよりエッチぃかった」

「お前が可愛い仕草するから」


 ベッドの中で、頭がゆだったような会話をしている俺たち。


「もう、このまま寝ちゃおう?」

「夕食があるだろ。だいたい、大浴場もあるってのに」


 反論しつつも、それもありかもしれないと思ってしまう。

  

「……ちょっとした冗談だよ」


 古織は、少し残念そうな顔をした後、くすっと笑ってみせる。


「半分くらい本気だったと思うけどな」

「少しくらいは本気だったよ?」


 こんなやり取りが心地よいと思ってしまうなんて、ほんとに毒されてる。


◇◇◇◇


 少し気怠い身体で二人で大浴場へ。

 のはずだったのだけど、貸し切り露天風呂の案内を見つけてしまった。


「ねえ、みーくん」


 張り紙を見て、じーっとこっちを見てくる古織。

 何かとても物欲しそうな顔だ。


「お前が何言いたいか、読めたぞ」

「じゃあ、言ってみて?」

「……それを言わせる気かよ」

「あ、やっぱりエッチなこと考えたんだ!」

「さっきしただろ」


 俺はそんな絶倫じゃない。


「でも、二人でゆっくりって良くない?」

「そ、それは……」


 さっき、しておいて、お風呂でまでという気はない。

 ただ、広いお風呂で二人でいちゃいちゃ。うぐ。


「いや、1時間2000円ってあるぞ。高くないか?」


 値段を言い訳にしてみる。しかし、


「新婚旅行中は、節約しないって聞いたけど?」


 悪戯っぽい笑みで逃げ道を塞がれる。


「じゃあ、普通に入るだけな。普通に」

「やった♪」


 そう言って嬉しそうにひっついてくる。

 というわけで、大浴場から行き先は変更。

 周りを見ると、何人かの宿泊客が微笑ましそうな視線を向けてくる。


「なんか、凄く仲良さそうだよね」

「うん。見ててなごむ~」


 そんな女子二人連れの声。

 これがバカップルって奴かと心の中の冷静な部分が告げる。


「なんかお前、キャラ変わってないか?」

「みーくんも人の事言えないと思う」

「だって、仕方ないだろ。お前が可愛いんだから」


 こんな甘え方されたら、心持ちも変わろうというもの。


「じゃあ、私も仕方ないよ。みーくんがカッコいいから」


 そして、さらに気持ちを煽られる。


 盛り上がった気持ちのまま、貸し切り露天風呂に来た俺たち。


「いい湯だな……」


 なんて言いつつ、目の前の彼女をじっと見る。

 ふにゃっと幸せそうな笑顔。

 湯船で赤く染まった肌がなんとも色っぽい。


「視線、感じるんだけど?」


 女の子はこういうのは鋭いらしい。


「なるべく見ないようにしてるよ」


 ただ、タオルも巻いていないとつい目に入ってしまうのだ。


「別に、見ても、いいんだけど」


 そんな事を嬉しそうな顔をして言う古織。


「ここでは、ゆっくり、ゆっくりな」


 暗にここでは、そういう事はナシと伝える。


「残念」


 本当に残念そうな顔をされるものだから、心がぐらつく。

 

「なあ、古織」


 少しだけ気持ちを冷まそうと、夜空を見上げながら、つぶやく。

 

「どうしたの?ぼーっとしてるけど」

「いや、思ったんだ。旅行から帰ったら、俺たちどうなってるんだろうなって」


 今は旅行だからいい。

 しかし、学校でもこんな雰囲気が続いたら?

 

「みーくんは、どうなってて欲しいの?」

「どっちなんだろうな。これまでの方が変だったのかもしれない」


 今までは、イチャイチャしててもどこか漫才をしている気分があった。

 気分が盛り上がっても、オチをつけてこれでおしまい、みたいな。

 しかし、そっちの方が変だったのかもしれない。


「私はどっちでもいいよ?」

「どっちでも?」


 気になって視線を下ろすと、少し真剣な顔で、でも笑顔だった。


「だって、このままでも、きっと、幸せだよ」

「クラスの奴ら、様子が変わったことに気づくぞ」

「それは……消えたくなるかも」

「だろ?だいたい、これだったら、バカップルというよりバカだ」


 普段の俺たちは、そうじゃなかった。

 見られても、大丈夫。じゃれあってるだけ。

 そんな気持ちがあった。


「そうだね。私たち、ちょっとバカになってるのかも」


 古織も否定しない。こいつも、どこか変なことはわかっているのだ。


「でも、旅行中くらいは、バカのままでいいか」

「以前は、1週間くらいで戻ったよね」


 あの時のことを思い出しているのだろうか。


「今度はどのくらいなんだろうな」


 2週間?あるいは、1ヶ月?


「一生だったら、どうする?」


 一生……それは、さすがに。


「他のことが手につかなくなるだろ」

「このまま、慣れちゃうかも」

「一生、バカップルか……悪くないな」


 こんな気持ちで居続けられるなら。


「でも、普通の夫婦はどうしてるのかな?」

「帰ったら、お義父さんとお義母さんに聞いてみるか」

「お父さんとお母さんは、こんな感じじゃなかったよ」


 どこか遠い目をして言う古織。

 俺も、まあ、同感だ。


「でも、陰ではこんな感じだったのかもしれないぞ」

「お父さんたちのそんな姿、見たくない……」

「言えてるな」


 ぷっと噴き出す。

 特に、お義父さんは優しいが厳しいところのある人だ。

 そんなところを見たらきっと卒倒する。


「ああ、なんか、のぼせて来た」

「じゃあ、上がる?」


 その言葉に、でも、もう少し……という気持ちが湧き上がる。


「いや、もう少し」


 気がついたら、自然と口をついて出た言葉。


「良かった♪」


 端的な言葉。でも、その意味はよくわかる。


 長年連れ添ってきた相方と、しばし、どうでもいい話に興じたのだった。


 しかし。


「のぼせた……」

「うん……」


 お風呂から上がった俺たちは、ばたんきゅー、となったのだった。

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