09_もちろん良い部分がある

 悪い部分を先に説明させて頂いたが、当然、この依存症を得て良かった部分がある。良かった部分「もある」のではなく、「がある」という言い回しにも着目してほしい。悪い部分は挙げたというだけで、実際は無いにも等しいのだから、悪い部分と比較するように「良い部分も」と言うのは誤っているという考えによるものだ。引かれている気配は感じるが、本題に入っていないので今回も根気よく付き合って頂きたい。

 私は依存症の影響で沢山書く為、自分の書き方を『数撃て当てろ』と読んでいる。『(下手な鉄砲も)数撃ちゃ当たる』の派生版で、本来の言葉が柔らかく圧が薄いと思ったので、「当てる」という意志を強めに表現しようと勝手に言い換えた。間違った言葉として、この頁を読み終える頃には忘れてもらった方が良いだろう。

 さて、話を書くにあたって、私にも好みの展開はあるし、苦手な展開もある為、書かない類の話はどうしても存在する。けれど、全ての作品が似たような展開を辿ることは無い、と、自己評価では思っている。傍から見れば「こいつの話はいつも同じだな」と思われている可能性は否めないが、自己評価の限界に挑戦することは一旦置いておくとして、色んな話、色んな展開、色んな空気をごちゃごちゃと多く排出することで、私の話を「一つくらいは読める」という読者が増えるのだ。全部が好きと言ってくれるのは稀なことだが、「これだけは好きだな」と思ってもらえることがある。そのような出会いは、一点集中をしていれば得られないものだと私は思う。

 また、私自身、自分の作ったものを読み返す時、「今日は陰鬱な話が読みたい気分」と思えばそれを選べるし、「脳内お花畑な馬鹿が見たい」と思えばそういうものを選べる。自作だけでもその日の気分で色々選べるのは、読みたいものが必ず見つかる充実した本棚の前に立つような気分だ。中身は少々拙いとしても、全てが自分の味付けなのだから大した問題ではない。ということで、数を書ける私は、品質はそこそこ程度だが、品揃えが豊富の為に時々立ち止まって頂ける。なお、撃ち方にも色々あり、拙作「心のある兵器」などは一つの長い話だが、キャラクター達に重点を置いている為、「一人くらいは好きになってくれる子が居たらいいな」と思いながら、多くのキャラクターを書いている。物語序盤で「つまらない」と思ってお帰りになられてしまうと出会って頂くことが出来ない為、物語に対する力不足はもどかしいけれど。

 何にせよ、色んな方法でこれからも大量に撃ち続けて、一人でも多く被弾してくれれば今以上に私の文字書き生活は彩りを得るだろう。ヒット率については考えないこととする。

 長くなったがこの時点でまだ一つ目なので、もう少し我慢して聞いてほしい。

 二つ目の良かった点は、やはり量を書くことで、何だかんだで文章は多少なりと向上したということだ。何度も述べているが私は不勉強で、他の作品を読むことが無い為にきちんと文章を勉強できていない。読むことによってアイデア、語彙、表現、そして知識などを得るという過程が一切無いのだ。しかし、それらについて全く成長しなかったかと言うと、それは違うと断言できる。成長速度については比較対象が無いので何とも言えないけれど、間違いなく私は、書き始めた頃よりずっと成長した。どのようにして得てきたかと言うと、やはり「書いて」得てきたのだ。書きたいと思う物語を文字にする中で、思ったように表現できずに苦悩することがある。もっと端的にこの感情を言い表す単語が無いものかと考えることがある。知識が無い為に詳細が書けず、知識を求めることがある。その度に私は調べ、苦悩しながら、自分にとって最も正解に近い表現を作り出している。この作業が、少しずつであれ、私に新しいことを学ばせる。書けば書くほど、苦悩が降り積もって、私の引き出しを増やしていくのだ。私には少しも減退しない「書きたい」という原動力がある。他の小説を読むことはほとんど出来ないけれど、それでも結果的にこの依存症は、私の文字を少なからず成長させてくれている。

 なお、これは読めないことの言い訳ではないが、「読む」だけでは語彙や表現は使えない。使う練習は必ず必要だ。そうでなければ言葉は借り物のように文章の中で浮いてしまうものだと私は思う。インプットばかりに気を取られて練習を怠れば、永遠に使うことの出来ないガラクタで引き出しが埋まってしまうこともあるだろう。もう少し真っ当な例を言うと、英会話は喋る練習が何より必要なのであって、英語の正しさを教科書で学ぶことは二の次だ。文学に対してこのような考え方はどうかとも思うけれど、知識ばかりを持っても会話は出来ない。語彙を沢山知ったところで、文章には使えない。そういう意味で言えば、「使う」練習を私は人一倍できているのだと思う。勿論、インプットがゼロであれば詮が無いので、もう少し読む努力も必要だとは思っている。

 次が紹介する中では最後の良かった点だが、挙げようと思えばもっと多く紹介できるのでその点は誤解のないように願いたい。あまり言うと最後の最後で頁を閉じられてしまうので此処までにしよう。最後の良かった点は至ってシンプルで、もう読者には十分伝わっていると思う。ひたすらに、私が楽しい。文字を書いている時間が楽しくて幸せだ。この多幸感が、何にも勝るメリットだと思う。仕事や私生活が辛くて仕方が無くても「乗り越えたら文字書きで遊べる」という気持ちで頑張ることが出来るし、人生に張りが生まれた。趣味を持たなかった日々は本当につまらなかった。周りの人間が羨ましい等と、卑屈なことを何度も考えた。楽しいと思えることが本当に無かったのだ。あの頃、本当に、何をして過ごしていたのかを少しも思い出すことが出来ない。

 それに改めて考えれば、熱が出ようとも一部の指が使えなくなろうとも出来る趣味って最高だ。天候にも左右されないし、某感染症も何のその。私の手を止めさせる理由は凡そ生まれることは無く、私は私の気が済むまでこの趣味に興じることが出来る。座っていられない場合は困るので、熱と腰痛だけは今後も気を付けながら付き合っていきたいと思うが、懸念はその程度。文字書きという趣味は、何度考えても、私にとって本当に幸せな出会いだったと思う。ちょっと依存症になってしまったことくらい、何だと言うのだろう。些末な問題だ。

 喜びは全く語り尽くせないが、長く語り過ぎると大好きな文字書きの時間が削れてしまうのでこの辺りにするとしよう。ところで問題点について語った際、良かった点の説明は「あまり熱が入り過ぎないように」心掛けると宣言したことを今更ながら思い出した。しかし心掛けずとも、私は正しく客観的に良かった点について、語ることが出来たと思っている。

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