08_あえて問題点を言うならば

 先に強く申し上げておくが、『文字書き依存症』には特にこれと言った弊害は無い。こんな序盤で頁を閉じようとせず、続きを聞いてほしい。私はきちんと休むことなく仕事に出勤し、正しく納税し、家族や自らの健康のことも気遣って、規則正しい生活を送っている。時々生活が乱れてしまうことがあったとしても、短い期間で整え直している。私のような症状を持っていない人の方がずっとやんちゃに生きているように感じることもしばしばある。だから私はこの症状について、全く問題の無いものだと言いたい。よってこれから挙げるのは、『敢えて』絞り出した問題点だ。

 まず私の依存症は、悲しいかな、書く対象が選べない。例えば私がとある同人誌に一万字程度の寄稿をすることになっているとするだろう。それに対して『文字書き依存症』が素直に向かってくれるなら、じっくり改稿や推敲をしても三日で終わる。しかしそうはいかない。「この話を先に終わらせておきたいんだけどな」という考えがあっても、「今書きたい」という衝動がそこへ向かわないことの方が多い。書こうと思えば書けるのだけど、衝動を借りない為、少々手間取る。自由に対象を選べるのであれば、この症状は作家向きとも思える。勿論、実力が伴うことが前提であって、症状や衝動でなれる職業ではないけれど。何にせよ、そのようなことは出来ない為、全く向いていない。足は速いが必ずしもゴールに向かわない競走馬のようなものだ。伝わるかどうかはともかくとして、つまるところこの症状はてんで建設的ではないものだ。

 次に、何度も言うが『書く』ことが好きで『読む』時間を取ることが出来ず、取ったとしても結局自分の話ばかりを読んでしまう。その為、正しくプロの小説を読むことが出来ないままで、私の不勉強が直らないことだ。これも、衝動を我慢さえすれば、多少は無理が利くのだけど、やはり書いていることが楽し過ぎて、中々重い腰が上がらない。

 最後に、友人と遊んでいるような時間であっても、『書いていない』ことが落ち着かなく感じることがある。大変失礼とは思うけれど、ふとした時に、目の前にキーボードが無い、ということを思い出すのだ。友人と過ごしている時間は本当に楽しい。なのに目の前にパソコンが無く、「文字が打てない」と気になってしまうことがある。実際は友人と話すことが優先なので、パソコンがあったところであまり手は進まないのだろう。分かっているのに、「でも十文字くらいは進むかもしれない」と思うと、欲しくなる。十文字や二十文字でも良いのだ。息継ぎをするように、少しだけ打ちたくなってしまう。いよいよ依存症のような症状を明かしてしまったが、行動には移していないので、セーフと言うことにして頂ければと思う。

 問題点については随分と短くなってしまった。あまり大きな問題が無いので、それも仕方が無いことかもしれない。次は、『文字書き依存症』を得て良かった点について説明しようと思う。熱が入り過ぎないように、心掛けたいところだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る