07_たとえ読者が居なくなっても
前提として、読者の存在は有難いものだ。ただ読んでくれている気配があるだけでも嬉しいし、感想などを伝えてもらえたらもっと嬉しい。読者や反応が多い作品などは、優先順位が上がることもある。それだけ、読者の存在や反応というのは、モチベーションとなる。その程度の正常な感性は私にだってある。
ただし私の『文字書き依存症』という症状についてだけ言うと、たとえ読者がゼロになったとしても、世界中の人に私の書いた話を否定されたとしても、おそらく減退してくれない。私は『書く』ことが幸せであり、『書く』ことの依存症なのだ。読む人が居なければ、または、読みたくないと言う人が多いのであれば、公開せずに自分の為だけに書けばいい。書かなくなることは無いだろう。
そもそも私は今も、書いているもの全ては公開していない。気が向いたものだけを出しており、全てを出すつもりは全く無い。誰に何と言われようと、その行動が変わることは無いだろう。私は『読者』の為に書いているのではない。私が楽しむ為に書いている。ついでに読者が楽しむなら更に嬉しいと言うだけだ。正直言って、公開するというのは、面倒くさいのだ。
公開をするからには完結させる覚悟と責任を持ちたい。そのような性格であるが故に、あるもの全部を何も考えずに出そうなどと、気軽には思えない。「めちゃくちゃ量を書いているようなことを言っておいて更新が止まってる作品があるじゃないか」と思いながらこのエッセイを読んでいた方も居るだろうが、理由はそういうことだ。他の、公開するつもりが無いものを書いている時間が沢山あるから、公開分だけを見ていれば、大して書いていないように見える。
その「公開するつもりが無いもの」の一例を確認しよう。当然、面白い例が良いと思うので、一番酷いものを例として挙げたい。本編として文字を書き、番外編を書き、現パロや異世界パロまで自分で広げてしまった創作があった。この時点で果てしなく気が狂っている。そして繰り返すがこれには私以外の読者が居ない。どれだけ親しい人にも読ませる日は来ない。これは私の為だけの創作なのだ。そんな話をどれだけの文量で作ってしまったのか、今回改めて集計した。九十六万三千文字を超えていた。にも関わらず完結していない。ゆっくりとは言え今も時々増えていることを考えると、来年ぐらいには百万文字を超えるのだろう。しつこいようだがこれは一作品だ。パロディや番外編を含むにしても、一つの話であり、そして、これは一例。同じように本編を書き、続編を書き、番外編を書くように発展させている創作はまだ他にもある。この例が一作としては最大であるものの、他のものも大概の文量を書いているし、そこまでしていなくても短編や長編がいくつも懐に転がっている。集計は大変なのでこれ以上はしたくない。ただ、読者が居なくなっても書くことは止められないという症状がある点については、多少の理解が得られたのではないかと思う。
正直、私は自分の作る物語が好きなのだ。だから思い付いたからには、忘れないように残しておきたい。残しておくからには、読んでいて楽しいように演出したい。言葉にも、展開にも拘って、一番面白い形で物語を残しておきたい。誰よりも自分自身が楽しむ為に。このような性質だからこそ、『文字書き依存症』に拍車が掛かってしまうのだろう。もしも私がもっと強く読者という存在に依存していれば、私の作品の拙さから考えても、早々にこの症状は終わりを迎えていたに違いないのだから。
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