未確認世界(3)

 目をつむった。

 あんなに高い所から落ちた自分はきっと死ぬんだと怖くて。

 真っ青な空に体ごと投げ出されて真っ逆さまに落ちる感覚、感じたことのない恐怖心。真っ暗い暗闇の中に自分が墜落する物体としての価値の喪失感、それと愛する存在に見放された絶望感、それらが私を切り刻んでいく。

 親友は私の手を握り返してはくれなかった。そして心まで突き放すように、私を空高くから突き落としたんだ。

 どこまでも落ちる果てのない地獄の底が、人間なんて一瞬で消滅するほど燃えさかる火の海であってほしい。どうせ私は死ぬんだから。

 なのに、なのにいくら待っても、私は痛さも熱さも感じることはなかった。痛さも熱さも感じずに消滅したならいいのに。

 それどころか私は何かに包まれて、誰かに抱っこされてる気分だった。

 私はおそおそるゆっくりと目を開ける。


「あら梓、起きたんだね」


 誰だろう。

 目を開けた私は本当に誰かに抱っこされてた。

 その人は私の名前を知ってる。私を梓と呼んでいる。

 ママじゃない女の人。

 そっか……死後の世界?走馬灯そうまとうってやつかな。でもそれって自分の人生を駆け抜けるように振り返るんじゃ……。

 でも、抱っこ?私を?

 どう考えても変だった。もう大人ほど成長した私が赤ん坊みたいに抱っこされてるなんて、おかしすぎると思った。

 やっぱり現実ではないみたい。

「まだ眠たかったかい?」

 私は首を横に振る。

 いま私のこの目に映るのはきっと、この女の人の顔と、いっぱいの青空。

 頭を少し起こすと、そこは草花なんかの緑がいっぱいだった。たぶん見たことないけど、公園かどこか。

 え?ウソでしょ?

 目を疑った。

 私は子どもだった。手足は短くて小さいし、立ち上がった視線は座ってる大人と変わらない。でも自分だってことは分かる。なぜなら、履いてる靴も着てる服も、自分の記憶にあるプリキュアのキャラクターのものだから。

 こんな走馬灯もあるんだ……そんな風に考えた。子どもの頃の記憶を振り返ってるんだ。

 とても天気がよくて、敷かれたレジャーシートもプリキュアで、ピクニックに昔よく使ってたことも思い出した。

「あっ、ボール……」

「はいはい、ボールね、梓の好きなボールね」

 私は声まで子どもだった。小さい頃に遊んでたジバニャンのゴムボール、もう忘れてたから懐かしかった。

 また遠くで誰かが私を呼んでる。

「梓ちゃーん、梓ちゃーん」

 ママの声だ。やっぱり自分の幼少時代なんだ。

「あーずーさー」

 パパの声もした。

 周りを見た雰囲気は公園っていうか、キャンプ場?

「梓ちゃん、起きたのね」

「梓、ほらカワイイイ竹の子だろう」

 パパもママも若い。

「梓ちゃん、4人でお散歩に行こうね。アスレチックもあるみたいだよ」

 私たちはキャンプに来てるんだ……どこのキャンプ場だろ、物心ものごころついてからキャンプになんて来た記憶ないな。なんでだろ……。

 広いキャンプ場には、ウチのほかにもポツポツと人が見える。山林に囲まれて流れる川のむこうにアスレチックの遊具がある。

 アーチになった石の橋、透き通ってる川は泳いでる魚も見えるくらい水がきれいなんだ。

 子どもの私が言った。

「あ、ちょうちょ」

「ほんとだ、珍しいルリシジミかな」

「青いね、綺麗な瑠璃色るりいろだね」

 ママの言葉にパパが答える。

 だけど私からはその綺麗な色が見えなかった。少し近付いて蝶を見たかった。

「あっ!ボール!」

 蝶を追った私は、ジバニャンのボールを足元に転がしてしまった。

 蝶も見たかったけど、宝物のボールだったから……でも。

 ママが叫んだように聞こえた。

「梓ちゃん!!」

 えっ?!

 さっきと同じ感覚。

 落ちる感覚。

 うそ、ヤバい。

 私の目には、転がるボールがスローモーションになって見えた。

 そのまま私はボール追って川に落ちた。

 冷たい、苦しい、体が動かない。

 水の中は深く深くどこまでも薄暗い、バケツの中に落ちた小さな虫のように私を動けないようにみ込んだ

「死ぬ?」

 水中に亀がいた。亀にそう聞かれた気がした。だけど私にはもう何も決める力はなかった。


「梓!!」


 私は誰かに抱っこされた……さっきと同じ抱っこ。水中から抱きかかえられ、そして川中の岩の上に載せられた。

 なのに……。


「おばあちゃん!!」


 私はその人のことを叫んでいた。

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