私と自分(3)

「私、見角っていうの」

 入学式の初日、私の前の席の美少女は振り返りそう言った。

「えっと、私は」

「梓でしょ?知ってる、貼り出されてたクラス名簿みて」

「な、なんで下の名前……」

 美少女の大きな瞳が、笑ったときは猫みたいに細くなることを、この時初めて知った。

「私の下の名前は棗、つまりふたりとも樹木の名前ってこと」

「あっ、そうなんだ……」

「ええっ?!知らないの?!ミズメの木を梓って呼ぶこと」

「し、知らないよそんな難しいこと」

「じゃあ、見に行こう」

「へ?」

 入学式当日の放課後に、いきなり彼女が私を案内すると言った場所は、山頂にお寺がある地元の遠足では定番のコースだった。どう考えても放課後にちょっと遊びに行く所じゃないと思った。ママは、初日からお友達ができて良かったじゃないって言ってた。

「見角さーん、自転車でどこまで登るのー?」

「私のこと棗って呼んでね!あそこの石段の手前まで行くよ!」

 百と八段ある石段を登り切った時、私はヘトヘトで今すぐにでも帰りたい気持ちがMAXになっていた。

「梓ちゃん、これこれ、見て」

 境内けいだいの脇にあった一本の木に下げられた札には“梓(ミズメ)”と書かれていた。もう疲れは忘れていた。

「すごい、ホントにあった」

「でしょ?んで、こっちこっち」

 きっと棗っていう札もあるんだ!!私は棗ちゃんが指差す方へダッシュした。

「あっ!!梓ちゃん!!」

「ぎゃっ!!」

 せっかちな私は、勢いあまって林の下のケモノ道に落ちてしまった。棗ちゃんは木につかまって心配そうに下をのぞく。

「危ないよー、大丈夫?」

「うん、なんとか」

「これが棗の木だよ」

 彼女は木につかまってたんじゃなくて、“棗”と書かれた札をこちらに見せていただけだった。

「へぇ、棗も梓も両方あるんだね」

「そうそう、そっち行くね、よっとっ」

「いいよ、自分で戻れるよ」

「違う違う、後ろ、見て見て」

 それは見たことのない景色だった。小学校の遠足で来た時には、こんな場所があることすら知らされてなくて、山の裏側に降りないと見られない、すわ平野の景色はとても綺麗で、心の中にまで涼しい風が吹き込んだ気持ちになった。

「私一瞬、地獄に落ちたかと思ったよ」

「と思ったら天国だったでしょ?」

 その時の棗ちゃんの笑顔は、ずっと忘れられずに目に焼き付いている。いつも彼女は私を幸せな場所へ連れて行ってくれる。


「そんな風に言ったっけ?私が?」

「そう、棗ちゃんそう言って私の頭、なででるんだもん。まるで私のお姉ちゃんみたいだったよ」

「もう、ふたりで何回来たかな」

「何回も、数えられないくらい来たよね」

「何度来ても飽きないな、私」

「私は帰りの下り坂を、ふたりで自転車がずに走り抜けるのがいつも好き」

「あのね、梓ちゃん」

「ん?」

「どうして倒れたの?やっぱりあれが原因?」

「うん。窓の外見てたら校庭がグラグラ揺れ出して、たちまち地面が割れて、空から突然UFOが現れて、そしたら思わず叫んじゃって……」

「それであんなに大騒ぎだったんだ……」

「ごめんね。私……、自分が私じゃないような感覚になる時があって……」

「どういう感覚?」

「何ていうか、空想しているのは自分じゃなくて、私が空想してる自分を体験してるっていうか……わかんないよね、ごめん」

「私心配だよ、どうしてなんだろうね……。信じて、梓ちゃんは自分だよ、見失っちゃだめ」

「うん、信じる」


 私は自分。ちゃんとしなきゃ、棗ちゃんに心配かけたくないし……。

 でも、2階のあの部屋じゃない場所で自分が空想にとらわれてしまう事なんて全然なかったのに……この頃はたまにある。

 小さい頃からなぜかあの部屋が好きだった、それだけ。あの部屋では、何となく自分が不思議の国のアリスになったような気分になれて、純粋に楽しいだけだった。けれど、もしもこの出来事とあの部屋に何か関係があるとしたら……?


 私は少し調べてみることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る