応援コメントと視点の乖離

 どこかで見た応援コメント返信(探しても見つからなかったのでおそらく私の関連する作品ではないどこか知らない誰かの作品に付いてた応援コメント返信)で、「○○になっていただけましたら幸いです」っていうのがあって、何か違和感を感じたことがあります。


 具体的に要素を砕いた結果「書いた側から読む側に対して何かを要求しているから」違和感があったという回答になったんですけど、応援コメント返信ってなかなか難しくて。


 一度、自分の書き物を人に見せているときに「この応援コメント返信は攻撃的に見える」と言われたことがあります。


 愛と子供をテーマにした書き物で、徹底して生命に対する愛の肯定的な部分を詰め込んで宗教的な部分を排除した構成にしたのですが、ついた応援コメントが「子供を作ることに壁や難しさを感じる」というもので。


 なんというか、こちらが設定して並べた言葉とは真逆というか、もしかしたら文字を追っているだけで物語としては読んでいないのではないかという感触でした(※私の書き物は斜め読み推奨なので、物語理解しないとかそういうのは全然構わないどころか大歓迎です。文字だけでもうれしさMAXです)。


 ただ、その応援コメントを読むことで他の読了後のかたに「生命と愛に対して批判的で皮肉的な書き物なのか」というイメージを持たれてしまうと後の訂正が面倒なので、とりあえず作者としての設定テーマと物語の概要だけは返信しようと思って返信しました。


「愛されることに能動的になるのがテーマなので、受動的で難しいイメージはもしかするとコメント投稿者さんの個人的なイメージかもしれないです」みたいなことを書いて送信しました。


 このコメントに至るまで小一時間書いては消しを繰り返した(コメント投稿者さんのコメントに対して否定的であってはならず、同時に作者の「○○になっていただけたら幸せです」系押し付けになるのは避けたい)結果、巡り巡って最初のオブラートに包まないコメント返信が最も柔らかいイメージだという結論になりまして。


 で、それを送信したんですが、人に見せているときに「この応援コメントは攻撃的じゃないのか」と言われたという流れになります。


「一応読んでもらっている側なのだから、攻撃的なコメント返信は避けるべき」とは言われたのですが、私のコメントに対する攻撃的なイメージの乖離があったのでまとめてみた次第です。


 私が書き物を通して目指すのは物語やストーリーを伝えることではなく、鬱屈した何かを吐き出すことでもありません。共振が目的です。

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