第53話 魔法使いの不出来な事情

『魔術を使えない?』

魔識覚しきかくにか魔力能まりょくのうにか、先天的な疾患だろうと言われたが、結論だけ言うと俺は術式を扱えないんだ。ああ、これまで散々魔術を使ってきただろと言いたいんだろうが、答えを聞けば実に下らないとおまえだって思うだろうさ。なにせあれはすべて複製魔術だからな。多少の違いを挙げるとすれば、殆どが励起反応の写しだってことくらいか。おかげで中身は空っぽ、作用方向ベクトルを変えることはおろか出力すら弄れない』

 勿論、ヤークトーナに関わる情報というのは機密であり、それをクレアトゥールに伝えることは、たとえ防諜を徹底していると言っても許されるものではない。そのためアズルトの語る事情はこれもまた当然のことながら、当たり障りのない事実を交えた嘘の形で語られることになる。


『調節できてたように見えたぞ』

『覚えたんだよ。いくつも。入学する前にな』

 ぽすぽすと布団を叩いていた尻尾の先がぴたりと止まった。どうやら驚いているらしい。

 まあそれも已む無しと言ったところだろうと、アズルトは短絡的に捉えていた。

 クレアトゥールはアズルトが入学前から宝珠を得ていることなど知らないのだ。アズルトの宝珠は確かに未完成品で要求される役割をまるでこなせていないが、記録媒体として自らの操る魔力の運動を履歴として残すくらいはできる。


 なおアズルトは自覚していないが、この考えは大きな誤りを含んでいる。仮に宝珠を有していようと、術式を書き換えられず、特性の違う同種の複製魔術を用途に応じて使い分けるというのは、それは魔術の行使においては調節ではなく選択という別の工程になり、費用対効果が極めて悪い下策なのだ。

 実戦ではものの役に立たない机上の空論。そんなものを頼みにせざるを得ないのがアズルトの実情であり、実用に耐え得るまでに馴染んでいるところにクレアトゥールの驚愕の真相があったりするのだが、それはそれ。アズルトにとっては与り知らぬことである。


『俺の宝珠適性はおそらく学年で最低値だ』

『専用の宝珠持ってるのにか?』

『そもそも俺の使っている宝珠が問題なんだ。これの元の持ち主は魔法使い型の騎士、つまりまともに魔術を使えない人間だった。宝珠の適性というのは精神性だとかその人物が本来有する魔術傾向の類似性が影響すると言われている。俺と適合する宝珠はどれも魔法使い型の騎士の残したものだった。それでもそいつらとは違うという可能性には期待していたんだ。そんな希望は、入学前の接続試験で打ち砕かれたけどな。自分には魔術が使えない、これはもうあの時から分かっていたことだ』


『でも、んと。それって騎士としてはダメなんだろ』

 わずかに言葉を探して、けれど話の流れから取り繕うだけ無駄と気づいたのか、クレアトゥールは遠慮なく騎士失格という現実を突きつける。と言っても口にした当人はあくまでも客観的な事実確認といった趣で、真剣な顔で思索を巡らせている。

 まあ彼女の場合、真剣な顔というのがぼんやりとしたものであるものだから、余人がこのやり取りを耳にしたならば、逆に馬鹿にしていると受け取るところだろう。


『実験なのさ。俺はメナと同じで魔法使いとしては飛びぬけて優秀らしいからな。候補となった宝珠のどの持ち主と比べても、だ。そしてだからこそ選ばれた。魔法使い型の出来損ないの騎士が、どこまでモノになるのか試すための素材としてな』

 見上げる茫漠とした金色が二つまばたくと、薄桃の唇を割って思いもかけぬ言葉が飛び出す。

『どれくらい本当なんだ』

 クレアトゥールにしては珍しく、そう実に珍しいことに、アズルトの韜晦とうかいに彼女は異を唱えたのだ。それこそ初めてのことではないだろうか、前置きもなくここまで直接的に踏み入ってきたのは。


『それを聞くか』

 声が掠れた。

 もありなん。これは今日までの関係性に亀裂を生じさせ得る重大事じゅうだいじだ。

 相互不干渉、互いの事情には立ち入らない。その理解があればこそアズルトはクレアトゥールを傍に置いているのだし、彼女もまた傍に居ることを良しとしているのだ。

 昨今の付き合いでその境界を見誤るようになったのだとすれば、アズルトは彼女の扱いを考え直さねばならぬと思う。けれど同時にこれまでの付き合いから、それは長くはなくともそれなりに深かったわけで、クレアトゥールが抱く余人への拒絶というものを正しく理解していた。

 なればこそ彼女の過ぎた言葉にも意味があるのだと、かすかに目を細め、真意をただすことをアズルトは選んだ。


『あたしが知ってるのだと、そういう騎士は魔術理論も全然だった。本当のことなんてどうでもいいけど、どれくらい信じない方がいいかわからないとどれくらい普通じゃないことしたらいいかわかんない』

 言って視線を逸らし、『意見なんて要らないっていうなら答えなくていい』と、ぼそぼそと呟く。

 アズルトは、これもまた珍しく深々とため息を吐いた。気が抜けたと言うべきか、それが打算に彩られたものであれ、まあ安堵したわけである。


『半分くらいだ。いや、いっそのこと例え話とでも思ってくれ』

『なんか、らしくないぞ。素直すぎてちょっと気味悪い』

とぼけていられるほど余裕がないんだよ。身の程は弁えているからな、元々は劣等生らしく分相応に底辺を這いずり回って、在学中に何かしら取っ掛かりを得られれば良いくらいの考えだったんだ』

『あたしのせい……』

『否定はしない。初日から大立ち回りを演じて埋もれる機を逸したのは事実だし、武威で連中を黙らせるのに拘束術も削った。加えてどこぞの公女サマからの嫌がらせの日々。退学を避けるだけの備えはしてきたが、おまえの魔道の資質を見るに、合わせて動けば遠からず蓄えが底をつく』

『ぅ、ごめ――』

『それでも、だ』

 語気を強め、アズルトはクレアトゥールの謝罪の言葉を遮った。


『それでも手を貸すと決めたのは俺なんだよ。初めから言っているはずだぞ、打算だって。現におまえはこうして俺の頼みを聞いている』

 それでも納得がいかないのか、クレアトゥールはなにかを探すように視線をあちらこちらに彷徨わせ『んー』と唸っている。

『……結果論、だな?』

『そうだよ。まあ色々と考えてはいたけどな。おまえがこちら側ならそのまま引き込めばいいし、凡才ならいずれは埋もれて俺の手を必要としなくなる。そうなれば俺も騎士の才がなかったと陰に引っ込めばいいだけの話だ。なんて、もっともらしく言ってみたが、おまえが魔術の虜なのはかなり早くから気づいていたからな。勉強、見てやったろ』


 まさか大成すると知っていたなどとは口が裂けても言えまい。主命を果たす上での障害として、己の抱える欠陥を克服する協力者として、彼女を傍に置く意義を知っていたのだからこれは結果論でもなんでもない、ただのいんちきペテンだ。

『だからそうだな、おまえを手放すのに比べたらどれもこれも安いものだった』

 言い切るアズルトに、クレアトゥールはかずかに目を見開く。落ち着きのない尻尾に動揺が見て取れた。

 嘘八百。どこまでいってもアズルトという人間は虚構と欺瞞でできている。


『えと、間に合わなかったらどうするんだ』

『拘束術を解いて騎士としての在り方の重心をずらす。それでいくらか時間が稼げるはずだ。俺は個々の失敗にはそれほどこだわらない主義だからな、最低限、おまえの庇護者であることを周囲に納得させられればそれでいい』

 唸ったまま、俯き気味に金色が睨んでくる。

『まだ否定し足りないのか?』

『わかんない。せっかく役に立てると思ったのに、なんかそうじゃない気がしてもやもやする』

『阿呆か。おまえの助けがあるから後はどうでもいいって話をしているんだろ。察しろ。恥ずかしいことを言わせるな』

 呆けたような眼差しに見つめられ、アズルトはなんとも居心地の悪さを覚える。

 沈黙が痛い。


『……ん、よく聞こえなかった。もう一回言って?』

 険しい顔を作っているが、どこか愉し気に、その目元が心なしか緩んでいる。

 アズルトは初めて、クレアトゥールの額に容赦のない手刀を見舞った。引っ叩かれてなお、彼女がそうと理解できないそれは、学園で初めて見せたアズルトの本気を交えた動きだった、

『抗議は受け付けないぞ』

 額を押さえてこてんと倒れたクレアトゥールに冷たく言い放つ。


 しばらくそうして呆けていたクレアトゥールだったが、やがてもぞもぞと起き上がり先ほどまでと変わらぬ距離にぺたりと座りなおした。

 どこか熱っぽい視線がアズルトの手に注がれている。

『叩いた?』

『ああ』

『あのさ』

『こっちがなんとかなったらな』

『ん』

 無論、計算ずくの行為である。


『具体的にどうするのかだが……いや、これは後回しだな。それよりも、だ。おまえ無理してたろ』

 事情説明を終え協力を確固たるものとした以上、ここから先、アズルトの問題は慌てたところで今更である。年単位の計画になるのだから、足場を固めるのを優先するのは至極当然、道理であると言えよう。

 つまるところ、クレアトゥールの側にある問題の解決だ。

 ここで言う問題とは、彼女が先のような模擬戦形式での気晴らしを求めたその理由だ。魔力と体力を限界まで絞り切る、それは拘束術による抑圧が彼女の心身に多大な負荷を与えていたことへの反動であるとアズルトは読んでいた。


『そんなにしてない。いけるって思ってた』

『で?』

 どうするのかと問い質す声はいっそ突き放すようで、鋭く冷ややかであった。

 無理は禁物と、それこそ口喧しく言い聞かせてきたアズルトにしてみれば自然な反応だ。互いの安寧のため、目的達成のために果たすべき前提条件のようなもの。

 であれば、クレアトゥールとて重々承知のことであるはずだった。


『止めたくない。どうするのがいい?』

『運用案その二、身体強化を行う時にだけ拘束術を使う。常日頃から縛るのは止めておけと言ったろ。全部を俺と同じようにやろうとするな、自分に合うやり方を考えろ』

『ん、おまえがおかしいのはよくわかった』

『いや、別におかしくはないだろ。彼我の実力差を埋めるため自らに制限をかけることで相対的な力か関係を逆転させ、訓練効率を高める。それを日常生活にまで広げることで、肉体のより効率的な運用を己に強要する。鍛錬だと思えばさしたる苦でもない』

『変態だな?』

『言ってろ』


『……もうすこし無理してみたい』

 アズルトはこの応えにわずかに眉を顰めた。

 所詮は凡才の足掻きでしかないことを、口にした当人がなによりもよく理解しているからだ。

 一の能力しか持たない人間の最適と、十の能力を持つ人間の最適が同じとは限らない。肉体と魔力体への理解が有益であることに否やはない。けれど一にとって五の効果があったとして、十に一の効果しか望めなければそれは徒労に近い。


『自分を納得させるためのただの戯言だぞ』

『ん、でもすごくそれっぽい。あたしそんな風に考えたことなかったから、納得させてみたいって思う』

『自分を虐めてみたいとかいい趣味してる』

『誰かさんと同じだからな』

 何が何やら。アズルトは小さく歎息する。

 相も変わらず上機嫌に揺れる尻尾が憎らしい。


『次の気晴らしの運動も同じ形式にしようと考えている。こっちの方がおまえの嘘を見抜きやすそうだからな』

『嘘つかないし』

『へぇ』

『……おまえよりは嘘つかないし』

『まあいいさ。それで、俺の話に戻るんだが、実際にどんな実験を考えているかと言うと――』


 かくて夜は更けてゆく。

 この日、アズルトは温めていた計画をクレアトゥールに語った。勿論それは差支えのない範囲でとの注釈を必要とするものであったが、歴史の闇に葬り去られた禁忌の数々を知るアズルトから見た安全が、教会の示す安定に収まるなどというのはあまりにもお目出度い考えだろう。

 魔術を学び始めてまだ日の浅いクレアトゥールにとり、これらの多くは未だ理解の及ぶところではなかった。それでも、言外に潜む驚異と狂気を嗅ぎ取るだけの怜悧さを彼女が持ち合わせていたことは、この場合、二人にとって幸運だったに違いない。魔道への渇欲に突き動かされたクレアトゥールの疑問に答える形でアズルトは己が身の特異性を秘かに共有し、そして事実、禁を犯す共謀者となったのであった。

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