第51話 共謀者への頼み事

 制服に着替え第四練技場を後にしたアズルトとクレアトゥールは真っ直ぐ部屋へとは戻らず、その足を四階の寮会へと向けた。監督役となっているカンカ・ディアに練技場使用終了の報告と、鍵の返却を行う必要があったからだ。

 実のところ、これは本来の訓練施設を使用する際の流れとは違う。


 監督役とは魔力を用いる訓練に立ち会い、その扱いに問題がないか文字通り監督するのが役目だ。

 魔術は容易くヒトを殺め得る危険な技術である。殊に騎士は宝珠によってそれらを魔法に近い感覚で、より直感的に扱うことができる。だがそれは同時に、未熟さに由来する暴発が起こりやすいことをも意味していた。

 そのため騎士養成学校イファリスでは許可なき魔力の運用が厳しく戒められており、運用に当たっては教官、寮会役員、位格騎士といった監督権を有する者の立ち合いが不可欠として規則に明記されている。


 施設設備の開放と防諜魔術の展開だけを済ませ退室してるカンカ・ディアの行いは、弁明の余地すらない違反行為だ。当然、その状況下で魔力を使用しているアズルトたちも規則違反者である。

 だが世の中、不正は立証する者があってこそ不正として成立する。そもそもの訴える者がなければ違反もなにもないというわけである。それに仮に訴えられたとして、アズルトたちを規則違反で罰することは難しい。


 カンカ・ディアはアズルトを役員補として採用するのに必要な手続きを、仮免許に近い段階までではあるが、完了させている。寮会長・副寮会長らの署名の入った正規の書類だ。四寮会に提出せず止められているため、寮外に対しては無役として扱われる――役職偽造用に整えられた書類であり現段階では内部に対しても実効性はない――が、北寮の自治圏内であれば職に則した権限が与えられる。


 役員補というのは、魔力制御と魔術運用で寮会役員としての資質を認められた予科生に与えられる役職だ。本来、宝珠を得て間もない新入生が選ばれることなどないのだが、そこは不正のための保険、露見さえしなければ卒業までアズルトがその役に就くことは無いだろう。

 さて、この役員補、監督役となることはできないのだが、専用棟の練技場以下の小規模訓練施設、かつ自身を含む三人以下の訓練であれば監督役を立てずとも使用できる権限が備わっている。


 騎士であろうと位格を持たなければ敷地内――例外区域あり――での魔力の無断使用に厳罰が課せられる騎士養成学校イファリスにあっては、破格の待遇であると言えるだろうが、もちろんそんな美味しいだけの話があろうはずもない。役員補は寮会の要請に従い雑務をこなす義務を課せられ、また本科生に上がって後は、寮会役員へと任じられ組織の歯車として働くことが求められる。

 そうした役職であるから推薦があっても断る生徒は相当数いる。確かに寮会役員の経歴は卒業後の進路選びで有益に働くが、騎士会の役員と比べると労に見合わないというのが実情だ。とりわけ寮の評価が低い北寮にあっては、大多数が自薦である。


 副寮会長であるカンカ・ディアが規則違反に手を染めているのは、彼が座上の直属子山羊であり、アズルトが同じく座上の命によって派遣されているからに他ならない。加えて言えば、彼に尻尾を掴ませないだけの実力があるから、となろうか。

 バルデンリンドの資料を見る限り、隠密・諜報の分野で彼に敵うは学内には存在しない。赤位とはなんとも過小な評価だ。だがそれでこそ子山羊、ニザ東域守座が誇る尖兵に相応しいのだろう。アズルトのような不出来な贋物とは比べるべくもない。


 さてカンカ・ディアが不正に手を貸す理由は述べた通りだが、彼はあの場でなにが為されているのかまでは把握していない。彼の実力からすれば覗き見ようと思えばそれは容易いことだ。けれど座上の命により動いているアズルトを、子山羊である彼が命も無く探ることは有り得ない。そしてアズルトが事実を正確に報告している限り、その日が訪れることもまた無いだろう。リド・ヤークトーナ=クーシラという存在を、彼は知る立場にはないのだから。


 クレアトゥールの暴力的衝動を鎮めるためには、魔力の発散と破壊行為が不可欠だった。中でも特に効果的なのが流血だ。――視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、すべてを介し、己の行為の結果を受容し、満たすことができる。

 自重を止めたクレアトゥールにヒトを壊すことへの躊躇いはない。無茶をしても死なないと確信しているからだろう、常人を造作もなく殺す技を平然とぶつけてくるようになった。それはアズルトの望むところでもあったが、アズルト・ベイ・ウォルトランの役では手に余るのも確かだった。


 座上にはクレアトゥールの扱いについてリドとして対応する旨を報告してある。秘匿すべき情報を開示したのも、それが禁じられずに済んだからこそ。けれどこれは同時に余人の目をこれまで以上に警戒する必要ができたことを意味する。クレアトゥールの暴力性についても同じことが言えるだろう。

 彼女の気晴らしにカンカ・ディアの協力は欠かせない。けれども彼には彼の役目というものがあり、座上の忠実な臣たらんとするアズルトにはどうしても手を煩わせることに躊躇いがあった。



 報告と返却を済ませたアズルトは、カンカ・ディアに短く感謝を述べ彼の執務室――上級役員は寮会に私室を持っている――を辞した。来た時と同様に日没前でまだ閑散としている夜市を抜け、誰もいない相談窓口の脇を抜ける。

 横目でそこにあるカンカ・ディアの連絡札を見遣れば、行きは『不在』だったものが『緊急限定』に替わっていた。魔導器でもないただの掛札を彼がどのようにして入れ替えているのかは未だに謎だ。


 階段を二階まで下り、談話室などがある多目的区画スペースを抜ける。幾人かの上級生とすれ違ったが、触らぬ神に祟りなしとでも言うように、誰も彼もが廊下の端まで距離を取りアズルト――と言うよりはクレアトゥールに道を譲る。異様な光景だがこれが昨今の北寮の日常だ。


 自室へと戻ってはきたものの、夕食までの時間が腰を据えて話をするほどにはないということで各々勉強に充てることにした。


 そして夕食を終えた十三刻。

 乱雑に脱ぎ散らかされた服と靴を整えたアズルトは、百味箪笥から小さな瓢箪の形をした鬼灯のような魔導器を二つ取り出す。骨のような質感で、透かし彫りのようになった内側に半透明の球体が浮いている。

 緑茶の注がれたマグをもう片方の手に寝台へと戻ると、クレアトゥールが自身の寝床から音もなくやってきてぺたりと座った。その手に魔導器の一つを落とすと、アズルトは向かい合うようにして腰を下ろす。


『話って』

 指の欠けた左手で魔導器の具合を確かめるようにしながらクレアトゥールが問う。中の球体からは橙のうすぼんやりとした魔力光が漏れており、それはアズルトの手にあるもう一つの魔導器と共鳴するように揺らいでいる。

『俺のコトとおまえのコト』

 同じようにしてアズルトも他愛ない言葉で魔導器の動作を確かめた。


 これらは対となる物を持つ相手にのみ声が届くようになる魔導器だ。肝となるのは外界への音を遮断する類の魔術と違って、声そのものが生じなくなるという点だろう。声を魔力の形で暗号化し、魔力体間でやり取りするイメージだ。極めて秘匿性が高く、諜報に特化した黒位であろうとも、丞天じょうでんと呼ばれる準天位級の者たちでようやく読み取れるかどうかという高位の概念魔術が組み込まれている。


 まあ欠点もあって、有効範囲がそれこそ寝台ほどしかない上にべらぼうに魔力を消費する。おまけに魔導器が発する光を遮ると効果が消えることもあって使用を隠せない。あとはニザ産の魔導器ゆえにと言うべきか餌として血を求めるのも厄介なところで、飢えさせると触れた人間の一人や二人ぺろりと平らげ木乃伊にする危険物だ。餌は別に魔物でもなんでもよいのだが、安全性に難ありと凍結されていたためアズルトが譲り受けた。防諜用の魔導器としては最上級の品で、クレアトゥールに偽装用の拘束術デバフを教えた際にも活躍している。


『あたしの?』

『そっちは後回しだ。その方が話が早いだろうからな』

 小さく首を傾げるが、これは『よくわかんないけどわかった』という、いつもの肯定の証だろう。

『それで俺の話なんだが……端的に言えばおまえの時間を使わせて貰い――』

『いいぞ』

 依頼の文句を言いきるより前にレアトゥールが承諾の言葉を重ねた。


『おまえね。話は最後まで聞くべきだし、安請け合いもするものじゃない。求めているのがおまえが不快に感じるような事だったらどうする』

『んー、意味とか目的とか考える』

 なにも考えていないようなぼんやりとした顔で、実に良く出来た答えが口にされた。

 ずぼらで口下手で抜けているところが多くて、日常生活すら一人で満足にこなすことのできない駄目な奴ではあるが、きちんと物事を考えられる少女でもあった。今しがたの発言を鑑みるに、アズルトが意味のない提案をしないと承知しているからこその安請け合いなのだろう。


『俺が馬鹿だった』

『なにが?』

『なんでもない。ただ確認はさせてくれ。まずこの半節おまえに拘束術を教えていた時間を最低でも貰いたい。出来ることならそれに追加で。期間は未定。極めて個人的な問題だから利益を還元できる保証もない』

 なんとも迂遠な言い回しだと口にした本人が呆れている。どう説明するかはずっと考えてきたはずなのに、いざその時となってみれば用意した言葉が出てこない。

 ついと袖口を引かれ、視線が落ちていたことに気付く始末だ。はっとなって視線を上げれば、すぐそこに覗き込むようにして身を寄せたクレアトゥールの顔があった。ぼんやりとした表情でじっと金の双眸がアズルトを見つめている。


『困ってるのか?』

『まあ、そんなところだ』

 蓋をしていた小心が思いもかけぬ場面で顔を覗かせ、視線を合わせていることに堪えられなくなったアズルトは顔を背ける。

『いいよ』

 言葉を残してクレアトゥールがそっと身を引く。

『頼みたかったことってこれなんだろ。いくらでもは無理かもだけど、あたしの時間、あげる』

 どこか得意気に。

 見ればいつもの不機嫌さが薄れ、どこか嬉し気な表情がそこにはあった。


 どうにも今日は調子を狂わされてばかりいるように思う。不発弾まで掴まされてとんだ災難だった、と言いたいところなのだが、どこかこの不測を愉しんでいる自分がいることにも気づいていた。

 度し難いことに、自ら望んで困難を招き入れているかのような感覚さえある。

 糧として経験を欲していると言えばそれらしく聞こえるだろうが、摩滅した心の渇求がそんな殊勝なものであるとも思えず、溢れた小心ごとアズルトの役で蓋をした。


『恩に着る』

『ん、具体的にはなにするんだ』

『魔術が使えない人間を魔術が使えるようにする、実験だ』

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