第48話 主命
アズルトはニザ東域守座の
与えられた指示は大きく分けて三つ。
四組の生徒の能力評価をすること。
公爵の子息子女の障害となること。
現秩序を破壊すること。
順に説明しよう。
まず『四組の生徒の能力評価』だが、これは命を額面通りと受け取るならば、バルデンリンド公爵家にとっては通常業務の延長である。
例年、バルデンリンドは本土諸侯の子弟を
目的はたいへんわかりやすく、バルデンリンドにとって有益な人材の選定するため。加えて彼らに安穏とした人界を学ばせるという側面も有する。
緩やかな相互監視と協力体制が彼らもまた評価される対象であることを示すが、これはなにも彼らに不利益ばかりを与えるものでもない。叛意ありとなれば話は別だが、評価とは見方を変えれば適性を意味する。
適材適所。
バルデンリンドは限られた人的資源を最大限活用しつつ、ムグラノという畑から必要に応じて人材を収穫し、ニザの境界守の役割を果たしてきた。
しかしながらこの役目についてアズルトはいささか懐疑的だ。
今年入学した西バルデンリンド諸侯の子弟は三名。アズルトの配属された四組を除き例年通りに配置され、この時期はひっそりと情報の収集と分析に勤しんでいる。
なおこの本土諸侯の子弟の括りに、公爵家のリズベットとクラウディスは含まれない。王妃候補としてリズベットにはある程度の本土教育がなされているようだが、基本的に彼女らは
アズルトの賜った命は大まかには彼らと同じだ。
身分の違いがあるため相互評価の対象からは外されているが、担う役割は同じであると、普通ならば考えるところだろう。
普通ならば。
アズルトからすればそれは望み薄だ。
魔術の知識を詰め込まれて、計画に不適格と判断されるや否や瘴土に放り出され、死に物狂いで腐れ爺の試練を生き延びたかと思えば、騎士養成学校への入学が決まり、超短期間で教養を叩き込まれた。
記憶の転写による補助があったとは言え、アズルトのそれは不完全だ。
己が経験とはならずあくまでも
今日に至る経緯を思い返せば、そんなわかりやすい課題であろうはずがない。
バッテシュメヘ教官に追及された通り、アズルトの
計画自体はそれ以前から組まれていたのかもしれないが、バッテシュメヘ教官に転属の通達が為された時期を鑑みれば、実際に動き始めたのもその頃と見てよいだろう。
学園に焦点を当ててみれば、入学者の身辺調査も完了し合格決定通知が送付された後。
すなわち各組の配属が確定した後ということになる。
すべての駒が出揃った盤面に仕上げとしてアズルトは打ち込まれた。
当然これには三番目の命を果たすための布陣の意味合いもあるだろう。
けれどアズルトには入学してから今日に至るまで、拭いきれぬ懸念がある。
クレアトゥール・サスケント、天魔と化して人類に仇なす危険を孕む――
あえて歯に衣着せぬ言い方を選ぶのであれば、サスケント寺院が送り込んだ劇毒の監視、それがアズルトにさえ秘された本来の役目なのではないだろうか。
では次に『公爵の子息子女の障害となること』であるが、こちらは文字通りの意で捉えて問題ないように思える。
いや、命そのものには大いに問題があるようにも思えるが、そこはバルデンリンド家の教育方針である。
具体的になにをどうすればよいのかというと、『ムグラノの水紋』で悪役令嬢を担うリズベット・ベイ・バルデンリンド、そして攻略対象の役を有するクラウディス・ベイ・バルデンリンドの姉弟を徹底的に叩き潰せと、そいうことである。
叩いて砕いてすり潰して濾して騎士としての資質を計れと、偉大なるバルデンリンド公は仰っているのだ。
嘘や冗談ではなく。
言葉そのままではないが、実際に似たようなことをアズルトは言付かっている。
折れたらそれまで、とも。
ニザ東域守座バルデンリンドの座主の地位は世襲ではない。
求められる資質は天を侵さんと聳える
ゆえにその表の顔たるバルデンリンド公爵の座もまた世襲とはならない。
けれどそれは実像であって、対外的にはバルデンリンド公爵家もまた世俗的な慣習に則り世襲による権威や権力の継承を行ってきた。
装ってきた、と言うべきか。
バルデンリンド公爵の子供たちは、物心つくより早く
公爵家を継げぬ彼らに、必要以上の知識や権力を与えないためだ。
歴代の公爵の子らがそうであったように、彼らはいずれ内地の諸侯に混じり領地を治める役を担うことになるが、ごく稀に騎士としての資質を見込まれ本土へと送られる者もある。
障害になれとは、つまりはその資質を測る役割を為せということだ。
これに王家に嫁ぐはずのリズベットが含まれているのは、本土教育の成果を見極めようとの意図あってのことだろう。
けれどそれは臣下に過ぎぬアズルトには関わりのないこと。
アズルトはただ試金石として役割を果たすことだけを考えていればよい。
さて最後に『現秩序を破壊すること』であるが、これが実に頭の痛い課題だ。
遊戯と座上は冗談めかして語っていたが、それは実現の可能性が極めて低いことを知った上での命令だからだろう。
それでも、アズルトは果たさねばならない。未だなに一つとして成し得るものの無いアズルトにとって、それが己の価値を示す唯一の手段であるからだ。
座上の言葉そのままに言えば『教会の法に則り、俗悪な獣どもにその身の痴愚なるを知らしめよ』であるが、噛み砕くと『貴族主義に傾倒する
三国の王侯が揃い、いずれはムグラノの騎士界を背負って立つと目される今年の新入生たち。未来が『ムグラノの水紋』が語る正史の通り進むのであれば、遠くない将来、それは現実のものとなる。
だが彼らの描く騎士像は、バルデンリンドの理念が描くそれとは対極に位置するものだ。
アズルトに与えられた三つ目の命は道楽だが、座上の
つまるところアズルトの仕事とは、彼らの未来を摘み取ることにある。
世を導く正道が
だがあくまでも一手なのだ。
手間が減る――座上の語った言葉こそが
それに、認めたくはないことだが、任務を完全な形で遂行したとしてそれで歴史が覆る見込みは薄い。
せいぜい細部が書き換わる程度だろうとアズルトは考えている。
多くが異なるなかで、正史の足跡を見失わぬラケルの歴史がなによりの証左だ。
物語の役者は誰ひとり欠けることなく舞台に集い、乙女ゲーム『ムグラノの水紋』は幕を開けた。
これは奇跡と名付けるに他はない、あり得べからざる事象。
ラケル界には天意と呼ぶべきなにかが、確かなものとして存在している。
それは甘美なる未知であり、プレイヤーの介入さえ嘲笑う、唾棄すべき既知の名を冠した呪縛だ。
未来は決められている。
だがこの程度の虚無ではアズルトが歩みを止める理由にはまるで足りない。
それに、
抜け道があるというのならば。あらゆる手段を講じてそれを抜けばよい。先人の悉くがその途上で心を手折られていたのだとしても、そうしたものを攻略してこその愉しみである。
遊戯とは
そしてであるからこそ、停滞を許すわけにはいかないのである。
なにせ元来、
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