第47話 黎明
造形美もさることながら、魔識覚に触れる織り込まれた魔術の精緻で繊細な魔力反応が、宝珠を得て鋭敏になった新入生らの心を掴んで止まない。
けれども食事をいっそう華やかなものに彩るそれらは、こと予科一年四組の候補生らに限って言えば路傍の石のごとく、意識の片隅にさえ上っていないように見受けられた。
かつてのバッテシュメヘ教官の洗礼の後を思い起こさせる、重苦しい空気の夕餉の席。
だがそれは昨日今日に始まった話ではなく、ばかりか、いくらか状態がマシになってこれなのだ。
銀吹の二節もとうに中旬と呼ぶべき時期に入っていた。
暗鬱を形作る主因は深く語るまでもなく、宝珠との接続による精神への過負荷である。
慣らし明けの一週間はそれこそ誰も彼もが末期の病人のような様相であった。
例外と言えたのはクレアトゥール、キャスパー、アズルトの三人だけ。いや、彼らにしても程度が軽いだけで消耗は見えていた。
しかし四組ばかりがこうも酷い有様なのにはれっきとした理由がある。
接続を乗り切った候補生らに待っていたのは起動訓練という、端的に言えば宝珠の基本操作を覚えるための訓練だ。
これに通常の教練が課せられる。実技方面の大半は起動訓練に置き換わっているが、寝込んでいた慣らし期間を取り戻すための鍛錬は強制参加。
この方針そのものは余所の組と変わらないのだが、そもそもの厳しさが違った。
入学直後の訓練でそうだったように吐いたり倒れたりする者が続出したのは言うに及ばずであろう。
なんらこれまでと変わるところのないアズルトにしてみれば、かなり手心が加えられていたと思う。
肉体よりも魔力体が重要な時期であることは、バッテシュメヘ教官であれば当然承知している。
四組の指導は過酷であるが、それは計算された過酷さでもあるのだ。脱落者が出ていない以上、おそらくは。
自分のことで手一杯。
新入生がみんなそんなであるから、四組はかつてないほど平穏だった。公国貴族が訪れないばかりか、オルウェンキスの暴言もディスケンスの罵声も飛ばない。
それもこの頃になると状況に変化が生まれる。
高い適性を持つ者たちの中から宝珠の負荷に慣れた者が出始めたのだ。
四組で言えばグリフ、ガガジナ、チャクの三名にそれは目覚ましく、彼らは宝珠を得る以前となんら変わらぬ生活を送っている。
だが学年全体を見た時、四組のこの推移は甚だ鈍い。
それが顕著なのがいまこの場この時だ。
食事量こそ他組と同じ水準をなんとか維持しているものの、四組の周囲にだけ会話の空白地帯ができていた。
貴族組からはこれを嗤う声も漏れ聞こえてくる。
もっとも、組の中でそれを不安視する声は存外少ない。というよりは口にできる雰囲気ではないと言うべきか。
組で最も消耗が激しいのがオルウェンキスであることは、誰の目にも明らかであった。
反感を買いがちな彼が静かであることを好意的に受け取る級友は、けれど限りなく少ない。もしかしたらいないのではないだろうか。
やつれがありありと見て取れる幼さの残る顔は痛々しさすら抱きかねないものだが、その瞳の爛々と輝く様は鬼気すら漂うもので、これまでの尊大な態度よりもはるかに組の者たちを震え上がらせたほどだった。
それでも彼ひとりであれば、まだ級友らもそれを話のネタに秘かな盛り上がりを見せていたことだろう。
彼らがそろって口を噤むのは、そんな状況でありながら一触即発の空気を形作っているディスケンスの存在があるからだ。
これまでのように罵声が飛び交うものではない。むしろそうした温度のあるものをまったく間に挟まず、言外に両者は競っている。
その緊張状態を破ることを恐れて誰も不用意な発言をできない。いや約一名、油を注ぎ続けているキャスパーとかいう阿呆がいるが、であるからこそ、なおのこと巻き添えを恐れて動けない。
彼は今日も今日とて「もっと食わないと力でないぞ」と、両者の前に山と料理の盛られた皿を置いている。
キャスパーがこうした奔放な行動に出るのは、抑えとなっていたメナがオルウェンキス以上に消耗の極致にあるからなのだが、それを知るのは当人を除けば相方のキャスパーと事情を知るアズルト、そうしたことには目敏いクレアトゥール、そして同居人のアルジェくらいなものだろうとアズルトは読んでいた。
さて話が横道に逸れたが、四組が出遅れている要因にはアズルトの行動も大きく絡んでいる。
ディスケンスらに教えた本土式の慣らしがそれだ。
先に現在本土方式の慣らしを行っていると思しき者たちをまとめておくと、クレアトゥール、キャスパー、アルジェ、ディスケンス、フェルト、ユリス、ココト、ダニール、オルウェンキス、メナの十名になる。
アズルトの想定より若干多い。
まずアズルトが直接口頭で教えたのがクレアトゥールとディスケンス、フェルト。ユリスとココトはこの繋がりだ。
これに寮会経由でおそらくはカンカ・ディア、もしくはシュケーベ・ディアに情報提供を受けたキャスパー。
そしてカンカ・ディア経由で挑戦状を送り焚きつけたオルウェンキスと、巻き込まれたのであろうダニール。
そしてニザ東西の守座に情報網を持つメナが自力でそれに辿り着くのも、十分に予測できたこと。
想定外だったのはアルジェだ。推測では、だが。
アルジェは組でキャスパーに次ぐ三位の宝珠適性を有するにもかかわらず、未だ深い不調の中にある。明らかな異常であった。
ゆえに根拠のひとつとなる。
そしてもうひとつが、彼女はメナの同室であるということ。
メナが彼女にそうした術を教えるとは、アズルトは想像だにしていなかったわけであるが。
アルジェ・ベイ・バーフォテキン。
表向きは二公派に属する南方の子爵家の娘で、メルフォラーバの系譜に連なる者。
そしてランクート公国のみならずハルアハ王国とも通じている――四組の急所だ。
事実、彼女の曽祖父はランクート貴族であり、公国は初め四組を訪れる口実として彼女の出自を理由に使っていた。
彼女の主義や思想が如何なものであるかアズルトは知らない。
公国の四組への干渉を内心苦々しく思っているであろうことは、アズルトが彼の国の貴族らを相手にしているときに向けられた視線から理解してはいる。
けれど逆を言えばそれだけだ。
あのメナが情報を渡した、それはひとつの指針だが、それゆえに油断のならぬ相手であると言うこともできる。
そしてなによりも、斯くの如き人物をメナが手中にしているという事実が、アズルトにとっては脅威に思えた。
しかしこの件は今は脇に置いておこう。
オルウェンキスとディスケンスの様子から見て、両者は互いの状態が等しくあることを理解している。アズルトが吹き込んだことを含めて。
彼らはアズルトが仕組んだことを承知で意地を張り合っているのだ。そうと教えるまでもなく、授業で宝珠の稼働状態が更新されるのに合わせて自分たちで負荷を上げながら。
オルウェンキスを騎士の才がないと罵ったディスケンスである。
己より適性で劣るフェルトやユリス、ココトの状態を把握しなお劣るオルウェンキスが折れぬ様を見て、評価を改めぬというわけにもいかないだろう。
人間性はさておき。
あとは仕込んだ毒がユリスまで届けば、彼女は彼らを守るためオルウェンキスと手を結ぶことを選ぶはずだ。
貴族には貴族を。アズルトは端から彼らに公国を止められるなどとは考えていない。
要となり得るのはオルウェンキスだけだ。
いささか役者不足感が否めないでもないが、あれはあれで公女サマとの相性はよい。
アズルトにとっては退けられさえすれば手法などどうだってよいのだから。
宝珠の順応状況も同じだ。遅れているからそれがどうしたというのか。
組の四割弱が最低保証値ではなく最大値を伸ばすことを優先し困難な道を進んでいる。
今はまだその途上も途上。彼らにしてもこれからという意識が強いだろう。
楽をしようと思えば今すぐにでもそれは叶うのだ。宝珠の稼働状態を下げるなど造作もないこと。
したがって彼らの視点に立ってこれを言い表すのであれば、あえて遅れさせている、とでもなろうか。
ゆえに順調。
アズルトの思い描いた図式にも収まっているように見える。
もっとも、クレアトゥールに教訓を得たアズルトに楽観はない。目に映るものなど不確かで、未来は曖昧だ。
それこそキャスパーの言動ひとつで如何様にも転び得る。
だがそれでよいともアズルトは考えていた。
彼には彼の準ずるべき行動原理がある。意思がある。
アズルトの都合などお構いなしにヒトは動くもの。害意を以って立ちはだかるのであれば除くは必定、さりとてそうでないならばそれは飲み込むべきだ。
畢竟、オルウェンキスとの直接交渉が必要な事態に発展しようとも、盤面にその痕跡を残さず公国貴族を四組から排除できればそれでよいと考える。
アズルトの関知せぬ動きが増すということは、裏を返せば敵もまたその影を掴むのが困難になるということだ。
ならばアズルトはそれを利用し目的達成に向けて粛々と駒を進めるだけ。
それでもアズルトとしては人心地ついた思いだった。
区切り、かもしれない。
ようやくのこと次の段階へと進んだ感触があったのだ。
だからこそ考えずにはいられない。
アズルトに与えられた、本来の役割というものを。
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