第45話 黒山羊公の僕と布石・後

 東方が不安定な時代があった。

 竜騎士ソシアラ侯爵ヴェルダーが頭角を現す前の時代。切っ掛けとなったのは当時まだ南方守家だったランクート公爵家の、アーベンス王国への裏切りだ。


 ムグラノ東部に広がるアメノ大迷宮は、四百年以上も昔に封じられてなお瘴気を吐き出し続け、周期的に大規模な活性化を引き起こしてはムグラノの地に破滅を振りまき続けてきた。

 二百年ほど前、二度目の大活性が起きた。二代目東方守家であるソシアラ家の尽力により、アメノから溢れる魔種については水際での防衛に成功するも、防衛線内部に発生する魔種による被害は大きく、再封印を経てなおムグラノは後始末に追われていた。

 ランクート家が南部諸侯を率い独立に動いたのはまさしくこの混乱の最中であった。

 東方から引き上げる領軍を用いての王都への奇襲。『彼の軍の壮麗なる様は到底アメノ東征に赴いたもののそれではなかった』とは、当時王都に駐在していたバルデンリンドの武官が残した言葉だ。


 そしてアーベンス王国暦三一〇年に起きた第三次アメノ臨界が致命傷となった。

 水際での防衛に失敗したのである。

 侵入した魔種により純血派諸領は甚大な損害を出しアーベンスにおける影響力を失墜させた。原因は諸説あるが、バルデンリンドの歴史にはランクートがソシアラを警戒しその指揮下に入ることを拒んだことに端を発する人災とある。

 純血派がランクートに抱いていた敵意を思えば、潰れ役を押し付けられることを危惧するのは自然な成り行きだ。判断そのものについて、バルデンリンドは否定的な記述を残してはいない。

 しかし、その上で役割を果たせなかった事実については激しく糾弾している。『自ら責務を負った以上、東征に従軍したランクート諸侯総てを磨り潰してでも、東方諸侯軍到着までの時間を稼ぐべきであった』と。


 以来、アーベンス暦三七〇年代に入るまで、東方は長らく混迷の極致にあった。ソシアラ家が東方守家の座を降りるという話が出ていたほどで、彼の家のランクートへの恨みは推して知るべしというもの。

 今日の平穏はソシアラ侯の尽力によるものだ。

 諸侯を取りまとめ、軍を再編し、ムグラノ主教座を動かして防衛体制の刷新を推し進めた。


 だが二百年にわたる苦難の時代が残した傷痕は深く大きい。

 東方での信頼厚いソシアラ家だが、本家は断絶の瀬戸際にある。

 ソシアラの直系は事実上オルウェンキスとその弟妹のみ。分家も著しく数を減じており領内の治安の維持は麾下貴族によってなされているのが実情だ。

 騎士になる前からオンの名を与えられたオルウェンキスの重責に至っては知る由もない。



「そんな奴の牙城である四組が再びランクートによって脅かされたんだ。罵りもするだろう」

 組のためというよりも東方守家として、純血派として公国を許容できないのだ。

 もっとも、その部分は思うだけで口にはしない。

「ああ可哀想なオルウェンキス、だから坊やの暴挙は大人の心で斟酌してやれってか」

「そんなわけないだろ」

「今の話の流れはそういうやつだろうが!」

 ディスケンスはわなわなと手を震わせるが、アズルトの知ったことではなかった。


「奴の重責は己の内で処理すべきもの。貴族であることを選んだのならそれが義務だ。泣き言なんて聞いてやる義理はないし、当たり散らされて黙っていてやるいわれもない。逃げ出したのなら話は別だが、己で負った業だろう」

「血も涙もないな」

 若干頬が引きつって見える。

 否定の言葉とは裏腹に同情、してしまったのだろう。それが自覚さえ怪しい、ほんの微かなものであったとしても。

 だが、アズルトはそんな惰弱なものを求めているわけではないのだ。


「純血派の理念がそういうものだからな。数多を生かすために作られた人柱、それが純血派にとっての貴族だぞ。同情なんてしてどうなる、ただの侮辱だ」

「ならなんのためにその話をした」

 オルウェンキスの個人的な事情にまで踏み込む必要はなかったはずだと、鋭い眼差しが追及している。


「あんたらは敵を知らなさすぎる。抗うのも手打ちにするのもあんたらの自由だが、知る努力はすべきと、俺なんかは思うけどな」

「あんたを頼れと」

 嫌そうに、ではなく険しさを漂わせ、真面目腐った顔でディスケンスが問う。

 アズルトの答えはひとつきりだ。

「いや、正直それは勘弁してほしい」

「……はぁッ?」

 不調であるにもかかわらず、立ち上がってしまうほどに意外であったらしい。

 だがアズルトにしてみればその反応の方が予想外である。


「手のかかる奴を抱えてるんだ、増やされても困る。それにウォルトラン家うちが持ってる知識なんて他とくらべたらお粗末なものだからな」

「アズルトが考えている以上に、平民である僕らにできることは少ないんだ」

「ものはやりようだろ、あんたらはもうただの平民ではなく騎士候補だぞ。それにグリフが口を割らないならダニールに問えばいい」

 ダニールもオンの名を持つ生粋の純血派だが、作法の授業で中央のそれを解する辺り柔軟性には富んでいる。下手に出て妥協をチラつかせればおそらくは口を割る。


「敵対している相手に聞けるかよ」

「それは本心からの言葉か?」

 オルウェンキスの身内ということで両者は対立関係にあるが、表立って衝突している姿はアズルトの記憶にはない。

「……自分たちに都合のいいことばかり並べ立てるに決まってる」

 苦し紛れの言い訳は、ダニールへの敵意がディスケンスの個人的な感情であることを証明していた。

「その話をグリフに持って行って答え合わせをすればいいだけの話だろ。情報源がダニールであることをバラす必要もない」


「貴族を相手に嘘をつくことを唆すなんてね。いいのかい?」

 絶句するディスケンスに代わって言葉を継いだのはフェルトだ。

「グリフは騎士候補としてあんたと付き合いを持ってるんだろ、なら騎士候補同士なんの問題がある。それに嘘を吐く必要もないだろ。心配なら言質を取られないよう適当に誤魔化せ」

 経験こそ乏しいアズルトだが知識だけは豊富にあった。だから当然のことのように語ったわけであるが、それは却ってディスケンスの警戒心を刺激したらしい。

「ちッ、しくじったな。口車に乗せられて話なんて聞くんじゃなかったぜ。フェルト、この野郎は紛れもなく四組ウチで一番の問題児だ。アズルト・ベイ、あんたとはこれっきりの付き合いにさせてもらいたいね」

 これまでの攻撃的な口調すら収め、理性的に落としどころを求めている。


「ディカ……」

「貴族を騙すのに抵抗はねえよ。だがこいつと関わるといつか取り返しのつかない悪事に加担させられてそうでな。ユリスには恩がある」

 ディスケンスの変わり身にはアズルトも舌を巻く思いだった。

 この歳で幾つもの死線を潜り抜けているだけあってまったく良い勘をしている。

 もっとも、己の暗躍の痕跡を残したくないアズルトには、求められるまでもなく彼らとの関りを継続するつもりなど、端から持ち合わせてはいないのであったが。


「納得した、ディカに任せるよ」

「熱くなってるとこ悪いが、俺があんたらを訪ねたのは情報の交換が目的だ。これを機に付き合い方を、なんて気は更々ないぞ」

「てめえ水差すくらいなら黙って頷いとけや」

「形が必要なんだよ、今は」

「また意味のわからねえことを」

「公国の干渉があるだろ。名ばかりであろうと貴族の肩書が必要なんだよ。結果が同じでも過程が違えば自ずと意味も違ってくる。手前勝手なあんたの要求になんて従えるわけないだろうが」

「ホントいい性格してやがるじゃねえか、アズルト・ベイ・ウォルトランさまよ」

 毒気が抜かれた、そんな顔でディスケンスは言う。


「無駄話が過ぎたな。それで、良い話を聞く覚悟はあるのか。言っておくが今からする話は口外無用だぞ」

「愚問。あんたも俺がここで引くとは思ってねえだろ」

「そうだな。でなければ伝える甲斐もない」

 フェルトへと視線を移せば、確かな頷きが返ってきた。

 アズルトがこれまでに語った事の重要性を鑑みれば、彼らがここで躊躇わぬのは自明の理であろう。聞くことで被る不利益よりも、聞かぬことで生じる不利益の方が遥かに大きい。


「話そのものは極めて単純だ。宝珠を起こせ」

 宝珠を構成する魔術と魔力体の接合はものの手始めだ。繋がっているだけでは騎士とは呼べない。それを意のままに操ってこそ騎士を称するに足る存在となる。

「待て、そいつは……」

 言葉を与えたのは防衛本能だろうか。

 否定しなければならない。その衝動に駆られるようにして必死に文言を探している。

 だがアズルトは良い話をしているのだ。かけるべき慈悲などない。


「行程二の三ならびに四。どちらもすでに宝珠の起動試験は終えているはず、ならなにも問題はない」

「許可は――」

「禁じられてはいないだろう」

 それはすなわち是認を意味する。

 公国貴族の蛮行もそれを禁じる規則がないために断ずることができない。そしてそこに二公派の意思の介在があるように、これには教会上層部の意向が絡んでいる。

 安全装置リミッターの件と同じだ。そしておそらくは、ニザ東域守座も絡んでいる。

「理由を聞くことはできるかい」

「西方守家の流儀、と言えば伝わるか」

 返ってきたのは息を呑む気配と、いくらかの疑念を含んだ視線。

 だが騎士として高きを目指すとの意図は、過たず理解を得られたらしい。


 西方守家――バルデンリンド公爵家について、ムグラノにおける評価は高いとは言い難い。

 禁足領域と定められるニザ瘴土帯の情報をバルデンリンドが完全に封鎖していることが一因として挙げられるが、それにも増して東征に騎士を派遣していないことが彼らから評価の機会を奪っているというのが大きい。

 だが、本年の北寮に限って言えばその認識は当て嵌まらないようであった。


 先ごろ、上級騎士ふたりによる非公式仕合が北寮にて執り行われた。

 騎士養成学校イファリス序列第一位、黒位のシュケーベ・ディア・カイオンと、そのかつての師で赤位を有するマフクス・ディア・バッテシュメヘによる三本勝負。

 壮絶な死合いの結果は、バッテシュメヘ教官の三戦全勝。

 いずれも圧勝とは程遠い泥仕合だったが、明らかに格上であるシュケーベ・ディアの攻勢を凌ぎ切り、その守備を三度崩し切った手腕は熟練の騎士の恐るべきを北寮生の心に刻みつけるに至った。


 今日、バッテシュメヘ教官が西域帰りのバルデンリンドの騎士であることは北寮生の知るところとなっている。彼ほどの騎士が生まれ、そして教官として派遣できる禁足領域という土壌に、西方守家の評価が高まるのはごく自然の流れであった。

 なお彼が担当する予科一年に限って言うと、その異次元の戦いぶりに、求められる水準を想像して震え上がっているというのが正しい。


「疑問はわかる。まずひとつに大多数の候補生は接続を安定させるのに五日を要する。起動させたことがあるのならわかるだろう、基準を引き上げれば大半の候補生は潰れる」

 真実であるが、それがすべてではない。

 宝珠との接続は魔力体の変質を招く、これは騎士を志す者はすべからく知る話。だが、仕組みについては禁忌として秘匿されている。

 実際には宝珠によって変質させられるわけであるが、その作用は宝珠の稼働状態によっても左右される。騎士の運用思想ドクトリンの修正に伴い安定性を優先させたことで、魔力体の変化は段階的に行われる決まりとなった。

 しかし騎士養成学校の入学年齢が示すように、そして幼年期魔力汚染症の存在が示すように、魔力の運用能力の成長は年を経るにつれ鈍化してゆく。良質の騎士の安定供給という意味において現行の制度を否定するものではない。けれど手間コストを度外視して品質だけを求めるのであれば、可及的速やかに魔力体の変容を促しその負荷を増大させることが望ましい。

 もっとも、それで壊れてしまっては本末転倒だ。

「俺らだって大差ねえよ」

「だからふたつ。意地っ張りで負けず嫌い、そして努力くろうを惜しまない」


 引き攣った笑いを口元に、ディスケンスが仰向けに寝台に倒れ込む。

 続く言葉には疲労感が色濃く表れていた。

「まだ答えてない問いがある。なぜこれを俺たちに教えた」

「毎年秋になると三国合同の軍事演習が行われる。そこには騎士養成学校イファリスも参加する慣らいで、新入生の初めての対外的なお披露目の場となる。そうして設けられるのが隊を単位とする組別の対抗仕合だ。方式は組総当たりの隊三本」

「正気じゃねえな」

「騎士の学び舎での限りある時をかくも俗な行いで奪った。筋は通すべきだろう? だが生憎と俺の身体はひとつきりだ」

 言うまでもなく用意してきた答えである。

 必要なのは彼らが納得するに足る言葉だ。アズルトらしく真実を交えもっともらしさを演出しているが、この言葉そのものには大した価値などありはしない。


「あんたは目的を果たし、俺たちは名を得ると?」

「良い話だろう、お互いにとって」

「てめえ本気か、俺は冗談で言ったんだぜ。相手は一組だ、現実を見ろよ」

「なにを驚くことがある。俺たちが今ようやく候補生となったように、奴らもまたただの未熟な候補生だ。勝負が始まる前から敗北宣言とは、無様が過ぎるんじゃないかディスケンス」

 あえて込めた嘲りの感情にも、ディスケンスは乾いた笑いを漏らすだけ。


「言ってろ。手前てめえの勝負ならそれでいいだろうがな、組の連中見てできると思ってんならどうかしてるぜ。こちとら退くべきところは弁えてんだよ」

 天井を見上げたまま、皮肉気に吐き捨てる。

「好きにすればいい、あんたらに上を目指す術を伝えたところで良い話は終わっている。俺もただ問いに応じただけだ」

「そいつはご丁寧にありがとうございましたってか。話が済んだならもう帰れ」

 アズルトを一瞥したディスケンスが、煩わしそうに手で追い払う仕草をする。到底、平民が貴族にする態度ではないが、威圧とも異なるその変化は彼の価値観に生じた欠損に他ならず、アズルトは肯定的な反応としてこれを記憶し、壁から背を離した。


「最後にひとつだけ。身内にのみ術を伝えることを許可する。ただし情報の出どころは悟られるなよ。不安があれば己にこう言い聞かせろ、自分たちは今日誰とも会っていない。それから彼女らはあんたらほど無理はきかない、限界は自分たちの数段下にあると思っておけ」

 置き土産を残し踵を返す。

 背に、呼び止める声がかかった。


「待ってくれ。どうしてそんなことがアズルトにわかるんだい?」

「宝珠の接続は面倒が多いからな、宝珠適性の高い者から順に進められるのが通例なのさ。あんたらは四番と八番、あのふたりはおそらく十二番と十四番だ」

「いい趣味してやがるな」

「暇だったんだよ。俺は最後だし、寮内待機の命令も出ていた。満足したならさっさと地獄イャーテヨヘナに旅立て」

「おっ死んじまえ、アズルト・ベイ・ウォルトラン」

 そうしてやって来たとき同様、ディスケンスの悪態を背にアズルトは部屋を後にしたのであった。

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