第44話 黒山羊公の僕と布石・前
ディスケンスらの語った事件の顛末は、カンカ・ディアの語ったそれと大筋においては変わりがなかった。
準備してきた質問をひと通り消化し終えたアズルトは、目を瞑り黙考する。
主観による視点の偏りは大きかったが、それは十分に予測できたことだ。だから繰り返された問いにもアズルトの不明を解消する役目はなく、ふたりから事実を客観的に捉えた回答を引き出すことこそを目的としていた。
言うなれば認識の矯正。
彼らに事件を語らせるという行為そのものに意義があった、というのがアズルトの考えだ。
見舞いに来たというのはもちろん口実だった。
ただ、半分そのつもりと口にした言葉に偽りはない。記録と実測とのすり合わせから能力評価の基準を行う都合上、そのサンプルとして両人の経過の把握はしておきたいと考えていたのだ。
半分が程度ではなくて内容なのが曲者だが。
それにどう言い回しを変えたところで、もののついでであることには変わりはない。
好き放題やってくれているシャルロットを相手に、これまでアズルトはどうしても後手に回らざるを得なかった。プレイヤーであることを悟られるわけにはいかないという前提条件が枷となっていたからだ。
矢面に立つことは避けなければならない。
現状ですでにかなり際どい立ち位置になってしまっていることに、アズルトは強い危機感を抱いていた。
もしもここでアズルトが積極的にシャルロット排斥へ向けて動けば、埋伏するプレイヤーに要注意人物として記憶されるのは免れ得ぬことだろう。
そう、アズルトが本当に警戒する相手はシャルロットとは別に存在するのだ。
より正確にはそのように想定している。
シャルロットというプレイヤーの実在が観測されるより以前から、その存在を予測し動いていたアズルトだ。想定が現実のものとなったところで安堵などするはずもなく、むしろ更なるプレイヤーの存在に確信を深めた節さえあった。
アズルトの敵はシャルロットだけではない。そしてなにより、アズルトが
シャルロットの対応に手間を取られ、その本来の目的が滞っている現状は、アズルトにとって甚だ不本意なものだ。だからこそこの日、アズルトは珍しく自発的な行動に打って出たわけである。
すべてはシャルロットの目を己から余所へと移すため。
これはその予備調査であるとともに、布石でもあった。
「オルウェンキスが動いたのなら、表の対応はあの坊やに任せた方がいいか」
アズルトは閉ざしていた瞼を持ち上げぽつりと、しかし明瞭な声を呟きに乗せた。
四組で最もオルウェンキスと険悪な仲にある少年を目の前に、その行いを肯定するかの如き台詞を口走ったのである。
反応は劇的だ。
「なんでそうなる」
寝台の縁を叩き、唸るようにしてディスケンスが咬みつく。
「あの糞ガキはいつもみたいに口汚く罵っただけだぞ」
眦をつり上げ、あれだけ懇切丁寧に説明してその結論はどういう了見だとでも言わんばかりの形相だ。
だがそれはアズルトが意図して引き出したもの。
偏見――と称するにはオルウェンキスはいささか捻じ曲がった性格をしているが、先入観がその実像を見誤らせているのは、ここまで言葉を交わす中で明らかになった彼の欠陥だ。
ヒトとして誤った反応ではない。ごく自然の心の働き。
心の底から嫌っている相手を正しく評価するなんてのは、真っ当な人間にできることではない。それこそどうかしているとアズルトでさえ思う。
けれど自らが扱う上では、齟齬を生じ得る個人の感情は極めて邪魔な要素だった。
もっとも、それをすべて取り払うなど土台無理な話である。だがせめて計略の基盤となるであろうこの局面だけは、感情を排し事実を認識してもらう必要があった。
そのためにも、今は反感が強ければ強いほど良い。
アズルトは目線をフェルトへと移し、同じ見解であるらしいことを確かめる。そうしてからアズルトは淡々と毒を舌先に乗せてゆく。
「なぜと言われてもな。この件であいつはなにひとつ誤った事を言っていないんだろ。ディスケンス、他でもないあんたが俺に話したことだぞ」
「あ゛? いつ俺がンな話をした。なにをどう聞いたらそうなる」
オルウェンキスは衆人環視のなかシャルロットを徹底的にこき下ろした。聞いている人間が思わず眉を顰めるほどの罵詈雑言の嵐だったのは、ディスケンスの証言からも明らかだ。
けれど語られたその内容に関して言えば、否定すべき要素など皆無に等しい。
すべては歴史的事実に基づく批判、ソシアラ家の者がランクート家に抱く必然的な憎悪を言葉にしたに過ぎない。
その理解をディスケンスらに求めるのは酷な話であることは理解している。これは貴族の領分が絡んだ問題なのだから。
もっとも、語り手しか見えておらず真実など二の次の彼らは、貴族だの平民だのというはるか以前の話にあるのだが。
「あれだけの罵倒の文句を記憶していながら気づいていない……いや、知らないのか」
煽りに聞こえぬよう感情を削ぎ落し、刷り込むようにして言う。
ディスケンスの目が剣呑な輝きを帯び、すうっと細められた。
「てめえなにが言いたい」
「あんたらは、オルウェンキスの暴言が公女サマを貶めるための与太話だとでも思っているのか?」
「アズルト・ベイは信じていらっしゃると」
そいつは傑作だと、ディスケンスが口の端を歪める。
「ユリス・ベイも同じ見解なのか?」
「なんでここであいつの名前が出てくる」
垣間見える苛立ちに、アズルトは彼女の言動が読めた。
「オルウェンキスの態度に不平は漏らしていても、暴言の中身についての批判はしていない、違うか?」
「見てきたように言うんだね」
応じたのはフェルトだった。それを意外に思うものの同時に、これについて彼らの間でひと悶着あったのだろうという推察も立った。
「ユリスはときどき極端に言葉数が少なくなるんだ」
「高貴なる者の義務。騎士貴族である純血派の信仰だな。ユリス・ベイは貴族の面倒事にあんたらを巻き込みたくないんだろう」
「あれはそういう意味だったんだ……」
そこでフェルトはちらりとディスケンスへと目線を移す。
ディスケンスはと言えば、好きにやれとばかりに軽く手を振っただけだった。
「えっと、グリフとはよく話をするんだ。相談なんかもさせてもらってる。そこでユリスの許可なしには話せないってよく言われててさ」
「臆病者、いや。ずいぶんと慎重な奴だな。バルデンリンドの貴族らしくもない」
アズルトは珍しく小馬鹿にするような言い回しを選んだ。
同じバルデンリンド領の貴族だからと名を出されたのだとすれば、彼らは大きな勘違いをしている。子山羊であろうとグリフは内地の出身、本土の貴族であるアズルトが同じ括りで語られるのは少々都合が悪い。
「なら教えろよ。知らないって馬鹿にしておいてまさかだんまりなんてこたねえよな」
「いいぞ」
間髪を置かず承諾すると、両者の面には驚愕と動揺がはっきりと刻まれた。
貴族との距離の比較的近い彼らでこれだ。
身分の意識とは斯くも深く根を張るものなのかと、アズルトは胸の内で歎息する。そして彼らが理性でもって前言の撤回を求めるよりも早く、破戒への水先案内を文言に示した。
「ひとつ昔話をしよう」
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