第43話 ある候補生らの試練三日目3

「悪いが、順を追って説明してもらえると助かる」

「んだとてめえ、この期に及んでまだシラを切ろうってのか」

「質問いいかな、ディカ」

 再びの昂りを察知したフェルトは、やや早口で言葉を割り込ませた。


 アズルトの台詞は確かに煽りとして聞くこともできるが、それは受け手である自分たちが、彼の敵意を意識せずにはいられないからだ。

 自らの感情を排し、客観的視点に立ち返って彼の発言を吟味しなおしてみれば、文字通りの意味と受け取ることもできる。

 フェルトはそれが話だと思わないでもなかったが、だからこそこの機に確かめておく必要があると考えたのだ。


「……好きにしろ」

 言外の必死さを、ディカは汲み取ってくれた。

 視線で礼とそれからいくらかの謝罪を告げ、フェルトは単刀直入に切り込む。

「ベイ、いやアズルトは、僕らが裏で手を結んで彼女を君に押し付けたことくらい、承知のことだと考えているけど、そこに間違いはない?」

「なんだ、そのことか」

 騒がしい鼓動に混じり、呆れを含んだため息が届く。


「妙に警戒されているのが気になってたんだが、合点がいった。事が大きくなって報復が怖くなったと」

「……露骨な表現をすればそうなるね」

 鋭利な言葉が胸を刺す。

 感情の見えぬ静けさが『怖い』とフェルトに残る冷静さを揺さぶった。

「人を呪わば穴二つ、か。その墓穴も自分たちで掘ってるなら世話はないな。これはあくまでも結果論に過ぎないが、あんたらがあれを俺に押しつけたのは組の利益という観点から見れば紛れもない正解だった。お上品なやり方じゃあれは止まらない。抱え込んだ厄介事にしても同じだ。代われる奴がいるなら俺だって考えないでもないが」

 誰かいるのか、と。アズルトは嘲るでもなく淡々と語る。


 理性的な人物との分析は誤りではなかった。フェルトは自らの見立てに安堵する。

 むしろ想定以上と言うべきか。自らの不利益さえ、合理の名の下に不可欠なものとして承服する。

 だがそれだけに、懸念は取り払っておくべきとも考える。

 四組で彼の果たしている役割は計り知れない。負担は重く、そのに縋るのはあまりにも危うい。


「けれど手段を誤った」

 ゆえにフェルトは自分たちの非を顕わにする。

 それが後の利に繋がると信じて。

 アズルトはこれに数秒だけ瞑目し、不安を掻き立てる言葉を告げた。

「良い話と悪い話。情報提供の礼にと思っていたんだが、この様子だと悪い方は先に伝えておいた方がよさそうだな」

 そうして告げられた彼の話は、要約すれば『クレアトゥールがもしシャルロットに大怪我を負わせた場合、アズルトは監督責任を問われ退学となるだろう』というものだった。


 ディカの顔が強張っていた。自分も同じような顔に違いないと、フェルトは冷え切った頭で考える。

 これまでの話がすべて吹き飛ぶほどの衝撃だった。

 フェルトらには、もはやアズルトの来訪の目的が最後通牒であるようにしか思えない。


「ここで驚かれても困る。それにそう悲観的な話でもないぞ。これはバッテシュメヘ教官によるリスク軽減のための誘導だからな。教え子なんてこれっぽっちも信用してないあの教官のことだ、起きた時に備えて根回しくらいはしているだろう」

 まあ、怪我ですめばだけどな。

 最後に小さくそう呟いたアズルトは、自身の首を指でトンと叩いてみせる。

「人身御供に選ばれるのは誰だと思う」

 それまでどちらにでもなく話していたアズルトの、その錆色の瞳が真っ直ぐフェルトを射抜く。

 死の足音が聞こえた気がした。


「てめえ――」

「一蓮托生。言ってる意味くらいわかるよな」

 アズルトが真っ先に切られるのは変わらない。その上で、公国を納得させるためには責任を取る人間が必要ということだろう。

 あるいは、ディカだって。

 不条理は世の常だ。それに、非難する資格はフェルトにはない。


「俺もあいつもこの件に関しては被害者だ。それにお互い様だろう。恨みゴトは言いっこなしだ」

「下衆が。そうやって言葉で俺たちを縛るつもりか」

「そのつもりがあるのなら最初からこの話をしていた。本当は注意を促すため最後に伝えるつもりでいたけどな」

「口ではどうとでも言える」

「知らなければよかったと」


「……彼女はそこまで危ういのかい」

 フェルトはようやくのことで口を開く。

 知らぬ間に死地に立たされていた衝撃に理性は機能不全に陥っていたが、死線を潜り抜けてきた経験がより深い思索を強要していた。

「毒物はそれが毒物であるがゆえに他者を害するわけではない。わざわざ間に俺を置いた意味はなんだ」

「扱う側、いや不用意に関わろうとする者に問題があると」

 視界の端でディカの眉がピクリと震えた。

 ディカも気づいたのだろう。フェルトにもアズルトの言葉の指し示す先が見えていた。

 すなわち、度重なる干渉を繰り返すランクート公国こそが糾弾すべき元凶であるのだ、と。


 そんなフェルトらの変化をアズルトは見逃さない。

「存外、悪いばかりの話でもなかったな」

 相も変わらず退屈そうな表情ながら、声には常と異なる響きが混じって聞こえた。

 もっとも、これで納得できない人物もいる。他ならぬディカだ。一方的にやり込められる形になったことで、苛立ちがその胸中で渦を巻いているはず。

「いんや、解せねえよ」

 それでもここまでの経緯から、向けるべき言葉は慎重に選んでいる様子が窺えた。

 未だディカは、オルウェンキスよりよほどアズルトのことを警戒しているように見える。


「この話を俺たちにして、それでてめえにはなんの得がある」

 単純に事実だけを組み上げれば、危機感を煽り自分たちを公国貴族への防壁として利用しようというところだろう。けれどそれは実現性に乏しい空論だ。

 平民であるフェルトらに貴族を止める術はない。

 どうにも四組には身分を振り翳し主義主張を通そうとする貴族が少ないようだが、それこそが貴族の常道であることを、フェルトもディカも経験上よく知っている。

 公国貴族のこれまでの振舞いを鑑みても、彼らがそうした典型的な貴族であることは疑いようもない。

 これらの事情をアズルトが計算に入れていないとは考えづらかった。

 だからディカの詰問にはフェルトも興味があって、けれどやはりアズルトは自分たちの思惑で動くような安い人物ではないのだと改めて知ることになる。


「それは良い話というやつだ。見舞いついでに土産話を披露した俺に、そろそろ近況くらい語ってくれてもいいんじゃないか」

 アズルトの冗談めかした軽口にディカが押し黙る。

 剣呑さを滲ませ睨め上げるディカの眼光を、アズルトはただ湖面のような瞳に映すばかり。

 答えなど決まっているだろうに。

 この時ばかりはフェルトにもディカの考えがまるで読めなかった。


 だからフェルトは躊躇いながらも、この停滞する時を進めるべく言葉を発した。

「……僕から話そうか?」

「いらねえよ」

 均衡は崩れた。

 邪魔をしたにもかかわらず、ディカから不平の感情は読み取れない。フェルトはそのことをすこし意外に思った。


 ゆらりと立ち上がったディカが、息がかかる距離までアズルトへと詰め寄る。

 背のあるディカが、頭半分ほど高い位置からアズルトを見下ろす形だ。強面とも称されるディカがこれをすると、北寮の上級生であっても多少は怯んだ様子を見せるのだが、相手がアズルトでは動揺を誘う以前の話になるだろう。

 静かに状況を見守っていたフェルトだが、その眼がかすかに見開かれる。

 フェルトには刹那ではあるもののディカが気圧されたように見えたのだ。アズルトが特段なにかをしたというわけではない。それが驚愕に拍車をかけていた。


 もっとも、当のディカはむしろ満足した様子だった。

 すっと身を引く。

「ちッ。俺はてめえがあの腐れ貴族の次に気に食わねえよ。だが口にした約束を違えるつもりもねえ。手前のケツは手前で拭く。それで初日の件は……」

「貸し借りなしだ」

 ディカの滞った台詞をアズルトが結ぶ。

 けれどこれに納得できないがディカだ。

「足りるかよ、んな施しはいらねえ」

 事件についての話がアズルトにとってどれほどの価値を持つのか、フェルトにはわからない。それはディカも同じだろう。

 けれどひとつだけはっきりと言えることがある。

 この程度の労で、彼女の引き起こす数々の問題の労が賄えようはずもない。


「いや、さんざん俺の頼みを足蹴にしておいてそれはないだろう」

「てめえのあれは恫喝だ。頼みなんかじゃねえんだよ」

「あんたらも最終的には俺と同じ危険を負う。それじゃあ納得できないのか?」

「因果応報だろ、そいつは。筋が通らねえって話を俺はしてるんだ」

「……筋が、か。組の奴らは歓迎しないと思うぞ」

「知ったこっちゃねえよ。今こうしてあんたと話してるのはだ。違うか?」

 ディカが乱暴に言葉を放る。

 その直後のことだ。

 ふと生じた違和感に、フェルトは首を傾げた。

 それがなんであるのかを言い表すのは、極めて難しい。けれどフェルトの目には寸前とはなにかが明らかに異なって見えたのだ。


「そうだな」

 フェルトの困惑を置き去りに、ディカとアズルトとの水掛け論は幸運にも着地点を見出していた。

「なら――」

 錆色の瞳がフェルトを一瞥する。

 自身の混乱に気を取られていたフェルトは、その意図を解するのがわずかに遅れた。

「残りはすべてディスケンス、あんたにツケておく」

 冷徹に告げられたその言葉を耳にして、フェルトは己の失敗を悟る。

 ディカはこの話題を口にしたときから、すべての咎を自らが被る気でいたのだろう。

 平民であるフェルトたちは、あの頃はまだ組の方針に対し積極的な意思表示を行うことはできなかった。

 けれど貴族であるユリスやココトはそうではない。

 大勢に流される形ではあったが、ふたりはこの状況に加担している。

 彼女らにアズルトはあまりにも荷が重い。ゆえに……。

 方針に否定的だったディカが積極的に切り込んだのだ。フェルトは目論見に気付いて然るべきだった。


「ここにきて先延ばしとは嫌味な野郎だ」

「その方がなにかと面白くなりそうだからな」

「あんたのそれは冗談に聞こえねえんだよ」

「ん?」

「あ゛?」

 話がまとまった直後とは思えぬ険悪な様子がフェルトの心をいっそう重くする。


 それから一刻ほどかけて、あの日に北寮で見聞きしたすべてを事細かに説明した。

 途中から語り手がフェルトに移ってはいたものの、ディカともども知る限りを伝えたつもりだった。

 後のディカの負担を考えればここで出し渋るのは得策ではないと思えたし、それを抜きにしてもアズルトの心証は良くしておくにこしたことはないという打算もあった。

 短くとも三年をこの四組で過ごすことになるのだから、その安寧の鍵となるであろうアズルトとは、可能な限り良好な形で繋がりを保っておきたい。

 怜悧さを垣間見た今は、これまでにも増してそれを強く感じる。


 耳を傾けるアズルトの反応は悪くはなかったとフェルトは考えている。

 元々感情を表に出すタイプではないので断言は難しいが、重ねられた質問の数々は提供した情報への関心の強さを物語っていたと言えるのではないだろうか。

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