第40話 候補生たちの試練

 人造魔法器官――宝珠。

 ヒトをして兵器足らしむる理外の法は、わずか小指の先ほどの大きさの、半透明な結晶体として世に広く知られている。


 騎士養成学校で候補生が手にする標準宝珠は薄く青みを帯びた八面体だが、位格騎士の用いる宝珠はその色も形状も多岐に渡る。

 これは宝珠の物質的な側面が魔術により構築された仮初の器であることに由来する。

 魔力体と接合した宝珠は、所有者の魔力特性の影響を受け時とともに変質してゆく。

 ヒトをより完成された兵器とするため、名実ともに所有者の一部と化すために施された仕掛けだ。

 変異した宝珠は器の姿にも所有者の魔力傾向を示す。

 世にある数多の宝珠が、それぞれ固有の魔力適性を有する所以でもあった。


 だが以前にも述べた通り、宝珠と魔力体の接続によって生じる変化は、宝珠の側だけには留まらない。

 魔力体――すなわち魂にも、宝珠の要求は深々と刻み込まれることとなる。

 適性のない者が繋がれば発狂、ないしは死亡する狂気と紙一重の術法。

 しかしながら適性があればすんなり扱えるようになるというものでもなかった。

 いや、ほぼすべての騎士を志す者が地獄を見ると言ってよい。

 そのために、宝珠の支給の後には五日の慣らし期間が与えられている。



 ◇◇◇



 銀吹の二節に入り、新入生たちに宝珠が支給された。

 最初の起動は寮の自室にて、教官と寮会の役員立ち合いの元に行われる。

 幸いにして今年の新入生に拒絶反応を示し大事に至った者はなく、ひとつ目の山を無事乗り越えたことに教官も役員も小さく胸をなでおろしたことであろう。

 騎士候補未満の立場にあった新入生も、これでようやく胸を張って候補生を名乗れるようになったわけである。


 もっとも、アズルトからすれば建前にしても実態にしても関わりが薄いイベントだ。

 以前にも述べた通り、記録の上ではアズルトは宝珠の接続とその後の慣らしが済んだものとして処理されている。

 したがってアズルトについて言えば、教会法で定められた手順に則り、バルデンリンド家の宝珠をアズルトに貸与するという茶番劇が交わされただけ。


 茶番である。

 アズルトはとうに宝珠を与えられており、言ってしまえば無駄に手間をかけて予備を取り寄せたようなもの。不可欠な段取りだがアズルトに感慨があろうはずもない。



 そしてその翌々日。

 北寮のアズルトの部屋にはクレアトゥールの姿があった。

 脱ぎ捨てたブーツもそのままに、整えられていたシーツと布団に皺を作りくつろいだ様子で読書に勤しんでいる。


 ほとんど北寮会の公認となっているこの同居人であるが、宝珠の接続においてはその特例を認めることは難しい。授業の一環として教官の立ち合いの下で行われるという点もさることながら、騎士養成学校のカリキュラムで最も重要な位置を占める過程であることが主たる要因だ。

 したがってクレアトゥールもまた自室にて宝珠との接続を受けた。


 それから二晩を経たわけではあるが、未だ多くの生徒は宝珠と繋がったままでは満足に起き上がる事さえままならぬ有様だ。

 魔力体の変性はそれほどまでに心身に負荷を強いる。

 ゆえに普段となんら変わるところのない弛緩した姿を晒すクレアトゥールは、控えめに言ってどうかしている。

 宝珠を切り離してしまえば、多少のぎこちなさが残るとしても相応に動くことは可能だ。事実、騎士を志す者の大半が、最低限度の日常生活を行うためそういったを挟みながら徐々に魔力体を慣らしてゆく。


 そんな事情があればこそ、クレアトゥールの現状を見た誰もが同じことを考えるに違いない。

 直情径行のこの問題児のやることだ、短絡的に不快だからと接続を切り楽をしているのだろう、と。

 無いと真っ先に断じるべき立場にあるアズルトにさえ疑念が過るほど、クレアトゥールはなかった。


「宝珠はどうだ」

 アズルトの曖昧な問いに、本から顔を上げたクレアトゥールはすこしだけ考えるそぶりを見せる。

「ん。ずっと臨戦状態にしてる?」

 返答は疑問形。

 だがアズルトの気を引いたのは、クレアトゥールの発言のまた別の部分であった。


 ――ずっと?

 己が耳を疑った、と言うべきか。

 確かにアズルトは宝珠の接続に先立って、クレアトゥールにその稼働状態を臨戦時の水準で維持するよう助言をした。けれどそれには出来る限りと前置きをしてある。

 アズルトとしてはひとまず到達すべき目標を伝えた気でいたのだ。

 おおよその新入生は、まだ宝珠の起動状態を安定させることにさえ四苦八苦しているはずだ。


「具体的にはいつから?」

「夜?」

「ということはひと晩、宝珠を稼働させたまま過ごしたと」

「ふた晩」

 数秒、無言のままアズルトの視線がクレアトゥールのそれと交わった。

 先に目を逸らしたのはアズルトだ。


「あー、つまりなんだ。初日の夜からずっと臨戦態勢にあるのか」

「なんだよ。言ったのおまえじゃん」

「……いや、夜は切れることが多いと聞いたからな」

「へー」

 えらく棒読みな感嘆だった。

 さもありなん。アズルトの語る宝珠知識はどれも伝聞であり、嘘ではないものの場当たり的なことを口走っているだけなのでクレアトゥールのこの反応はおおむね正しい


「それで体の方は。昨日は他と同じで部屋に籠っていただろ」

「っ! い、言わないとダメか?」

 なんとも珍しい慌てようだ。

 いや初めてだろうか。こんなにも素直に狼狽を面に出すのは。

 さりとて今後に関わる話でもあったため、アズルトに引くという考えはなかった。


「割と重要なところだからな」

「……む、むずむずする。あとざわざわする」

 意を決した様子で口にし、ぶるりと身を震わせる。向けられる視線はなんとも恨めしそうだ。

 気持ち頬が朱に染まっているか?

 アズルトはそんな狐娘を見据えたまま、かすかに目を細める。

 彼女の口にしたそれは明らかな異常反応だった。

 自身の二年前の接続実験ほどではないが、特例に区分けされる案件である。


「魔法器官をどう感じる」

「んー、特には?」

「いや、それをなんとか説明してくれという話なんだけどな」

「ぴったり? きっちり? なんか、ああーって」

「しっくりきた?」

「ん、それ」

 すっきりしたと、クレアトゥールは呑気に伸びをする。

 だが、対するアズルトの脳髄は凍てついていた。

 いくつか併せて問診をしてみれば、クレアトゥールの状態がよく分かった。どうということはない。仮定が根拠を伴い確証へと至ったというだけのことだ。

 ただまあ、口外せぬよう釘を刺しておいた方が良さそうだとアズルトは思った。


「おまえ、だいぶおかしいぞ」

 狐娘の耳と尻尾が一度ぴんと立ち、力なく垂れる。

 不機嫌を示すと身構えていたアズルトはおやと内心で首を傾げる。しかしよくよく考えてみれば未知とはそれはもう恐ろしいものだ。今まさに己が身に異常が生じているとなれば、さすがのクレアトゥールとて気落ちしたところでおかしくはない。

「不安か?」

「そんな気、してたから」

 だがどうにも自らの抱える異質を恐れているわけではないらしい。

 もっとも、それを確かめようなどと考えるアズルトでもなかったが。


「ま、当人が口にしなければ誰もわかりはしないだろう。よく聞く話だと、それはたいそう気分が悪いそうだ。体の中で虫の卵が増えていくような異物感と、それでいてそれらが自分であるかのような自我境界の混濁。表面的な症状で言えば激しい眩暈と嘔吐感か」

「……だから授業もない?」

「そういうことだなー。ここで稼働時間を確保できなかった奴は後々地獄を見る」

 これもあくまで知識だ。アズルトにその地獄とやらを理解する機会は、後にも先にもありはしない。

 アズルトが知るのは刹那の抵抗と痛み、そして虚ろを満たした充足感だけ。


「なあ、もしかしておまえも」

 クレアトゥールがなにかを言いかける。けれど自身の口にした言葉に眉を顰め、「やっぱりいい」と枕に突っ伏してしまった。

 アズルトも手元のノートへと視線を移す。

 口を噤んだならば、アズルトはもうそれ以上その言葉を気にかけはしない。

 ふたりの間にある暗黙の了解のようなものだ。

 クレアトゥールは決してアズルトの詮索をしない。アズルトもまた同じ。クレアトゥールに対し詮索をしない。


 常日頃からともにいるふたりは、余人の目に映るその物理的距離とは裏腹に、互いの間にある確かな隔絶を知っている。

 クレアトゥールを自室で匿うようになり、共有する時間が長くなったことでそれはよりはっきりと浮き彫りになった。

 けれどそれは、互いが是とするものだ。

 現に先の動揺の末の失言を、気の迷いとして看過できるくらいの理解はある。

 そして、クレアトゥールのすぐ横で彼女の状態を紙面で整理できるほどには気を許してもいた。


 筆先が記された『幼年期魔力汚染症』の文字を叩き、染みたインクがその形を歪ませてゆく。

 アズルトは己の至った結論に――いや、結論をどう処理するかに、胸中で溜め息を吐いた。

 この世界で魔法教育がなされるのは、魔力的な自己が確立する十三歳前後からと教会法によって定められている。

 学園の入学資格が十四歳なのも、その形成が完了状態にあるからである。

 しかしながら魔力への感応・親和性といった素質に類する能力は、これ以前の時期に大きく成長することが古い時代の研究によってすでに解明されていた。

 そのため魔法への順応教育というものがこの時期になされるのだが、これは非常に厳格なルールによって管理されている。


 順応教育とは情操教育に近いもので、魔法に対する知識を身に付ける類の教育ではない。

 というのも、この時期に過度の魔力負荷を与えると人格形成に致命的なまでの悪影響を及ぼすことが判明しているためである。

 かつての時代、強力な魔道兵を生み出すため試行錯誤が繰り返された幼年期の魔法教育であるが、その結果は惨憺たる有様であった。

 過度な能力の覚醒が、制御のできない狂った魔法使いを数多世に生み落とし、果てには人類種の存続が危ぶまれる事態にまで発展したのだ。


 現代では魔術に関する知識は教会に集約され、厳重な管理下に置かれている。

 上記の知識ですら禁忌に片足を踏み込んでいると言えよう。

 幼年期魔力汚染症は、幼年期の魔力能の異常発達で人格の変容が確認された者を示す、禁忌として秘匿された知識の中にある呼称だ。

 庶民は知る余地もなく、王族ですら知る必要はないと判断されることだろう。

 アズルトがこの語を知っているのは、その辺りを取り扱った過去作をプレイしているからに他ならない。


 だが、知っている人間も当然いる。

 教会に属する者たちはその最たるものと言えよう。

 さて、クレアトゥールの姓であるサスケントだが、以前にも触れた通りアーベンス王国北西にある大寺院の名である。

 教会で育てられた孤児はその施設の名を姓とする、という慣習があるのだが、クレアトゥールもそれに倣っているというわけだ。


 これだけの魔力能を有する子供を、教会が首輪もつけず野放しにしておくものか?

 ありえないだろう。

 アズルトは断言できる。

 十中八九、幼年期魔力汚染症と承知で学園に放り込まれたのだ。


 ひとつ裏の話をしよう。秘中の秘。教会関係者ですら知る者が限られる話だ。

 天位を持つ騎士はその大半が軽度の幼年期魔力汚染症患者であり、危ういところで人間側に精神性を保てている生粋の異常者である、という話だ。そのため彼らの宝珠には魔力汚染に対する抑制機構が組み込まれていて、病の進行を遅らせているのだということも付け加えておこう。

 ヒトの安寧は、いつ暴走するとも知れぬ狂人たちの手に委ねられている。

 それがこの世界の真の在り様だった。


 先の前提に立つならば、クレアトゥールは天位候補なのだろう。

 壊れず使い物になるかどうか、ここで試験をしようと言うのだ。

 問題はクレアトゥールの症状が軽度か重度かということか。

 幼年期魔力汚染症は進行の程度ではなく、幼年期の魔力侵度で重度と軽度の区分けがなされる。

 軽度は当人の資質次第で天位となり得る。しかし重度に未来はない。抑制機構を用いてなお進行に歯止めはきかず、遠からず人の姿を取った災いと化す。


 殺処分対象の重度を天位候補として送り込むとは考えにくいが、今日までに技術的革新があったとすれば。あるいは研究が続けられているのだとしたら。

 ゲームにおける姿を見ているからこそアズルトには断定が難しい。あれは辛うじて人間の側であったが、廃棄対象とされたキャラと被る部分も見受けられた。


 精神状態が安定していれば急激な進行はないと記憶している。

 軽度なら上手く管理すれば卒業する頃には天位が見えるだろう。重度でも卒業までの最低三年もてば、アズルトにとって不利益は生じない。

 魔力活性による症状の悪化については眼を瞑ることになるだろう。アズルトがやらずともどうせどこからか手が入る。ならば自ら采配を取り効率的に進める方がなにかと都合がよろしい。


 アズルトは淡々とクレアトゥールの未来を勘定する。

 そこに情の入り込む余地はない。いや、死を求めるなら介錯くらいしてやってもよいとは思っている。

 逆を言えばそれだけだ。

 病に死したアズルトは諦念を知っていた。ゆえに、彼女については端から割り切っている。

 なにせクレアトゥールの命運は過去においてすでに決しているのだ。大勢にアズルトの介入する余地はない。

 こればかりは運と言う他ないのだ。


 ――抑制宝珠の取り寄せは保留。経過観察をしながら動きを決める。

 アズルトはいつかの思索と同じ結末へと至る。

 予測通り教会の管轄であれば、必要と判断された時にでも手が入るだろう。クレアトゥールに支給されたものがすでに抑制宝珠であってもおかしくはない。


 だがアズルトはこの己の判断に若干の不満を覚えていた。

 危険は冒せないと小心が囁く。

 それに異論はなかった。アズルトにとっては己が身の保全こそが最優先である。

 しかし、これではあまりにも――面白みに欠ける。


 愉楽とは、アズルトにとって幾つとない行動原理のうちのひとつだ。

 とは言え、物事には順序というものがある。己の趣味に浸る前に、アズルトには片づけるべき課題が山積していた。

 果たすべき役目を思い浮かべながら筆を置く。

 そうしてインクで斑に塗り潰されたページを切り取ると、虚ろな魔炎まほうで燃やし尽くし、灰すらもすべて魔力の塵へと還元した。

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