第39話 北寮の後始末・後

「望むなら手付きってことにしてもいいぞ」

 ウォルトランの名で庇護下に置くこともできる、これはそういった趣旨の問いかけだ。

 言うなれば売約済みの宣言。

 身柄の帰属を明らかにすることで、他者の介入を抑止しようという目論見だ。

 ユリス・ベイ・コルレラータとフェルト、ディスケンスの関係がまさしくこれであり、先だって所有を明確化されたベルナルドも、オルウェンキスに対し同様の位置づけであると言えるだろう。


だ。繋がれるのは、ちょっと困る」

「だから形だけだ」

 クレアトゥールは小首を傾げる。

「そんなの無理だろ」

「そうだな、確かに時期尚早だ。だから動くのは宝珠の慣らしで並み以上の成果を出してからになる」

「本気なのか?」

 珍しくクレアトゥールはその面に素直な驚きを浮かべている。

 アズルトとしては大真面目に語ったつもりで、少々心外であった。


「今のおまえに冗談を聞く余裕あるのか。手段のひとつとして頭に入れておけ」

「覚えとく」

 気持ち耳を伏せてクレアトゥールは頷いた。

 呑んでくれれば楽だった、それはアズルトの事情であるが嘘いつわり無き事実だ。

 それが表面上の形式であれ、クレアトゥールを手中に収めておけばアズルトの取れる選択は大きく広がる。

 公に立場を利用して対処できるというのは何よりの利点であろう。


 先に述べた通り寮会の対応は当てにできない。

 二公派は自分たちにとって有利に働く他寮への立ち入りの自由を、規則によって制限されることを望んでいないからだ。

 たとえ暗黙の了解として、マナーとして競争相手である他の寮への勝手な立ち入りをしないという取り決めが為されているのだとしても、明文化されていないことが極めて重要な意味を持つ。

 まさしくこの度の公国派の行いのように。

 対処に苦心する寮会の姿は、中央の貴族らが求めたそれなのだ。


「こいつを渡しておく」

 アズルトは今しがたカンカ・ディアから受け取ったモノを放る。

「ん?」

「合鍵だ、この部屋の。そこは好きに使えばいい」

 寝台を示すもクレアトゥールの反応は鈍い。

 不可解――と、その双眸が語っていた。


「公女サマがどれだけ非常識でも、ここなら安全は保障される。他寮の男子部屋に押し入ったとなれば、公国にとってとんだ醜聞だからな。人並みの頭を持つ取り巻きがいれば必ず止める。命懸けでな」

 それに、アズルトは木端とは言え仮にも貴族だ。

 事に及んだ際には、その方面での責任を問われることにもなる。


「ただそれ以前の話としてだ。鍵くらいかけろ、そこはおまえの落ち度だからな」

「そういうの、慣れてない」

 耳をぺたりと伏せて不貞腐れたように言う。

 寺院でのクレアトゥールの暮らしを思えば致し方ないところはある。

 同室のチャクにしてもそうだ。施設で育つ子供に私的空間など無きに等しい。

 いや、なにも彼女らの境遇に限った話ではない。

 騎士養成学校イファリスに入学する年齢で施錠の習慣がある者は少数派だ。でなければ寮会に施錠番などという役職が置かれたりはするまい。

 それでも貴族は早々に慣れるものだが、私物の乏しい平民には頓着しない者が多いと聞く。


「安心しろ、忘れたら引っ叩いて教える。続けていればじきに当たり前になるだろ」

「……いていいのか?」

「役に立たなかったのは事実だからな」

 施錠さえ怠らなければ寮室への侵入は防げるだろう。けれど根本的な解決には繋がらない。

 多くに無頓着なクレアトゥールだ。その私生活の穴すべてを埋めるのは土台無理な話。

 であればシャルロットは必ずやそこを突いてくる。

 防ぐためにはなにができるのか。


 それに北寮会の意向もあった。

 カンカ・ディアはなにも事情説明のためだけにわざわざアズルトを訪ねてきたわけではない。

 合鍵を求めたのはアズルトであったが、カンカ・ディアはその選択すらも見越してそれを持参してきていた。

 子山羊の名に恥じぬ洞察力。

 当たり前のことのように差し出されたモノを見た時には背筋が冷える思いだった。


 ただ、今回の動きは副寮会長としてのものだ。

 当人に念押しされたのでアズルトの勝手な思い込みという線はない。

 クレアトゥールがアズルトの部屋を避難場所に選ぶことは北寮会にとっても都合が良いのだ。上手くいけば最小限の労力で問題を片づけられる。

 そして仮に失敗しても、それはそれで糾弾の材料を得られる。

 代償はクレアトゥールの悪評だが、それこそ今さらだ。

 それに悪評が利する部分もある。


「ただの八つ当たりだってわかってる」

 ぽつりと、クレアトゥールの声が落ちた。

 口下手で暴力に頼りがちで、激情に流されることもある少女だが、聡いところもある。こうして失敗を悔やむことだって。

「慢心だな。お互い」

 そして悔やむのはアズルトとて同じ。

 シャルロットの想像を絶する神経の図太さもアズルトが想定すべきものだった。しなかったのならそれは怠慢だ。


 所詮は張りぼて。

 失敗もなく成長できるならきっとそれはとても素晴らしいことだろう。

 けれどアズルトは凡人だ、昔も今も。

 はじめからすべてを完璧になど無理がある。肝要なのは繰り返さないこと。そして最後に勝者として生き残ることだ。

 たとえ戦術的な敗北を重ねようとも、戦略的な勝利を収めさえすればそれでよい。


 クレアトゥールに纏わる厄介事はアズルトの利となり得る。避けられないなら有効活用するだけ。

 失敗くらい織り込み済み。

 劣るがゆえの策。

 アズルトはそうして今日まで生き延びてきたのだから。


「ずるい」

「なんでだよ」

「ん、なんでだろ?」

「あのな」

 もっとも、クレアトゥールの扱いについて言えば失敗云々よりも戸惑いが多い。

「嫌気さしたりしてないのか。ずっと面倒、かけてるし」

「人死には出ていない。怪我らしい怪我も。今回は危ういところではあったみたいだけどな……怒ったか?」

「知らない」

 やや強い語調で即答された。

 怒ってはいないが不満はあるらしい。


「おまえがどれだけ駄目な奴か承知の上で共謀者に選んだんだ」

 気に病むだけ損だぞ、と。寝台に仰向けに倒れ込んでアズルトは軽口のように言う。

「……共謀?」

「お互い、目的があるだろう。そのためであれば使えるものはなんでも使うべきだ。おまえは気づいていないみたいだが、俺はおまえの置かれている立場だっていいように使わせてもらってる。おまえが面倒を抱え込んだおかげで、俺は必要な手札を揃えることができた」

「なにもしてないし」

「そうかもな。だが事実としてオルウェンキスは傍若無人なシャルロットを明確に自らの敵と定めた」


 上体を起こして見遣れば、どういうことかと黄金色が問いかけている。

 クレアトゥールに逃げられたシャルロットの迎撃に赴いたのは、寮会役員であるカンカ・ディアともうひとり、他でもないオルウェンキスだった。

 規則を盾にした論議でカンカ・ディアが惜敗した後、オルウェンキスがシャルロットとランクートを徹底的にこき下ろすという一幕が繰り広げられたと、当のカンカ・ディアが語った。

 論理など無視した相手を貶すだけの言葉の濁流。

 侮辱の文言にはベルナルドに手を出したことも含んでいたそうだ。

 いくらか恣意的な表現になるが、シャルロットは反論ままならず敗走したらしい。


「――そんなわけだ。これまで負けた分はよそで取り返している」

「学食の?」

 クレアトゥールの口からこぼれた単語が意外で、アズルトはわずかに瞠目した。

「いい勘しているな。察しの通り火種を撒いた。手ごたえは感じていたが、ようやく芽が出たわけだ」

 頬杖をつき、悪辣に口の端を歪めて見せる。


「なあ、わざと……うそ、なんでもない」

「そうだな、怪我をさせていたらすべてがご破算だ」

「うぅ、気づいたのに言うのか」

 意地が悪いと尻尾が布団を打つ。

 アズルトは身を起こし、真面目ぶった表情を作った。

「見当違いの気づきは互いにとって不幸だろ。それに、仮にもし確実にこの結果になると知っていたなら、おまえに嫌な思いをさせることを承知で見過ごしただろうからな」


「ん、驚かないぞ。あたしもおまえが酷いやつだって知ってるし」

 顎をすこしばかり上げ、えらい得意気に言われた。

 先ほどのお返しということなのだろうが、なんとも解せぬアズルトである。

「それは重畳。心置きなく組の連中を強請る材料にできるわけだ」

「また悪いこと考えてるのか」

「心外だな。心優しい俺が目指しているのは皆にとっての幸いだぞ。それにおそらく、おまえの悩みにも片が付く」

「任せる。頼った方がいいって、あたしだってちょっと賢くなった」

 そのクレアトゥールの心境の変化は、アズルトにとってこの度の騒動における最大の収穫であるやも知れなかった。


「役立たずと罵られないようきっちり役目を果たさないとな。冗談だ。そう怖い顔をするな」

「してないし。後ろ暗いところがあるからそう感じるんだぞ?」

「言うようになったな」

「使う言葉を考えろって、いつも誰かに言われてるから」

 のんびりと揺れる尻尾を見て、アズルトは寝台から腰を上げる。


「皮肉を口にできるならもう大丈夫か。まだ間に合うだろうから飯をもらってくる。言うまでもないことだろうが誰がきても相手にするなよ」

 注意喚起もそこそこに足早に扉へと向かう。

 その背中に。

「ん、やっぱりおまえは嫌なやつだ」

 クレアトゥールが幾分か不満気な声を投げつけたのだった。

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