第36話 四組のありふれた光景・後
「あんたが四組にいるのは評価方法が悪いって、違うなッ。大層なことを言っているがこれまで欠点が無いってんならそれは、裏を返せば騎士の才能がないってことだろ!」
靴底が机を蹴りつける鈍い音が教室に響く。
高慢に見下ろすばかりだったオルウェンキスがゆらりと立ち上がった。そうしてつかつかとディスケンスに詰め寄る。
「昨日の授業でぼろ負けした腹いせか。どうやら地に這いつくばるだけでは足りなかったようだな」
滲み出す微弱な魔力から、彼にしては珍しく感情的に動いていることが窺える。
痛いところを突かれた、といったところか。今しがたディスケンスが突いたのは、おそらくはオルウェンキスの逆鱗だ。
オルウェンキスは宝珠適性に難を抱えている。卒業を危ぶまれる数値でこそないが、真っ当な鍛え方では並の騎士すら望めない。
非才――それは純血派の名家の生まれにして、偉大な騎士を祖父に持つ彼にとってあまりにも大きすぎる
アズルトやメナのように、己の才能の乏しさを踏みつけてただ上を目指すことだけを考えられる人間は稀有である。
多くは賢しらに自ら背を向けて、目のみを背けるは愚劣な敗者と相場が決まっている。そしていずれも儘ならぬ頓馬な真人間に与えられるのは、精々が捻じ曲がった性根くらいなものだろう。
醸成された劣等感。己を肯定するために他者を捻じ伏せる。アズルトはオルウェンキスをそういった少年と分析していた、
「双方それくらいにしておけ」
仲裁に声を上げたのは四組最大の苦労人、エレーナ・オン・マダルハンゼ女伯爵である。組でただひとり爵位を有する諸侯であることから、貴族の序列としては最上位にあり、オルウェンキスを止めるためこうして度々矢面に立たされている。
疲れた気配を漂わせているのは、本日三度目となる出動だからだろう。
それに、元より役にそぐわぬ人柄だ。肩書はあっても未だ中身は伴っていない。
「オルウェンキス・オンの気持ちは分かるが、事を大きくするのは控えて欲しい。初日の件からこちら四組は教官たちに目を付けられている。こう頻繁に騒ぎを起こしていては組の評価を落とすことになるぞ。それはオンとしても望むところじゃないだろう」
「騒ぎ?」
嘲笑を含んだオルウェンキスの声が返る。
「これは教育だ。無知な平民に貴族であるオレがわざわざ時間を割いて常識を教えてやっている。マダルハンゼ卿はそれにケチをつけるのか? 襲爵しているから立ててやっているが、南部の伯爵ふぜいが何様のつもりだ」
烈火のごとくあったオルウェンキスの怒気が急激に温度を落とし、終いには冷気へと転じてゆく。
「オンはいつもやりすぎる。貴族の力とは弱き者を虐げるためにあるものなのか?」
「貴族の力だぁ。くははは」
呵々大笑。
面に手をやったオルウェンキスが可笑しくてたまらないと身を仰け反らせる。
「勘違いも甚だしい。貴族ゆえに力を持つのではない。力を持つがゆえに貴族なのだ」
諸侯として、マダルハンゼ伯はあまりにも未熟だ。分家の生まれの彼女が、成人を目前に本家の家督を継ぐことを余儀なくされたのは不運と言う他ない。
諸侯たるの教育を満足に受けずに襲爵した彼女には、南部諸侯である以前にその心構えが欠けている。そんな彼女に、極まった純血派の思想を理解できようはずもなかった。
返すべき言葉を見失ったマダルハンゼ伯とは打って変わり、ディスケンスは獰猛に口元を歪める。
「上等だ。力で示せってんだろ。素手の勝負ならあんたに負けねえ」
「屑が吠えるな」
かくて教室には再び一触即発の緊迫が舞い戻る。
クレアトゥール抜きでもこの有様だ。良くも悪くも我が強い者が多い。
それに皆、公国貴族が入り浸っていたせいで鬱憤が溜まっていたのだろう。以前より三割ほど増しで当たりが激しいように思えた。
「待って待って、みんな冷静になりなよ。今回、悪いのはディスケンス。フェルトからもほら、言って」
いつもは静観しているばかりのユリスが、珍しく待ったをかけた。
彼女はディスケンスの保護者とも言うべき立場にあるのだが、関係性としては友人に近く、基本的には放任だ。ことオルウェンキスとの衝突については、彼女もまた腹に据えかねる部分があるのか、我関せずを貫いている。
口を挟んだのは被害がマダルハンゼ伯にまで飛び火しかねない状況だったからだろう。
「えっと、ディカ。オルウェンキス・オンはユリスたちとは違うんだよ。身分を忘れたらダメだ。僕たちは見過ごしてもらってる」
「アタシはオルウェンキス・オンも悪いと思うけどね」
「ユリス……」
「なんでもありませーん」
混ぜっ返すような発言に困った顔をするフェルトだが、ユリスに悪びれた様子は見られない。
こうした態度がディスケンスのオルウェンキスに対する不敬を助長させている側面は否めないものの、態度という点ではそのオルウェンキスこそが最大の難物だ。この辺りの噛み合いの悪さを解決せぬままアズルトの本来の役目を果たすのは、正直言って厳しい。
だが自身の未熟を痛いほど理解しているアズルトだ。クレアトゥールに対してそうであるのと同じように、彼らの内面の問題をどうにかしようなどというおこがましさは抱きようもなかった。
この諍いを前にアズルトが思案を巡らせるのはただひとつ、これまでそれを押さえつけていたもの――外圧の重要性についてである。
「マダルハンゼ伯爵にも迷惑をかけてる」
「フェルト。てめーもそいつ……オルウェンキス・オンの肩を持つのか」
「僕はいつだってディカの味方だよ」
当初より平民グループのリーダーとの印象の強いフェルトだが、ディスケンスとの関りを説けば弟分となるだろう。
この辺りにも面倒事の匂いは漂っているのだが、それはそれ。目下の騒ぎは収束に向かいつつあった。
「ちっ。俺が悪ぅございました。これで満足かよ」
「下らん」
ディスケンスの取って付けたような謝罪を、オルウェンキスは鼻で笑う。
だが、先ほどまでの気勢はすでに消え失せていた。
彼にとって己に向けられるそうした形式的なものは妥協の許せる部分だ。だからこれは単に白けたといった類の俗な感情に起因する変化であり、憤懣は未だ彼の内で燻っているのだろう。
舐めるように、けれど鋭く教室内を見渡す眼差しにその片鱗が窺える。
そうして最後にアズルトを視界の中央に留め、不機嫌さをより深めたようであった。
アズルトはそっと目を逸らす。
なに見てやがると言われた気がしたのだ。
アズルトとてクレアトゥールとひと括りにされる四組きっての危険物。そんな輩がヒト様の行いの良し悪しを測るとはなんたる傲慢、とはアズルトの勝手かつ適当な解釈だ。
組での立場を鑑みるに、妥当な線ではあったろうが。
「犬のお遊戯に付き合うほど暇じゃない」
ディスケンスへと視線を戻したオルウェンキスは侮蔑の言葉を吐き捨て、踵を返すと教室から去っていった。
追って飛び出したのは同じ純血派諸侯の跡取りであるダニール・オン・ルクロフーブ。オルウェンキス配下のベルナルドは教室に残るようだ。
役割分担ができている辺りに、群れるだけの他のグループとの違いが見て取れる。
なんにせよ、今回は私闘にまで発展せず片が付いたようであった。
アズルトは遠慮せずやればよいなどと考える側の人間だが、ヒトは見せかけであれ安寧を好む。その場しのぎであろうとも、今が解決すれば万事それで事もなし。そうして次の巡り合わせに再びため息を漏らすのだ。
自業自得。
オルウェンキスの行いもまた。
他人を下に置いた分だけ負債を重ねる。
墓穴掘り。滑稽な道化だ。
未だ候補生たる証も持たぬ新入生の優劣など語るも空しい。平民ならばいざ知らず、侯爵家のオルウェンキスであれば重々承知のはずである。
騎士教育のスタートラインに立ち改めて格付けが為されたとき、如何にして自らの立場を取り繕うのか。火種は今もそこかしこに生まれている。
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