第35話 四組のありふれた光景・前
学食でのシャルロットとの遭遇から三日が過ぎた。
あれ以降、公国貴族は目立った動きを見せていない。クレアトゥールに対するもののみならず、四組全般への干渉が途絶えていた。
足並みの揃った公国貴族の動きは、その背後にある強固な主従関係を窺わせる。
だが彼らは唯々諾々と命に従うだけの傀儡の集団ではないだろう。おそらくはこれを機にクレアトゥールから手を引くよう説得を試みるはずだ。
成功の見込みは薄いとアズルトは考えていたが。
平民、それも獣人にしてやられたまま引き下がれるのかという話だ。報復を求める声は少なからず出る。
もっとも、それも燃え広がりはしない。
今回の騒動にはアズルトの関与がある。クラウディスが家との繋がりを否定しようと、バルデンリンドの影を見る賢しい輩が必ずや現れる。邪推だが、アズルトがバルデンリンドの意向で在学していることを踏まえれば、事実無根と言うのも嘘にもなろう。
最終的な落としどころは決まっているようなものだが、今のように側近らの方針が食い違っている状態では、あのプレイヤーの歪な確信は
状況を動かすにはもうひとつくらい大きなピースが必要だった。
水面下で次の動きに備える公国貴族らとは対照的に、四組の面々は実に呑気なものだ。
外野の眼が無くなるとこうも容易く気は緩むものかと、アズルトは胸の内で歎息する。
四組の教室には、公国貴族が出入りするようになって鳴りを潜めていた、入学当初から続く見慣れた光景が戻っていた。
「貴族サマよ。俺たちをバカにすんのはいいけどな、いつも偉ぶってお高くとまってる癖に、礼儀作法の授業ではダメ出し喰らってる姿しか見てねえぞ。貴族としてのお勉強が足りてないんじゃねえのか」
腕を組み顎を上げ、物怖じすることなくオルウェンキスに啖呵を切ったのは、平民グループの腕っぷし自慢、ディスケンスだ。
リーダーであるフェルトの幼馴染で親友なのだが、落ち着いた性格のフェルトとは正反対のこの通り粗野な人物で、アズルトほどではないが友人が少ない。
だが彼はこれでいてなかなか、平民グループに欠くことのできない人物でもあるとアズルトは分析している。
事の発端は、平民たちが勉強の悩みを話しているところに、オルウェンキスが余計な口を挟んだことにある。
ディスケンスが委縮する少年たちとオルウェンキスとの間に、上背のあるその身を割り込ませるようにして言い放ったのが先の台詞だ。
まあ、四組にとってはいつものことである。
クレアトゥールの問題行動があまりにも大きいためその陰に隠れがちだが、初日の切っ掛けを作ったことからもわかるようにオルウェンキスも大概だ。
「無学を誇るな平民。蒙昧な貴様が知らんだけでおれの作法は完璧だ」
最上段から見下ろしながら、オルウェンキスはせせら笑う。
「他人を
とばっちりを受ける形になったユリスが「馬鹿ディカ」と頭痛をこらえるように額を手で押さえた。
騎士養成学校の貴族教養で学ぶことになるのは基本的に宮廷貴族の作法だ。ランクートとハルアハは各々の国の作法が選択形式で評価対象に挙げられているが、騎士貴族の伝統的かつ実際的な作法は評価対象とされていない。
見たところ、北方出身のユリスもこの分野では苦労をしている。
馴染んだものが認められないばかりか、騎士としては非合理なものを要求されるのだから、どうしても飲み込みが鈍る。
こと常在戦場を心得としている騎士貴族とは致命的なまでに相性が悪い。
オルウェンキスは指導を拒絶しているし、ハルティアはのらりくらりと流している。ダニールは切り替えができるようだが、咄嗟の動きでは従来の作法が出る辺りやはり純血派だと感じられた。
コルレラータ家は生粋の純血派の家柄ではないが、派閥としては純血派に属するれっきとした騎士貴族だ。そんな彼女が必死に宮廷作法を学ぼうとしているのは、フェルトやディスケンスらに合わせるためであろう。
作法の不出来を嘲笑うことは習得を放棄しているオルウェンキスよりもむしろ、学ぼうとしている彼女に響く。
机の下で控えめに袖が引かれた。
隣を見れば、ノートを眺めていたはずのクレアトゥールが珍しく騒動を瞳に映している。
「甘いのか?」
「そうだな、例えば……」
クレアトゥールの持っているノートを引き寄せ、そこに『敬語』と記す。
「指摘するのを早々に止めただろ」
言葉遣いについて、オルウェンキスは殊のほか寛容だ。猿に品位を求めるだけ無駄などと言っているようだが、この少年の行動を分析するとなかなかに面白い。
実のところ四組でまるで敬語を使えない人間というのは、たったの三人だけだ。
敬意の意味すら知るか怪しいクレアトゥールと、あろうと言葉に頓着しないキャスパー、それに敬意が言葉から完全に切り離されているガガジナの三人である。
オルウェンキスに口汚く罵声を浴びせかけているディスケンスでさえも、下手くそながら使っているところは耳にする。
ただ、はじめは違っていた。
オルウェンキスに対するときのものと比べれば可愛いものだが、ディスケンスは貴族を嫌っていると思しき、粗雑な態度の目立つ少年だったとアズルトは記憶している。
庇護者とも言えるユリス・ベイ・コルレラータやその友人であるココト・ベイ・クレファムダらに対しては嫌気の類を持たぬようであったが、敬っている様子もまた見られなかった。
そんな彼が言葉を改め始めたのは、高圧的なオルウェンキスへの当てつけとしてであった。礼儀くらい弁えているが、あんたには使わない。彼は行動で言外にそう示したのである。
それから程なくしてのことだ。オルウェンキスの平民への言葉遣いに関する小言がぱたりと途絶えたのは。
アズルトはこれを、オルウェンキスの平民に求める水準がその辺りにあるためだと考えている。
つまりオルウェンキスは別に自らに対する敬意を求めているわけではない、ということだ。そも敬語を使う意思があるのか、いざというときに使えるのか。関心はこれらにあって、形を取り繕うことすらどうでもよいと考えている。
そこが実に面白く、そしてアズルトが甘いと考える所以であった。
普段の勉強のようにその辺りを箇条書きでノートに記してゆく。
「それ、甘いか?」
クレアトゥールの繰り返される疑問に、筆を滑らせ「分相応。役割や器量を超えた成果は求めないが、その範囲での結果は出させる」と答える。
その上で言う。
「相手を見て、合わせて。優しいものだろう」
オルウェンキスは悪口雑言が服を着て歩いているような少年だが、驚くほど中傷は少ない。他人を貶めるときには的確に相手の欠点を抉るようにして罵ってくる。極めて性質が悪いが、彼がそれだけ組の人間をよく見ているということの証左でもあった。
己の愉悦と直結しているのは少々考えものだが、見方を変えてやれば欠点の指摘の大盤振る舞いである。おまけにそこには自身の好悪を挟まないときている。
「……おまえは明日から苦手な貴族の作法の克服な」
例えの意味で、アズルトはそんな提案を傍らの礼など知らぬ少女に投げかけてみる。
刹那、クレアトゥールが硬直した。
そうして戸惑いを乗せて呟かれたのは至極当然の応え。
「無理、だぞ?」
「知ってる。だからおまえに貴族的なあれこれを求めたことなんてないだろ。つまりはそういうことだ」
「んー、おまえのはちょっと違うと思う」
「まあ、そうなんだが。そこを拾うのか……」
不要――それが至極簡単なアズルトの直接の動機だ。真に必要なものであったならば、彼女の意思など関係なしに、アズルトはそれらをあの手この手で仕込んだだろう。
ただアズルトとしては、その鋭さをもっと柔軟に活かしてほしいところであった。
そうしてアズルトがクレアトゥールに解説をしている傍ら、教室で繰り広げられる罵声の応酬は激化の一途を辿っていたのである。
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