第33話 傾向と対策
「なあ、あたしはなんでそんな奴らに付きまとわれてるんだ?」
重ねて振られた問いは、余計な知識の多いアズルトにはいささか答え辛いものだった。なのでそのままメナに託してみることにしたのだが、どうやらこの聡明な少女をして答えに窮する類の難問であったようだ。
「謎です。遠因に心当たりはありますが、不可解な部分が多すぎて。直に話してみて気づいたのは、私たちを標的にしているのがシャルロット殿下個人である可能性が高いということですね。アズルトはどう思いますか?」
すこしだけ考え、言葉を選びながら応える。
「同感だ。よく来る貴族たちと違って強いられている素振りが見られなかった」
「そうなのか?」
「ずいぶん淡泊な反応だな。アレが元凶だって話をしているんだぞ」
「なんか、色々知ったら相手にするのが面倒になった」
「元々――」
「もっと面倒になった」
ぺしぺしと尻尾で叩かれる。
これまでにない新鮮な反応だ。他者との接触を極端に嫌うこの少女にしては、ずいぶんと攻めた感情の表現方法だった。
「うー。嫌だ、相手したくない」
ぐったりと寝台に倒れ込む。
らしくない話になんとか食いついてきていたが、その集中力もどうやら限界を迎えたようだ。
完全に気が抜けていてスカートの裾に若干の不安があるものの、その内の傷が見えたところでメナは触れぬであろうから指摘するのは藪蛇だろう。
「とりあえず今節は耐えろ。来節になれば状況も変わる」
そろそろ飴も必要と判断したアズルトは、いくらか希望も示しておくことにした。
「なにかあるのか?」
「宝珠が支給されるだろ。あれは労もなく扱えるような代物じゃないからな。しばらくは自分のことで手一杯になるはずだ。他人にかまけている余裕なんてないさ」
「それはすなわち、騎士としての資質が明らかになるということです。いま私たちに与えられている評価は仮のもの。統計的に見て候補足り得ると判断されているだけのただの魔法使い。騎士候補の評価が初めて下されるのがここです。例年、平民の候補生の争奪戦が始まるのもそれを待ってからですね」
「――ぇ、増えるの」
その呟きに題を付けるなら、絶望感をおいて他にあるまい。
起こしかけていた身体から再び力が抜け、完全に布団に突っ伏してしまう。
アズルトの目論見は得てして失敗の憂き目にあうものだ。敗因はメナに発言の意図を伝え忘れたことにあるわけだが、そこまで見えていれば度々の失態などありはしない。
「全体の傾向としては確かにそうなんだが。安心しろ、おまえには関係のない話だ。教会の札付きに声をかけるのは頭がおかしい奴だけで、まあたぶん、あのお姫様くらいなものだろう。そちらについてもおまえは
うつ伏せのまま『なんで?』と疑問を主張してくる。
なかなか器用な奴だ。
「公国貴族はおまえを嫌っていたろ」
「ん、なのに話しかけてくる。死ねばいい」
くぐもった声で怨嗟を吐き出す。
「連中も似たようなことを思ってるだろうな。メルフォラーバ人は人間を中心とした血統主義の民族だが種族的な貴賤意識は薄い。妖精や鬼のメルフォラーバ人もいるだろ。だが、獣人だけは話が別だ。ニザの発生以降に急速に数を増やした獣人だが、帝国に種としての獣人はなかったとされている。だから彼らは獣人を帝国外の存在として同格に見ていない」
「本当のところはニザ西部一帯を支配する
「優等生のメナ嬢が毒を吐くなんてな」
辛辣な言葉は割とよく耳にするのでアズルトはすんなりと受け入れたが、組の者たちが耳にしたらちょっとした騒ぎだろう。
「知りませんでしたか、私は傲慢な女なんですよ」
ただ、クレアトゥールを見つめながら呟かれたその言葉には警戒を禁じ得ない。この話の流れで出てくると聞きようによっては宣戦布告とも取れるからだ。
予告だろうとアズルトは読む。
騎士としての己を真とするメナであるから、その本質に深くかかわるこの件を貴族的な曖昧さや駆け引きで濁すような真似は嫌うだろう。であれば、仕掛ける折には誤解の余地なく断じてくる。
宝珠を得て、メナが騎士の技量をいかに伸ばしてくるかが焦点となるだろう。そうして提示される利に勝るものをアズルトがその時までに用意できなければ、クレアトゥールの関心は自ずとアズルトから離れてゆく。
この度の取引、メナにとっては前哨戦のようなものなのだろう。
こぼれそうになるため息を肺の奥へと押し込む。
「そんなわけで、奴らにとって獣人を身内にするなんてのは言語道断だ。今は嫌々従っているが、評価が出ればなにかと理由をつけておまえを除外しようとするはず」
「希望的観測、だな」
「まあな。あんな頭のいかれたお姫様の行動を読み切れるか」
「でも、煩わされるのは御免ですよね」
意味ありげにメナが言葉を差し挟んだ。
「……もしかして押し付けるつもりで誘いに乗ったのか」
思い出されるのはシャルロット来襲の件。
あれは明らかにアズルトらしからぬ振舞いだった。眼前のシャルロットなど二の次で、食堂全体に意識を配っていたところまでメナには把握されている。
彼女の聡明さにはおそらくそれで事足りたのだ。
アズルトが対抗策を練っていること。そして今が仕込みの段階にあること。
「入学する際に俗世の事柄とは縁を切りましたから。騎士会の相談役は引き受けましたけど、騎婦人の会はもう名前を貸しているだけの状態です。貴族の集まりをすべて断っているのには気づいていると思いましたけれど」
「見合う対価があれば手を貸すんだな?」
「アズルトのそういうところが嫌いです」
言葉とは裏腹にメナは可憐な笑みを見せる。瞳の奥底に鋭い刃を覗かせながら。
好かれているとは思っていなかったが、可愛い女の子に面と向かって言われると傷つくものだ。そんな呑気な考えに興じていられるのも、原因が己の発言にあることを承知しているからである。
対価とは他ならぬクレアトゥールのことだ。それを条件に協力を求めるということは、手放す意思が微塵もないことの宣言に等しい。
要は、先のメナの遠回しな予告に対するアズルトなりの嫌味だ。
クレアトゥールを誰かに譲るなど論じるのも馬鹿らしい。
それほど易い少女ではないのだ。シャルロットは論外として、メナであっても必ずや持て余す。
己の糧とするため側に置いていることは否定しない。学園に入った理由の半分はそれなのだから。
だが、秘匿すべき己の異質を曝け出す根拠としてはまだ弱い。
主命を果たす上で最大の障害となり得る存在だからこそ、アズルトは出し惜しみなどせず全力で彼女の掌握に努めている。
アズルトらの心中など知る由もないクレアトゥールは、揺らしていた尻尾を止めて胡乱な眼差しをメナに向けていた。
「元々こちらでなんとかするつもりだった。だけどな、こいつの心の平穏は四組の皆も願うところだろう」
アズルトの立てている策はメナの存在を考慮してはいても組み込んではいない。
だから助力はあくまでも保険で、そして将来に禍根を生まぬための譲歩でもあった。
「こういう機会でもなければ口にできないと思いますから言葉にしておきます。アズルト、私はあなたが嫌いです」
こうなる予感があればこそアズルトはメナとは距離を置ていたのである。
彼女がアズルトにとっての鬼門であるように、アズルトもまた彼女にとって除くに難い障害なのだ。
「知ってた。だからそう何度も繰り返すな、心証が悪くなるぞ」
「大丈夫ですよ。そんなことで判断を誤るような人じゃありませんから」
不本意さを示すように、ずいぶんと遠回りをして承諾を示される。
拗ねているのだと表現を改めてみれば可愛げもあるかもしれない。当人の耳に入れば殺気で返されそうな話であったが。
ついと袖が引かれる。
「気兼ねしないってこういうことじゃないと思うぞ」
何事かと思って顔を向ければ、脱力しそうな文句に迎えられる。
「言葉で殴り合いながら笑っていられる、いい関係だろ」
「ふうん、笑ってるとこまだ見てないけどな」
「俺は感情に素直なんだ」
じっとりとした眼差しで見つめられた。
心なしか先ほどまでと比べ袖を摘まむ指に力が籠っている気がする。
「……まあ、なんでもいいや」
指先が離れる。
クレアトゥールには割とよくあることなのだが、その関心の振れ幅には妙な肩透かし感を否めない。
「おまえね、言葉を尽くして毎度そうやって流されると、空虚な気持ちになるからやめなさい」
「んー」
「……仲がよくて羨ましいですね」
さっと血の気が引く。
たいへん美しく微笑んでいらっしゃるが、アズルトを映す青は氷のような冷ややかさを湛えていた。もはや殺気に近い。
クレアトゥールを見遣るとぼんやりと見返す黄金色とぶつかる。過程は理解していないだろうが、すべきことはわかっている様子だ。
そしてそっと逸らすとひと言。
「それほどでもない」
「そこそこ?」
銘々に口にした。おそらく無難な回答だったと思われる。
ずっとクレアトゥールを観察していたメナならば、アズルトらが真っ当な仲ではないことくらい気がついている。
下手な否定や肯定は無用な情報を与えることに繋がる。
「いいですよ。仲間外れの私は退散しますから」
話はこれまでとメナが腰を上げた。
アズルトも引き留めはしない。
「今日は助かった」
「お礼、忘れないでくださいね。それから――」
助力が必要ならお早めにと言い残し、相も変わらず洗練され切った歩みで去っていった。
かくて遠因――ランクートによるアーベンス侵攻の可能性については触れられることのないまま、メナによるランクート講座は終了と相成ったのである。
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