第31話 ランクート公国の実像2
「ランクートがアーベンスに並ぶ、それも余力のある国ということはわかってもらえたと思います。これが公国の外形ですね。次はその内側について話をしていきたいと思います」
お茶でひと呼吸置いていたメナが講義の再開を口にする。
クレアトゥールも気持ちを切り替えるためか居住まいを正した。
「端的に言えば、ランクート公国とはメルフォラーバ人の国です」
早々にクレアトゥールの頭が傾く。
都市単位で
サスケント寺院は少々特異な環境だが、教会組織としての格が高いがゆえに、かえって民族といった狭い括りでの縛りを持たない。
元々人種などとは無縁の獣人ともなれば、そもそもそうした価値観さえあるのか疑わしい。
「『メルフォラーバ』とは、クアルアネハル時代の後半にベリトラーシュ大陸の半分以上を支配領域としていた帝国の名ですが……」
「それは知ってる。ニザが出来て滅びた」
感覚として理解はできずとも、知識としては把握しているようだ。
「滅びたんだよな?」
疑問の眼差しがアズルトに向く。
この辺りアズルトと同じく習慣だろう。
教師役のメナに視線で断りを入れ、代わりに答える。
「帝国は滅びでも、そこで生きていたヒトまでもがすべて滅び去ったわけじゃない」
「生き残りがメルフォラーバ人?」
「そこが面倒なところだな」
「ニザ後、今日ではルンテ・セチナと呼ばれる時代に入って、メルフォラーバ帝国の末裔はその在り方から大きく三つに分かれました。生まれ育った地を離れなかった残留組、避難することで生き残りを図った転地組、メルフォラーバの継承地を求めた帰還組」
教会が定める共通の文語により支配されるラケルであるが、集団同士の交流が断絶しがちな歴史にあって、口語はその時々によって形を変えてきた。
だがメルフォラーバ帝国の長い治世が及ぼした影響は大きく、ベリトラーシュ大陸には公用語と呼ぶべきものが形成されるに至っていた。
その後、ルンテ・セチナ時代初期の極限環境から文化面での断絶が相次ぎ、クアルアネハル時代の民族区分の多くは意義を失ってゆく。
そうして生じた空白にメルフォラーバ帝国の末裔という概念が入り込み生じたのが、今日に至るベリトラーシュ大陸の民族意識である。
「この内の残留組と転地組をメルバ人、帰還組をメルフォラーバ人として私たちは呼び分けています」
隣を窺えば真剣そのものの横顔。
だがアズルトには、そこにいくつも並べられた疑問符が見て取れる。
「遊学の際に見たいくつかの文献によると、ムグラノ地方はメルフォラーバ帝国がまだ王国であった時代に領土としていた地域であるそうです。メルフォラーバ発祥の地というわけですね。そしてそれゆえにメルフォラーバ帝国を継承する地として、帰還を望む者たちの目的地となりました」
案の定と言うべきか、クレアトゥールがちらりと視線を寄越した。
根本的な部分からわからない、と。
「メルフォラーバ人を自称する帰還者らは、ニザ後の世界に生きる縁(よすが)を得られなかった者たちだ。想像を絶する苦難の日々に耐えかねた者であったり、移り住んだ土地で根付くことに失敗した者であったり、背景はまあ色々だな。彼らは自分たちを規定する言葉を欲していた。縋るモノを求めた。そうしたなかでメルフォラーバ発祥の地なるものがあることを知り、存在意義を過去の栄光に見出した。帰還の先に彼らが夢見ているのは、メルフォラーバ帝国の再興とかいう幻想だ」
「難しい、な?」
頭の回転が速いこの獣人の少女は、その気にさえなっていれば、この程度の言葉は理解する。
ただ、感覚が追いつかないのだ。
知識が机上のモノであり、血肉が通っていない。生きていないと納得できない。
そうしていつも思考の足が止まってしまう。
「苦しくても目的があれば乗り越えられるだろう。奴さんたちにとってのその目的というのが、またメルフォラーバ帝国を築くことなんだ。帰還はそのための手段であり、方便だな」
「方便?」
「土地を奪いに来ましたと馬鹿正直に喧伝するのか」
「ん、納得した」
尻尾の先がご機嫌に揺れる。
満足したようでなによりだと、アズルトは胸の内でひとり頷いていた。
「慣れていますね」
「勉強を見ているからな。慣れみたいなものさ。続きを頼んでいいか」
「そうですね、少しムグラノの歴史を勉強しましょうか。メルフォラーバ人の集団帰還が始まったのが前の時代、ルンテ・セチナの終わりごろから。当時のムグラノ地方については史料が散逸していて、詳しいことは明らかになっていません。表向きには、ですけれど」
だから内緒ですよと前置きをして、メナは当時すでにムグラノの残留メルバ系がメルバ・イドラ人と呼ばれていたこと、イドラ人とアメノ人が今は樹獄のある一帯に広く居住していたこと、そして彼らムグラノの民とメルフォラーバ人との間で大規模な衝突があったことを簡潔に語ってくれた。
ソトゴニア地方とウダ・ガヤン地方の主教座が暗躍していた件については言及を避けたようであった。
それは正しい判断だとアズルトも考える。
教会組織の闇に触れるには、クレアトゥールはいささか無知に過ぎる。
メナが知らなかったという線は、その見識の広さとバルデンリンド贔屓からして薄いと考えられた。
アズルトはメナを高く評価しているからこそ、強く苦手意識を抱いているのだ。
「年号が後レナルヱスタに変わってからも争いは続きました。アメノ事変の起こりがいつだったのかは覚えていますか?」
「んー」
「後レナルヱスタ教会暦二一五年にアメノ事変が起き、大規模な空間の変異が確認された。守護者の討滅を終え門の封印が成ったのは同暦二四六年。大迷宮の封印に三十一年というのは主教座の執行能力が疑われる数字だ」
軍事はともかく政治にまったく関心のないクレアトゥールは、相も変わらず首を傾げるだけだ。
メナは曖昧に笑って話を先へと進める。
「ムグラノ教会が編纂している地方史にはこうあります」
言ってアズルトの用意した本を開くと、該当する記述を示す。
そこには『アメノ大迷宮の発生によりメルファラ同盟が発足され、ムグラノが団結し大迷宮の封印に臨んだ。そしてこれがアーベンス王国の基礎となった云々』という内容が、けったいな言い回しで記されている。
事実よりも見栄を優先する国々がよくやる『捏造された歴史』というやつだ。
この件における主犯は国ではなくムグラノ主教座になるのだろうが。
「ここまで色々と聞いてきただろう。世の中どこもかしこも嘘だらけってことさ」
達観した言葉で補足を加えたアズルトを、なぜかクレアトゥールがぼんやりと見つめてきた。
この無愛想な少女をよく見ているアズルトには、それが深く何事かを考えているときの顔であると気づけた。
自嘲が声に出たのかと、瞬間的に脳裏をかすめるのはそんな考えだ。
嘘の塊のアズルトが世の欺瞞を小馬鹿にする。なんともまあ皮肉の利いた話ではないだろうか。
だからそれが原因かと考えたのだが、そうであるならもうすこし直接的な反応が返ってきそうなものだとも思った。
そんなアズルトの消化不良な内心など知る由もないメナが、アズルトに続きを振った。
「事実については適任が居られますから、お任せしますね」
「アメノ禍の只中にあってなお戦いは続いたばかりか、戦況は激化の一途を辿った。内部対立すら生む泥沼と化していたからな。メルファラ同盟は教会本部の要請によって重い腰を上げたバルデンリンドが、教会本部の威光と自らの武力とを背景に結ばせた和平条約だ。その後に建国されたアーベンスは、要するにムグラノの枷だったわけだ」
アズルトは簡潔に筋だけを抜き取って伝えた。
事実すべてを説明するには互いの虐殺の歴史まで語らねば足りず、けれど今を知る上ではさほど重要ではないと判断したためである。
なにを考えていたのかはわからず仕舞いだが、クレアトゥールの意識も目の前の課題に移ったようであった。
「
ツィベニテア家は当然知っている側だろう。
経緯は定かではないが。
「そしてアーベンス国内のメルフォラーバ系貴族の間にも、実は細々とですが伝わっていたんです。歪みは巡り巡ってアーベンス王国暦一九七年、アメノ臨界の折にランクート公爵領が周辺のメルフォラーバ諸侯領とともに独立を宣言するという形で噴出し、今日に至っています」
「疑問があるなら早めに言えよ」
悩み呆けているクレアトゥールの背中を押す。
「あのさ、なんでメルフォラーバ人はメルバ・イドラ人と戦ったんだ?」
「ああ、そうだな。おまえの場合はそこからだよな。まず、メルフォラーバ人はメルバ系を同じメルフォラーバの民と考えていない」
「帰還者らの根幹を成している考え方、『メルフォラーバ主義』について先に触れておきましょうか。彼らには自分たちメルフォラーバ人こそが帝国の正当な後継者であるのだという選民意識があります。そのために血統を重んじているのですが……」
これでは伝わらないとひと足先に気づいたメナが言葉を探す。
「まあ血統だとかは難しいだろうな。意味だけを取ると、メルフォラーバ人が帝国を継ぐためには理由が必要なんだ。余所の連中が帝国の継承者を主張したとしても捻じ伏せられるだけの確固たる理由がな。メルフォラーバ人にとってそれは『帝国時代から変わっていない』ということ。メルフォラーバ人同士でくっついて
「あたしにはよくわかんないけど、ちょっと理解した」
「ムグラノでは滅多に語られることがありませんが、そもそものお話としてアーベンスの主要民族であるメルバ・イドラ人の混血思想は、世界的に見れば異端の考えだったりします。
事実無根の単なる信条とも言えぬのが、彼らを主流派足らしめている理由だろう。
種の特性はおおむね純血に近いほど色濃く出る傾向にある。
新たな役割を求められ生み出されたのが異なる種なのだから、その形を役目に即したものとして保持するのは実に理に適った思考だ。
けれどアズルトはその本質が別のところにあると知っている。
利便性だ。
多くは教会にとっての、そしてクアルアネハル時代の末期にはメルフォラーバ帝国にとっての、ヒトを管理・運用する合理的かつ効率的な手法として、特定の形質の維持が推奨されてきたのである。
「彼らにしてみれば、自分たちの起源である聖域に異端者が蔓延っているといった認識なのです。自分たちが支配者となり在るべき姿に戻す、そんな側面もあったのかもしれませんね」
「……満足してなかったりするのか?」
国を得てもという意味だ。なかなか核心を突いてくる。
アズルトと同じ思いを抱いたのだろう。メナが柔らかく微笑んだ。
「当たりです。大昔の話はこれくらいにして、今に目を向けてみましょうか」
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