第29話 騎士狂いと取引

「俺の部屋なのか……」

 ランクート公国について教えを乞うべく、メナに連れられてやってきたのは北寮にあるアズルトの自室だった。

 自身でも候補には入れていたアズルトだが、真っ先に選ばれるとまでは考えていなかった。敵情視察という単語が思い浮かんだが、そっと頭から締め出す。

「ここよりも安全なところをは思いつきませんから」

 軽く室内を見渡してメナが断じる。

 機密に親しんでいるだけあってなんとも目敏い。


 同居人がいないのをいいことに、アズルトは部屋を好き勝手に弄り回している。

 防諜用の儀式場モドキもそうして組み上げた細工のひとつだ。もちろん、いつ捜査の手が入ろうと特別な何かを掴ませることのないよう工夫はしている。

 複数個の魔導器で形成する似非えせ儀式場は非常に不安定で壊れやすい。配置をミリ単位で動かしただけで機能しなくなるとても不便なものだ。だから世間ではほとんど使われることがなく、をそうと看破するのは困難を極める。


 扉のすぐ脇に置いてある指向性の音声攪乱効果を持つ魔導器を所定の場所に移し、儀式場を起動させる。その上でひとつの問いを投げかけてみた。

「寮会の個室の方が安全じゃないか」

のに聞くなんて、アズルトは意地悪ですね」

 誰がとは、この二人にとっては要らぬ言葉だった。


 北寮の寮会役員、本科四年の赤騎士カンカ・ディア・ガスチャ。

 偽物のアズルトなどとは異なる、本物の子山羊である青年だ。

 諜報分野に卓越した才を発揮しており、その分野であれば黒位と張り合えるだけの実力を有する。

 アズルトが学園でもっとも信を置く人物でもあった。


 比較対象をはっきりと口にされた以上、儀式場の防諜能力がどの程度レベルのものかおおよそのところは把握されていると見てよい。

 それでいて不足などを指摘されないところからして、生徒が用意できる設備としては上限に近いのだろう。


「メナ嬢の御眼鏡に適う人物が他にいるなら、俺も頼りにさせてもらおうと思ったんだが」

「北寮ですので」

 仕方のないことだとメナは微笑む。

 北寮、ひいては四組とは元来、入学試験の評価値不足で落とされているような魔道や武芸の偏重者であったり、人格面に問題ありと教育を半ば放棄された厄介者であったりが、使い物になれば幸いと放り込まれて形成される寮であり組だ。

 個人主義の傾向が強く、信だの義だのを解さない輩は多い。

 実力はあっても人間性に難がある。集団としてのまとまりに欠き、他人を食い物にすることに慣れている。

 頼る相手としてこれほど不適格な者らもないだろう。


「納得できてしまうのが悲しいな」

 実のところ今年の四組はかなり出来が良い。

 不正で実力を誤魔化しているアズルトやメナを抜きにしても、集団としての能力は例年の比ではない。クレアトゥールが真っ当にヒトをしているからというのが大きいのだが、それは脇に置いておこう。


 理由ははっきりとしている。

 バッテシュメヘ教官が以前述べていたように、入学希望者の母数が平年と違ったのだ。

 今年は第二王子ルドヴィク殿下を皮切りに諸王族が学園に揃う。足並みを揃えるように諸侯もまた子弟を送り込んだ。そしてそれらを目当てに立身出世を狙う泡沫貴族、果ては貴族の愛妾を志す平民に至るまで幅広く志願者が殺到した。

 二組が丸々ひとつ分追加されたような塩梅だ。

 結果としてオルウェンキスやハルティアを筆頭に、本来は三組に配属されていたであろう者たちが北寮に流れてきたというわけである。


 そんな状況下で、ほぼ戦闘技能だけで入学を果たした特別武力加点評価合格特武者のクレアトゥールとキャスパーが、人間として欠けている部分が多いのも、致し方ない話ではあるのだろう。

 もっとも、それを考慮するもしないもアズルトの自由である。

「んー」

 もの言いたげな、というよりは語っていると当人は考えているであろう声と瞳が、傍らからアズルトへと向けられていた。

 時おりその目線が隣へと移ることから、その意図が察せられる。

 クレアトゥールの思考を読み解いたらしいメナが応えようとするが、アズルトはそれを止めた。


「ものぐさ娘」

「おまえだって省いてるくせに」

「夕食までこうしてるか」

 尻尾が不服を主張しているがそんなものは当然無視である。

 甘やかして楽になるのは今この時だけだ。

 いつ敵が実力行使に訴えてくるかもわからぬ現状、アズルトとしては備えられるだけの備えはしておきたい。

 他ならぬクレアトゥール本人もそれを痛感しているはずだ。でなければ興味の傾向とはまるで違うランクート公国のことなど、知りたいと言い出したりはするまい。


「……知り合いだったのか?」

 数秒ほど言葉を探した後に、疑問を声に乗せた。

 メナは静かに首を横に振る。

「共通の知人が居るんです。だからちょっとだけお互いの事情に明るくて。気兼ねしなくてすむ、と言うのでしょうか」

「そうだな。その共通の知人とやらが言葉にするのも憚られるような人物なもんで、今日まで互いに関わり合いにならないようにしていたわけだが」

「あたしが知りたいって言ったからか」

 表情こそそのままだが、アズルトの目には心なしか耳がしょげて映った。

 アズルトが口実を与えるまで、頑なに頼らないと意地を張り続けていた少女だ。けれどこの程度のことで引け目を感じられても困ってしまう。


「気にするようなことじゃないんだよ」

 鞄の腹でぞんざいに頭を叩く。

 避けようと思えば避けられただろうに、鞄の下からは抗議の眼差しが覗く。

「俺としても踏ん切りがついたし、よい口実になった。ただ――」

 そこでアズルトはメナに目線を移す。

「今さらな話だが本当によかったのか?」

「お礼、期待してますから」

 予想された答え。けれどそれはアズルトの要望に対し、とても釣り合いが取れているとは思えないものだ。


 今回の件、アズルトの見込みが甘かったことも相まって、四組という限られた範囲での話ではあるが、割と大事になってしまった。

 皆が見せた驚愕の深さを思うに、級友らが思い描いていたメナ像には確実に歪みが生じている。

 日頃、変わり者のキャスパーと行動を共にしていることは学内に知れ渡っているが、これまでは実力的に代わりがいないためとの理解がそこにはあった。

 アズルトがそうであったように、メナもこれまで問題児である二人とは一線を引いて接していた。だからこそ、模範的な候補生という評価を誰もが抱いていたのだ。

 その垣根が失われる影響は、アズルトには読めそうにない。


「……ご指名だぞ」

 ため息とともに鞄を下ろし、クレアトゥールにメナの要求を伝える。

「ん?」

「おまえの全力に挑みたいそうだ」

「いいのか?」

 その金の瞳には不味いことにならないかとの困惑が浮かんでいる。

 アズルトの返すべき答えは『当然』だ。

 魔力操作に粗の残るメナでは、黒位にも及ぶクレアトゥールの魔力すべてを受け流すのは不可能だろう。

 流血沙汰はほぼ確定。

 クレアトゥールの危険性を知らしめるだけのこの試みは、教職員の目に触れぬ形で行う必要がある。

 とは言え、それはアズルトが彼女のストレス発散に付き合うときも同じだ。

 違いは命の危険を伴う点だろうが、そこは稽古の形式を指定することで調整するしかない。


「色々と便宜を図ってくれるみたいだからな。場所はまたこっちで用意する、ということでいいか?」

「はい」

 これまで見たなかで最高の笑みを浮かべて、メナは頷きを返したのであった。

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