第28話 自覚に乏しい問題児の片割れ
「――あのさ、ランクートについて知りたい」
学食でのシャルロットら公国貴族の襲撃から丸一日が過ぎたこの日の放課後。
いつも通り四組の観察をしながらだらだらと帰り支度をしていたアズルトに、クレアトゥールが小さく頼みを口にした。
率直な言葉と素直な眼差しは、クレアトゥールの断固たる意思を表している。
標的となり、けれどなにもできぬ自分が、それでもなにかできないものかと。悩みぬいた末の行動なのだと、彼女をよく知るアズルトは正しく理解していた。
だから「そうか」と、迷いもなく立てていた予定を崩すと取るべき行動を新たに組み立てる。そしてそれすらも即座に白紙に戻し重い腰を上げた。
「ここで待ってろ」
こくりと頷くクレアトゥールを後に残し、アズルトは一列あけて左斜め前の席に座る少女へと歩み寄る。
そうして吐いて出そうになるため息を喉の奥に押し込み、声をかけた。
「すこし時間を借りてもよろしいだろうか、メナ・ベイ」
瞬間、教室の空気が凍った。
アズルトは普段、自ら進んで誰かに声をかけたりすることのない人間だ。
話しかけられれば不足なく話には応じるし、授業中であれば事務的に言葉を投げかけることもある。
けれど私的な会話というのは、クレアトゥールとの間で行われているものしか見たことがないというのが、四組の候補生一同意見を一にするところであった。
四組の級友らにとってアズルトは、良くも悪くもクレアトゥールの同類なのだ。
公国貴族への態度の悪さも彼らは肌身で感じている。そして昨日はついにその公国貴族、それも親玉であるシャルロット公女殿下に牙を剥いたというのだから、内心では皆やはりと思わずにはいられなかった。
それが今日、貴族でさえ高嶺の花と遠巻きにするばかりの可憐な令嬢に対話を求めているのだ。
事件である。
課外活動のため教室を出ようとしていた生徒までも、ゆっくりと自分の席に戻っていく始末だ。
当のアズルトも教室の異様な空気には気づいている。けれどその理由までは知るところではなかった。
ただ失敗したなと、そんな漠然とした考えを抱いていた。
「えっ……ぁ、いえ。はい、大丈夫ですよ……アズルト・ベイ」
超然として乱れることなど知らないと思えたメナの仮面がわずかに綻びた。
アズルトがそばに来ていることに気づかぬメナではない。
それでもなお狼狽を覗かせるほど、彼女にとってアズルトの行動は突飛だったのだ。
「その、申し訳ない。呼び名は悩んだのですが」
――気まずい。
要件を無かったことにしてすぐにでも帰ってしまいたい気分であったが、今のアズルトにはそうもいかぬ事情がある。
「そうですね。そちらもすこし驚きましたけど。こうしてお話をするのは初めてですよね」
まさか声をかけられるとは思っていなかった。そう言外に窘められているのが否が応でもわかってしまう。
バルデンリンド公の援助を受け諸国を遊学で行脚していた経緯から、バルデンリンドの所属と思われているメナだが実態はまるで違う。
あれは援助ではなく取引だった。
すなわちメナ・ベイ・ツィベニテアという少女は、ニザ東域守座バルデンリンドの座主たるロドリックの対等な取引相手なのだ。
伯爵家と男爵家の家格以前に、アズルトにとっては敬意を払うべき人物。
騎婦人の会なる大陸規模の騎士愛好家結社の副理事に名を連ね、入学時点でイファリス騎士会の相談役という確固たる地位を確立している彼女は、騎士として下限に近い宝珠適性を踏まえてもなお一組に食い込めるだけの実力を有する。
それがなぜ四組などに席を連ねているのか。
アズルトにはおおよその見当がついている。
彼女は騎士会の相談役としてすべての試験を見学することが許されていた。そしてその結果を踏まえて四組へ配属されることを望み、意図的に低い試験結果を残したのだ。
そういった立場の人物であるからして、アズルトの不正入学もおそらくは知っている。知っていても問題ないと座上が判断した。
けれど複雑な事情を抱える者同士だ、互いに不用意な接触は避けていた。
教練で同じ班に振り分けられるという不運に見舞われはしたが、必要最低限のやり取りでそちらもすませている。
極端に距離を置いていたのには、アズルトがプレイヤーを警戒した側面もある。クレアトゥールだけでも危ういのにメナとまで関りがあるとなれば、というわけだ。
などともっともらしい理屈を並べ立ててはみたが、アズルトが徹底してメナを避けていたのは、苦手だからのひと言で説明がついてしまう。
同族嫌悪が近いのだろう。
アズルトもメナも似たような行動原理で動いている。
彼女の思考は到底アズルトの理解の及ぶところではないが、ただ一点、天位の卵を自らの糧と見るその思考だけは同じであると確信していた。
そして性質が悪いことに、彼女はあらゆる面でアズルトよりも優れているのだ。
だが、優れているからこそ頼みともなる。
「私と話ができるのはあいつと、あとはオルウェンキス・オンくらいなものですから」
教室の反対側で、腰の模造剣をあちこちにぶつけながらそのオルウェンキスが立ち上がったが、アズルトは気づいていないふりで押し通した。
「では、私は三番目ですね」
「四番目だ。おいアズルト、なんでそこにオレの名前が入ってないんだ」
割り込んできたのはメナの前に席を持つ焔色の髪の少年、キャスパーだ。
「ああ、悪い。素で忘れていた」
入れたら完全に退路を断たれる気がして、とは言えない。
「仕方のない奴だな、オレを一番目にしておけ。そうしたら許してやる」
「いいぞー。一番でも二番でも好きなだけ持っていけー」
「なにッ! なら十番まで全部もらうぞ!」
アホすぎる……。
こんなでも成人を迎えたまごうことなき十五歳の益荒男だ。
「キャスパー。今日は二人のこと、お願いしてもいいですか?」
「おう。よくわからないけど任せとけ」
自信満々に胸を叩くと、鞄を引っ提げ騎士家の二人――ジェイクとニーのところへと駆けてゆき、問答無用と腕を掴んで教室から出て行った。
きっと鍛錬に向かったのだろう。
滅茶苦茶な奴だが気のいい男で、アズルトはキャスパーのことが嫌いではなかった。
少なくとも、目の前で微笑んでいる美しい少女よりは遥かに親しみを感じる。
「ここでの私はただのメナです。ですからどうぞメナと、そう呼んでは下さいませんか」
「なかなか難しいことを仰る」
家名を名乗ることのないメナだが、組のなかでは貴族として扱われている。敬称抜きで呼ぶのはそういったことに頓着しないクレアトゥールやキャスパーくらいなものだ。
「それから、敬語もダメです。クレアトゥールさんたちと同じように扱っていただけるのでしたら、いくらでも相談に乗ってあげますよ」
「なら私……いや、俺のこともアズルトと。それから敬語は……」
「私はこれが素ですから」
「形式としてな」
ふわりと笑みを見せたメナは、優雅に席を立つと鞄を手に取る。その所作は相も変わらず惚れ惚れとするものだが、目を奪われて呆けるような醜態は晒せない。
「では場所を移しましょうか」
「話が早くて助かるよ」
アズルトは今、初日の騒動もかくやと言わんばかりに耳目を集めている。
軽挙妄動。己の不明を恥じているアズルトは、すでに迂闊な行動を取ってしまった現状、込み入った話をして失態を重ねるのは避けたかった。
周囲の観察と分析に余念のないアズルトだが、元より人付き合いを得手としている人間ではない。物事の優先順位を定めるとき、余人の扱いが関心の薄さも相まって途端に雑になる。
それが今回はだいぶ悪い形で表れてしまった。
込み上げてくる疲労感に蓋をし、クレアトゥールに行くぞと目線を送る。
四組に漂う空気はメナに話しかけたときのものとは若干性質が異なり、アズルトでも読み取れる驚愕を帯びていた。
事の成り行きが皆の想定と大きく違えたからだ。
毛色の違う感情を垣間見せているのは、案の定と言うべきかオルウェンキスとハルティアの方位守家組。
他にもいくつか気になる反応があったが、アズルトはそれらをまとめて頭の片隅に放り込むと、足早に教室を後にしたのである。
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