第27話 公国のプレイヤー

 いくらか中身の残っているグラスをアズルトが手に取ると、丁度良い具合にシャルロット一行が到着した。

 利用者たちのうとまし気な視線をまるでないもののように進む様は、お貴族様特有の空気の読まなさが表れている。

 もっとも空気を読まないのはアズルトの向かいに座る狐の獣人の少女も同じで、クレアトゥールは窓に顔を向けたまま視線も寄越さない。

「御機嫌よう。初めましてクレアトゥール・サスケントさん」

「…………」

 シャルロット公女殿下御自らの声掛けに対して、クレアトゥールの取った行動は一瞥するというただそれだけのものだった。

 戻る途中でアズルトに視線を合わせ『任せるから』と告げていったので、だけと言い切っては真実を歪めることになるか。


 取り巻きがなにか言葉にしかけるのを制して、シャルロットが再び口を開く。

わたくしとしたことがまだ名乗ってもいませんでしたね。シャルロット・ラル・ランクートと申します」

 クレアトゥールが自分を何者か知らないからこそこの反応だと考えたのだろう。

 けれど他人の身分だとかを気にするような少女ではない。

 ただただ面倒くさいと、ほとんど手入れのされていない赤茶の後頭部が語っている。


 シャルロットがどうしましょうとその整った面を憂いに曇らせた。

 これに、よく訓練された取り巻きたちが我が意を得たりとばかりに動く。

「貴様。公女殿下に向かってその非礼、許されると思っているのか」

「シャルロット様、学なき卑しい平民の為すことです。お気を煩わせるほどのことはございませんわ」

 喧々囂々けんけんごうごう

 なかにはニザの落とし子などと、表立って獣人蔑視を口にする者まで現れる。

「ありがとう、私の優しい騎士たち。ですがたとえ平民であろうと同じムグラノの地に住まう同胞はらから、悪く言うのは感心しませんよ。それにここは騎士の学び舎。才ある者をそのような詰まらない括りで遠ざけてしまっては、勿体ないではありませんか」

 自分は身分に囚われない理解ある人間です、とでも言いたげな様子にアズルトはげんなりする。

 そして茶番だなと、ひとしきり言いたいように言わせて彼女らの評価を切り上げた。


「本日はどういったご用向きでおいでになられたのですか、シャルロット公女殿下」

 彼女らの寸劇をクレアトゥールが聞き流していることを悟られる前にと、アズルトは会話に割り込んだ。

 礼儀知らずと謗られそうな行いだったが、そもそもここまで、アズルトは彼女らの視界に映っていたかすら疑わしい。

 会話の主導権を握ろうというのであれば、波風くら立てねば文字通り

 事実、彼女らから向けられるのは非礼を指摘する言葉ではなく、誰こいつという侮蔑の混じった眼差しだ。

 アズルトとて仮にも貴族なわけだが、異国の諸侯の陪臣など、ランクート諸侯にとっては貴族として遇するに値しないという認識なのだろうか。似非貴族であるアズルトは思わず対応に悩んでしまう。


「彼が報告に上げましたアズルト・ベイ・ウォルトランです」

 声を潜めシャルロットに耳打ちしたのは、尾行を務めた二組の生徒だ。

 この段になって初めて名前を出される辺りに、扱いの軽さが窺える。

 ただ、これに対するシャルロットの応えは、アズルトにとって猛烈な違和感を誘うものであった。

「例の勘違いをしている子ね」

 哀れむような蔑むような瞳がアズルトを見下ろす。

「相手はバルデンリンドの貴族です」

「問題ありませんわ。クラウディス様からは臣下ではないとの確かな返事をいただいていますもの」

 聞き知った名前の登場と妙な話の流れに、アズルトは内心眉を顰める思いでいた。


 クラウディス・ベイ・バルデンリンド。

 名が示す通りバルデンリンド公爵の息子で、ムグラノの水紋における攻略対象の一人だ。所属はシャルロットと同じ一組。

 東バルデンリンド内地の育ちのためか少々潔癖な性格で、二組に在籍する姉で悪役令嬢のリズベット・ベイ・バルデンリンドとは、まったくもって反りが合わない。

 彼の姉嫌いは徹底しており、第二王子ルドヴィク殿下との婚約を白紙に戻すことに並々ならぬ情熱を傾けていた。

 大食堂で度々姉弟の衝突を見るあたり、その関係性はこちらでもそのままであるようだ。


 作中での彼の役割はさておくとして、継承権も与えられていないクラウディスの発言が、バルデンリンド家の方針のいったいなにを保証するのか。

 他領の人間が知る由もないが、バルデンリンド家において公爵の子弟に事実上の権力は皆無と言ってよい。

 すべてはニザ東域守座の座主の地位が世襲ではないことに起因しているのだが、これは至極当然の措置と言えよう。

 血縁などで務まるほど、ニザの守護という役目は易くはない。


 そうした理由から、バルデンリンド家の子供たちは家業の実態をほとんど知らずに育つ。

 リズベットには西部辺境地帯本土での滞在期間がそれなりにあったようだが、クラウディスは物心ついてからというもの、ニザ瘴土帯から遠く離れた内バルデンリンドより西へは赴いたこともない。

 直系であればこそ、無知なままに育てられるのだ。

 彼らにはアズルトのような似非貴族の存在は伏せられている。当然、その意味するところなど知る由もない。


「今日は貴女とお話したいことがあって参りましたの」

 シャルロットはそうクレアトゥールに語りかけた。問いかけたアズルトを完全に無視する形で。

 ――やはりどうにもこの公女はおかしい。

 アズルトは疑惑を深める。

 なぜバルデンリンド領の貴族である己を、こうも容易く無視することができるのだろうか。アズルトは不思議でならなかった。

 今しがた警戒を促した貴族は明らかにアズルトを敵視している。

 バルデンリンドの名を口にする折に忌々しさが滲み出ていた。

 ランクートにとっておそらくバルデンリンドは今もって敵であるのだろう。

 けれどそれを些末事とシャルロットは流している。

 それだけ、未だ騎士としての実績を伴わないクレアトゥールに固執しているのだ。


 クレアトゥールを最大の標的としているのは、これまでの公国貴族のアプローチからもはっきりと窺えるものであった。けれど目的だけを与えられていた彼らとは異なり、彼女の行いには直接的な情動が込められている気がしてならない。

 今ある実態と乖離しているのに、確信すら得ている風なその言動。

 とてもまともとは言えない。

 ブラフを疑いたくなるほどに、彼女はプレイヤーとしての条件を満たしている。


 ムグラノの水紋においてバルデンリンドはただのやられ役でしかなかった。

 作中のどの歴史を辿ろうとも、東バルデンリンドは戦火に巻かれ新たな支配者の手に委ねられる。

 悪役令嬢は婚約を破棄され命を落とし、戦に負け領地の大半が奪い去られた。

 彼の地の実態を知らなければ、辺境地帯を残すばかりとなったバルデンリンドの衰退を確信するのは当然のことだと思う。

 老いたる大山羊。

 それは政界での影響力を失って久しいバルデンリンドの、宮廷での蔑称だ。

 未来と現在を合わせて勘定したとき、きっとバルデンリンドの子山羊とはなんとも滑稽で、哀れな張子の虎のごとき代物として映るのだろう。


 この瞬間、アズルトはシャルロットをプレイヤーであると断定した。

 そして湧き出す不快感が言葉となって吐いて出る。

「下々の言葉は都合の良いところだけ取り上げると。身分とはなんとも便利なものですね。責務についても学ばれた方がよろしいのでは」

 座上は俗物の蒙昧な言動など歯牙にもかけないだろう。

 だがそんな理屈とは関係なしに、アズルトにはこのプレイヤーの行いが不愉快で仕方なかったのだ。


「這い蹲って非礼を詫びろ、バルデンリンドのけだものがッ!」

「非礼? 詫びる? 面白いことを仰るものだ。であればがたも、この場に居合わせた皆の平穏なひと時を乱したこと、謝罪されてはいかがでしょうか」

 詰め寄る少年の言葉をシャルロットに返すと、ようやくその灰色の瞳がアズルトを真正面から映した。

「身の丈に合わぬ言葉を用いていると、火遊びでは済みませんことよ」

「だそうですが」

「き、貴様ッ」

 シャルロットのありがたい忠告を騒がしい子供に伝えてやると、顔を真っ赤にして腰の模造剣に手を伸ばす。

 それを制したのはシャルロットだ。


「アズルト……ベイ?」

「ベイ・ウォルトランでございます、姫様」

 どうやら報告はされていても、名前すらまともに覚えられていなかったらしい。

「アズルト・ベイ・ウォルトラン。貴方には貴族としての良識が欠けているようですね」

「はて。私の故郷では貴族とは責務に与えられる肩書のようなもので御座いますから。そのようなものを振りかざし、我が物顔で事を進めようとなさる貴女がたは目に余ると申しましょうか……、理解しがたいのですよ」

 露骨な挑発をアズルトはねっとりと舌に絡ませる。

「アナタが貴族の責務をどう考えているのか、是非お聞かせ願いたいのですが」

「怨敵を屠り安住の地を拓く。が為すのに他の如何な事があると言うのです」

 嘲りもなにもなく。アズルトは淡々と事実を述べた。


 息を呑む気配とともに、『バルデンリンドの子山羊』との囁きが上級生の間から漏れ聞こえる。

「田舎の風習を都会で声高に主張しないで下さいませ。聞いていて恥ずかしくなってしまいますわ」

 すうっと気温が下がった心地がした。

 獰猛な笑みを浮かべた二人は表向きの子山羊たちだろう。

 騎士の学び舎でその根本原理を否定するとはずいぶんと肝の据わったお嬢さんである。ひっそりと席を立ったのはランクート出身の生徒だろうか。

 どうやら彼らは恥というものがわかるらしい。

 緊張が支配する学食でただ一人、メナだけは愉しそうに小さく口元を綻ばせている。


 そんな彼女と目が合ったのは意図せずのことだ。

 いや、正確には意識を向けていることを気取られたと言うべきか。

 ただメナもまさかこの状況下でアズルトが全体の観察をしているとは思っていなかったらしい。少し驚いた様子を覗かせ、見つかった悪戯を誤魔化すように目じりにも笑みを乗せてみせた。

 いつも避けている相手の予期せぬ振舞いに、アズルトはすっかり毒気を抜かれてしまう。


「そうですか、これがランクートの在り方であると。たいへん勉強になりました」

 言ってわずかに残っていたグラスの中身を空ける。

「ご教示いただいたお礼にとは申しませんが、ちょうど帰るところでしたので、こちらの席をお使いになりたければご自由になさってください」

 クレアトゥールには機を見計らうようそれとなく伝え、立ち上がる。

 シャルロットらは掌を返し引き下がったアズルトを警戒する素振りを見せていたが、振り返りもせず返却口へと向かうと、次第に一人また一人と注意はアズルトから剥がれ落ちていった。


 彼らの意識がアズルトに向けられていた間に、学食はずいぶんと寒々しい空気が漂うようになった。いくらメルフォラーバ人に他民族を軽視する傾向があろうと、この場を満たし始めた敵意くらいは嗅ぎ取ることだろう。

 取り巻きらの注意が散漫になったのに気づいていないのか、シャルロットは意気揚々とクレアトゥールの向かいに腰を下ろす。

 やっと邪魔者はいなくなった。これでようやく待ち望んだ相手と話ができる。

 そんな感情が透けて見えるようである。


「改めて――」

 そう投げかけたシャルロットの言葉は空に吸い込まれた。

 唖然と凝視するその席に、すでにクレアトゥールの姿はない。

 彼女はシャルロットが席に着き、集中が途切れた間隙を縫うようにして、あの包囲からの脱出を成功させていたのだ。

 クレアトゥールのことだから隙ができたから逃げたくらいの感覚で、深く考えてやったのではないだろうが、機を見ろと指示したアズルトにしても舌を巻くほどの鮮やかな手並みだった。


 取り巻きたちも完全に虚を突かれ、なにが起きたのか把握しかねている。

 学食に残っていた生徒らは別の意味で愕然と、事態の成り行きを見送った。

 それはそうだろう。アズルトの撤退で当事者同士の話し合いが始まるのだと思われた矢先のこの暴挙だ。

 公女殿下を無視するばかりか、公衆の面前で虚仮こけにしたのだから彼らの驚きもひとしおだろう。

 そしてぽつりぽつりとアズルトに視線をくれては逃げるように逸らすのは、『帰るから好きに使え』という言葉に込められた悪意を悟ったからに違いない。


 アズルトは公国貴族らの義憤をクレアトゥールから自らに向けさせる気でいた。

 公国という集団を相手取るのに、個人などあまりにも無力なものだ。だからアズルトも自らが彼らに抗しようなどという無謀な考えを抱かない。

 餅は餅屋。得手とする者に任せればよいのだ。

 ただに押し付けるにしてもやり方というものがある。

 手順を踏み、段取りをつけ、彼に快くその役割を受け入れてもらえるようアズルトも心を砕く必要がある。


 かなり即興的に動いたが、掴みとしては上々だろう。

 選民思想とかいうやつは内輪を固めるには便利だが、外にひけらかして利する類のモノではない。メルフォラーバ帝国の正統なる後継者を標榜するランクート公国にとって、それは彼らの存在意義にも等しいのだろう。

 けれど上に立つ者がその思想に使われていてはお笑い草だ。

 ましてそれがプレイヤーともなれば。

 それだけ、今のランクートは歴史に積もった閉塞感に喘いでいるということか。

 アズルトは戦乱へと突き進む公国の闇を垣間見た気がした。

 けれどそれすら良心の呵責なく利用するのが、座上の臣たるアズルトという人間だった。


 入り口で退路を確保しながらはかりごとを巡らせつつ、食器を返しているクレアトゥールを待っていたのだが、どうやら立ち直ったシャルロットが彼女に追いつく方が少しばかり早かったらしい。

 助力が必要かと悩んだアズルトだったが、結局は動かぬことを選んだ。


「待ってくださいませ。私はランクートの公女シャルロットです。本日は貴女を公国に迎えたいと――」

「失せろよ雑魚」

 たったひと言。

 それだけで、立ちはだかるようにして捲し立てるシャルロットを一蹴し、視線すら向けぬまま脇を通り過ぎる。

 取り巻きたちが逃がすまいと進路を塞ぐも、誰一人として彼女の歩みを止めるには至らなかった。

 本職の騎士を相手にも逃げを打つ少女だ。宝珠も持たぬ候補生には荷が重かろう。せめてメナほどの武芸者が混じっていれば話も別であったのだろうが、生憎と彼女もアーベンスきっての異端である。


 子供でもあしらうようにして彼らを置き去りにしたクレアトゥールと学食を後にする。

 追ってくる者はない。

 去り際に、メナがキャスパーを連れ彼らとの間を割るようにして返却口へと向かうのが見えたので、おそらくは彼女がなんらかの手立てを講じてくれたのだろう。

 後で礼くらいは伝えるべきか。

 彼女が求めるのは思うに言葉などではないのだろうが。


 そういえば、先ほどのクレアトゥールのひと言はなかなかに痛烈だった。

「言葉も役に立つだろう」

 だからアズルトはその件を口にしたつもりだったのだが、返ってきたのはアズルトの話しぶりについての感想であった。

「お喋りだったのか?」

「無理して作ってるんだよ。いや待て、今のはなしだ。おまえ言葉が足りないんだよ」

「伝わってただろ」

「第三者の理解を得られないような会話してると、結局は他の奴と会話が成り立たないままだろうが。なんのための訓練だ」

「ん、そんなのもあったな」

「一貫してだ」

「どうでもいいだろ、逃げられたんだから」

 やはり、メナには礼の一つも必要だろう。

 ため息がこぼれそうになるアズルトであった。


 さて、ずいぶんとすげなくあしらってしまったが、公国側は次にどういった手段で訴えてくるだろうか。

 半端に権力を持っているのが厄介だが……。

 非礼を問題にしようと明文化された法など騎士養成学校イファリスにはなく、私刑をしようにも懐柔相手のクレアトゥールにそんなことが出来るはずもない。そもそも彼女の背後には教会組織であるサスケントがついている。

 対象をアズルトに置き換えたところで似たようなものだ。

 戦争に向けて秘かに準備を進めているであろうランクート公国にとって、学園を巻き込むような大事は避けたいはず。

 国際問題に発展しようものなら、その黒い腹の内を暴かれる危険性があるからだ。

 シャルロットがどれだけクレアトゥールに執着しようと、その一線だけは越えない。越えられない。側近たちが必ずや止めに入るはずだからだ。



 ◇◇◇



「昼、ランクートの恥知らずが恥の上塗りをしたらしいな」

 夕食後。

 寮へと戻る道すがら、アズルトたちはオルウェンキスに呼び止められていた。

「平民の間ではずいぶんと面白おかしく語られているぞ。貴様らの礼儀知らずにも使い道があったらしい。せいぜいこのまま無様を晒しあってくれ。四組とは関わり合いにならぬところでなッ」

 そうしてオルウェンキスはひとしきり侮蔑とも称賛ともつかぬ言葉を並べ立てると、ダニールとベルナルドを引き連れ颯爽と歩き去っていった。

「なんだあれ」

「さあな」

 動き出した歯車をよそに、アズルトはあくまでも素知らぬふりを装うのであった。

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