第26話 三人の主人公
疲労困憊の身体に鞭打ち、昼食を平らげて間もなくのこと。
取り巻きを引き連れた高位の貴族と思しき一団が、学食の入り口に姿を現した。
はじめ、アズルトにはなにやら大物が出てきたらしい、という程度の認識しかなかった。
けれどクレアトゥールを尾行していた二組の生徒が、
衆人環視のなかで軽率な行動には出るまい、そんな理性的な反論はこれまでを思えば考えるだに寒い。
余人の目があって困るのはアズルトらにしても同じだった。
クレアトゥールの暴走はとうに寮を越え漏れ広がっている。
けれど行いそれ自体はごく限られた――予科一年四組という集団の延長線上でのみ発生する事件として収められていた。
アズルトたちがさほど周囲を気にせず昼を学食で過ごせているのは組や、大きく見積もって寮と言ってもよいが、それらと無縁の状況にあれば、クレアトゥールはさして危険な存在ではないと誤認されているからなのだ。
実際、ここ数日はことに場に馴染んでいる。
であればこそ、ここは後に尾を引くような事態は避けたい。
だがこれは私人としてのアズルトの考えだ。
今後を考えると公人として、バルデンリンドの関係者としては、ランクート公国の貴族ごときを気にして行動を曲げるのはあまり好ましい対応とは言えない。
つまるところ、板挟みのアズルトは詰んでいた。
真っ先に逃げの体勢に入ったのは北寮の生徒たちだ。食事もそこそこにトレイを返却口に戻すと、貴族らのたむろするのとは別の戸口から足早に去ってゆく。
急ぎ残る料理を頬張り撤収の準備を始めているのは、予科一年の三組の生徒たちだろう。公国貴族を内に抱える彼らは、四組との間に起きている諸々を北寮の人間に次いで承知している。
そして彼らの動きに気づいた目端の利く職員や生徒がぽつりぽつりと席を立つ。
そうした逃げに入った彼らをよそに、アズルトはひっそりと魔力を用いて聞き耳を立てていた。
苦肉の策だ。
出方を探るためにしても、騎士の目のある場所でとなれば相応の危険が伴う。露見すれば例のごとく反省室送りは必至だろう。
気取られぬよう魔力を絞りに絞り強化した聴覚が、やがて思いもよらぬ単語を拾い上げる。
『シャルロット』
それは入学時に存在を把握していながら、アズルトが未だ姿を確認できずにいた主人公の一人の名であった。
ともすれば凝視してしまいそうな逸る気持ちを抑え、そっと公国貴族らを窺えば、やはりそこにアズルトの知るシャルロットの姿はない。
けれど直に彼女らの会話を耳にしたことで、誰が
公国貴族らに囲まれるシャルロット・ラル・ランクート公女殿下は、アズルトの記憶とは合致するところのない豪奢な制服に身を包む、豊かな青銀の髪を背に流した大人びた少女だった。
『ムグラノの水紋』は乙女ゲームの体裁を取りながらも三人の主人公がいる。
宣伝では女性向けのあれやこれやな文言が書かれていたが、裏話で既存作から来る男性プレイヤーにサービスは必須だろうとの意見から決まったと語られていた。
事実、男女問わずの友情エンドが充実していた。
攻略対象同士の友情に主人公が嫉妬するとかいう、手広く狙いすぎだろうというエンディングもあった。個別ルート入ってそれはどうなのかと疑問を抱いたりもしたものだが、それなりに受けていたようだ。
主人公に話を戻そう。
一人目は最初から選べる平民出身の正統派主人公、アイナ・エメット。
年は十六歳(ラケルにおいては十四歳)で所属は悪役令嬢と同じ二組。今年、上位二組に食い込むことができた唯一の平民である。
やや後衛・守備寄りだが総じて平均以上とまさしく主人公をしている。
二人目も最初から選べるキャラクターで、隣国ランクート公国の第三公女シャルロット・ラル・ランクート。
お姉様系の主人公だ。男装の麗人といった風采で、男性よりも女性の人気が高かった。
年は十八歳(ラケルにおいては十六歳)で一組。
前衛・攻撃型で魔術面が気持ち物足りない万能剣士系だ。
三人目が二周目から選べる悪役令嬢の取り巻き主人公、サーナニヤ・ベイ・スホルホフ。ちょっと病んでいたが男性受けはよろしかった。
年は公女主人公と同じ十八歳(ラケルにおいては十六歳)。取り巻きらしく悪役令嬢と同じ二組に所属。
後衛寄りの術師系で、癖が強く玄人向けの性能をしていた。
果たしてこのシャルロットは何者であるのか。
明らかな異常事態にかえってアズルトの頭は冷静になっていた。
有るべき形と異なるからには原因が必要だ。
シャルロット本人がそうなのか、あるいはその身近な人間がそうであるのか。いずれにせよ彼女らは暫定プレイヤーを含む集団と考えるのが妥当だろう。
そしてアズルトが彼女らを分析しているように、相手もまたアズルトを吟味している可能性が高い。
アズルトはもし自分がプレイヤーを炙り出す側ならばと考える。
すると見えてくるのが、シャルロットの変化は餌であろうという推測だ。
ラケルの人間であればこのシャルロットに違和感など抱こうはずもない。
これが自然。これが当然。
ゆえにシャルロットがこの場に現れたことに驚きを見せても、その在り方への驚きは決して見せてはならない。
ここでは
こうして敵を認識したアズルトは、同じようにして自身の立場を再確認する。
ウォルトラン男爵家はバルデンリンド公爵家の直臣でこそないが、
アズルトという個人を取ってみれば、男爵家の四男、そして表向き広義のバルデンリンドの子山羊に区分けされる。
加えて、先日からそこにクレアトゥールの庇護者らしき役割が並んだ。
いや、元々組の内輪での取り決めにあった外交窓口とかいう肩書を、外部に対しても適用するようにしたと建前を騙るのが事の据わりとしてはよいだろう。
アズルトは人生の延長戦にしがみついているような人間だ。
文字通り往生際が悪い。
追い詰められていようと、それこそ奈落に追い落とされようと、それを糧に這い上がる意地汚さがある。
今にしても、ひと当てして逆にプレイヤーを探り出してやろうという思考に切り替わっていた。
もっとも、優先して考えるべきは撤退だ。
そして自らをプレイヤーであると悟られぬのが前提条件となる。
対面で食後のお茶を空けたクレアトゥールが、さり気なく目線で『どうするんだ』と尋ねてきた。
瞳に灯る苛立ちは普段より少しばかり強い程度。おそらくは場所柄だろう。
特別と言えるほどの憤りは感じられない。
公国貴族には気づいているが、その中心人物が公女殿下であると理解しているかは甚だ怪しい。ましてや指示を出している人間だなどという認識を持ってはいるまい。
クレアトゥールの他者への無関心が、今のアズルトにとってはありがたかった。
アズルトは視線と指先だけで動かないことを伝え、けれど折を見て撤収するつもりであることをトレイの食器を整えることで示す。
するとクレアトゥールは手にしたままだった空のカップをトレイに置き、『合わせる』と視線で頷きを返した。
口下手なのにと言うべきか、口下手だからと言うべきか。その気になっているクレアトゥールはこうした言外の会話を平然とこなす。
ざっくりと言えば、他者の意識を誘導することに長けているのだ。
根底にあるのは彼女の卓越した戦闘感覚だとアズルトは考える。つまり、クレアトゥールは戦いの駆け引きの延長として、意図せずこうした会話を成立させている。
読み取ることについても同じだ。
相手の意識がどこを向いていて、なにをしようとしているのか、したいのか。そういったものをクレアトゥールは対象の挙動から感覚的に把握できた。
常日頃その才能が仕事を放棄している理由も先に述べた通りで、彼女にとって本来これは戦うための
融通が利かない辺りがなんとも彼女らしい。
もっとも、それはアズルトの理解であってすべてが事実その通りというわけでもなかった。
本当のところ、クレアトゥールはこうした方法での考えのやり取りは下手な部類だ。他人に関心がないのだから当然の話である。
けれどこの半節あまり、彼女の
そしてそれは、アズルトについてもまったく同じことが言える。
互いを熟知しているがゆえに、些細な仕草での思考のやり取りが成立していたのだ。
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