第25話 学食にて
「なあ、訓練の後なんでいつもそんなに疲れてるんだ」
午前の授業を終え、学食でサラダをちまちま突いているアズルトに、向かいからそんな疑問の声が投げかけられた。
クレアトゥールの手元を見れば、器に山と盛られていた料理は粗方底が見えている。
思案に暮れて食事の手が少々滞っていたようだ。
「あの腐れ教官が
離れた席にいるキャスパーを無作法に
山盛りの料理と格闘しているが、明らかに普段と比べて勢いがない。それでも日頃と同じ食事量を確保しようとする辺り、騎士としての生来の資質を感じさせる。
それは彼の対面で優雅に食事を進める、ふわっとした超絶美少女についても言える。
アズルトらが専ら昼食の場としているこの学食は、一般職員が多く利用する平民向けの食堂だ。学費に上乗せされる食費を重荷とするような貧乏貴族もそれなりの数見受けられるが、作法もなにもないこの学食を貴意の高いお貴族様が訪れることはまずないと言ってよい。
だからその可憐な令嬢――メナ・ベイ・ツィベニテアは本来であればこの場にはそぐわぬ異物とも呼ぶべき存在なのだが、彼女はことのほかここの利用者から好意的に受け入れられていた。
神すらもため息を漏らしそうなその容姿が一助となったであろうことは否定しない。
けれど
彼女の優雅な食事姿は、実のところ宮廷の作法からは大きくかけ離れている。近いのは戦場を己らの城と定める純血派のものだろうが、かなり略式だ。
だからこれはおそらく体に馴染んだ癖のようなもので、彼女にとっての自然体なのだろう。
場に倣い礼を崩している彼女の所作を美しいと感じるのは、つまり定められた様式とは無縁のところにある。
メナの動作には恐ろしく無駄が少ない。
行為という意味ではない。彼女の何気ない仕草ひとつを取ってみても、不必要な肉体の動きを生じさせないという意味だ。
鍛え抜かれた体幹。
筋肉と関節の完璧な連動。
彼女は自らの身体をほぼ完全な形で律しており、あまつさえそれを常態としてしまっている。
これを正しく理解できている者など多くはないだろうが、仮にも騎士養成学校に関わる者たちだ、立ち居振る舞いの端々に卓越した武芸者の匂いくらいは嗅ぎ取ることが出来るだろう。
己の肉体を武器とする前衛騎士でさえその境地に至る者は限られる。
それを成人して間もない少女がというのだから、どれほど過酷な修練を自らに課してきたのかは想像を絶するに余りある。
アズルトとキャスパーは、まさにその地獄を身をもって味わわされた直後というわけであった。
試験結果をまるっきり無視した割り振りは嫌がらせ以外のなにものでもない。
メナの基礎鍛錬は
未だ食事に拒否感を示す胃を強引に黙らせ、常よりやや遅いくらいのペースで料理を片づけにかかる。
そうしてしばらくアズルトが黙々と食事に勤しんでいると、クレアトゥールがカップのお茶に視線を落としながら唸るように呟いた。
「んー、やっぱわかんない」
「なにがわからないんだ。いつもの言葉足らずか」
「足りてるから……たぶん」
「思いつくところから言ってみろ」
妥協を引き出してからというもの、アズルトは極力、言葉で意思疎通を図るよう彼女を訓練している。
勉強を見始めた段階で薄々察してはいたのだが、クレアトゥールときたら興味関心のないことにはすぐ手を抜こうとするかなりの難物だった。
あれだけ頼ることを渋っていたのに、アズルトの身分に隠れる楽を知った途端に対応を丸投げするようになったのがよい例だろう。それだけ参っていたということなのだろうが、潔さすら覚える代わり身には呆れる外ない。
ただ、それ自体は別によいとアズルトは思っている。
改善したいのはあまりにも言葉を軽視する怠け癖だけだ。
「なんで疲れるんだ」
「あのな。俺はメナ嬢ほど鍛えてもいなければ、おまえみたいな体力お化けでもないんだよ」
「朝、あたしと走って、ぅ」
「…………」
止めかけたフォークをアズルトはそのまま口元へ運ぶ。
クレアトゥールの日課に付き合うため、魔力を使って身体能力に下駄を履かせているのは、余人の耳に入れてよい類の話ではない。
繰り返しになるが、学園では生徒の私的な魔力の運用を厳しく戒めている。
魔術師百人を単騎で制し得る騎士は、どう言葉を取り繕おうと戦闘兵器なのだ。
兵器そのものは純然たる暴力であらねばならず、無軌道な自発性など許されるものではない。もしもそれがまかり通れば、騎士という単純な暴威によって滅びの際で繋ぎ留められている人間世界は、容易く終焉を迎えることになるだろう。
「噛み合わない理由がはっきりとしたな。まあ、その話は後でだな」
「いい。やっぱやめとく」
パンの最後のひと欠片にソースを絡め口に含む。
どうもまだズレがある。
なにやら自己完結しているようなので放っておいてもよいのだが、アズルトはクレアトゥールの言動に妙な引っかかりを覚えた。
「止めた訳を簡潔に」
「なんで聞くんだよ……」
寸時、見開かれた瞳が理解不能と訴えた。
アズルトにしてみればなぜそこまで驚かれるのかが不明だ。
「訓練。言葉で
「おまえだって出来てないくせに」
「あいつらも命令だからな。おまえと話さないことには帰れないんだよ」
アズルトの休憩時間の個別指導は一定の成果を上げているが劇的なものではない。
子爵以下の身分は追い払えるが、伯爵以上は相手の良識と勤労意欲次第なところがある。度し難いことに、傷つけられないと知って強気に出る者までいる始末だ。
クレアトゥールが直に接する人数も時間も減っているのだが、とりわけ厄介な者の相手をしているだけにそう言いたくなる気持ちもわからなくはなかった。
四組の諸貴族はアズルトが矢面に立ったこともあって完全に静観の構えだ。
クレアトゥールの負担は減っているはずだが日々の苛立ちは増すばかり、せめて今少し断りの文句でも覚えて欲しいとアズルトは願っているのだが。
「というか、素で事実を捻じ曲げるな。上級貴族の三人以外は追い返しただろうが。あれは上出来と言うんだ」
「ん?」
「また全部おまえが相手するか」
「それは、無理」
バツが悪そうに目を逸らす。
「で、説明する気は」
「んー、後で? それまでに言葉、考えとく」
「宿題だな」
「わざと嫌味な言い方してるだろ」
「さてなんのことか」
言葉で突いて憤懣を計るのがアズルトなりのクレアトゥールの気遣い方だった。
溜め込んでいないときの方が、この意地っ張りな娘は素直な感情を返す。
「……だめなときは言うし」
言わないくせに。
とは思っても口には出さない。それくらいの分別はアズルトにだってある。
「また寮の訓練場を借りるか」
「ん。でも暇だし付き合う」
不機嫌のなかに不満を覗かせるが拒絶はしなかった。
それだけ持て余しているということなのだろう。
下手人が誰であるかは不明だが、特定は急いだ方がよいとアズルトは考える。と同時に、これまで以上に気を配って行動する必要があった。
自分がプレイヤーであったと気取られるのはよろしくない。
相手の反応が予想できないからだ。
場合によっては殺し合いにだってなる。
野良PTに地雷が紛れてるとか普通だ。アズルトはMMOでそう学んだのである。
幸いにしてと言うべきか、四組に公国出身の人間はいない。
つまり相手は四組内に自由に動かせる直接の手駒は持っていない可能性が高い。そこは安心できる。
ゲームの頃からいなかったのか、プレイヤーが優秀な者を集めた結果として四組にいなくなったのか、その辺りはよく分からないし答えが出ることもないだろう。
重要なのは現状である。
アズルトが得ている情報はバルデンリンドが収集したものであるから、出自に関しこれ以上は疑うだけ無駄というもの。
とは言え公国貴族と血縁にある貴族はいるし、取引をしている商家もある。
実際、そういうところを踏み台にして彼らは手を伸ばしてきている。
――厄介だ。
現状、彼ら相手にアズルトが打てる手はない。公国という組織に対して男爵家の四男になにが出来るのか、という話だ。
徒党を組まなければ対処は無理だろう。
そして困ったことに、組織力とかアズルトにとっては無縁の代物であった。
懸案事項は多いが、アズルトは公国がこれ以上踏み込んでくることはないと高を括っている
組の垣根が本格的に外れるのはゲームの中盤からだ。仮にプレイヤーがいるとして、『ムグラノの水紋』のストーリーを参考に動くのであれば、それまでは大きな行動に出られない。
特定の未来を得る、ないしは覆そうというのであれば、他の変化は極力小さく留める必要がある。
過程の変化は結果の変化を生じさせる。過度な干渉は未来を知るという己の優位性を放棄するのに等しい行いなのだ。
であればこそ、アズルトは公国派の尾行があることに気づいていても、対抗策を取り警戒されても困るので放置していた。
アズルトは地雷というものを甘く考えていた。
そして、他人の常識を勝手に計るものではないという教訓を、身をもって学ぶことになるのである。
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