第24話 プレイヤーの魔手
日本的な季節の感覚で言えば、三月も下旬といったところだろうか。
新入生もようやく学園での共同生活に馴染んできた様子。全学年が揃って取る夕食どきにそれは顕著で、新入生の席に響く声が上級生に引けを取らぬ大きさになっていた。
対して授業の方はまだ始まったばかり。内容についてもこれまでに学んできた部分と重複する生徒が多いだろう。
座学では教養、政治、軍事、魔術の基礎教育。実技では戦闘訓練は控え目で、体力作りや初歩の魔力制御が中心となっている。
だが、平民の多い
元凶は平民殺しと名高い礼儀作法と舞踊の授業だ。
音楽や絵画は妥協できる分野なのか必修の科目に含まれていないが、舞踊と詩歌はそうはいかないらしい。詩歌は礼儀作法の貴族語の範疇だが独立しており、座学における平民の最大の壁となっている。
これら貴族教養は
騎士は貴族に準じる地位であるため、貴族のお勉強は義務というのが二百年来になる理事会の主張だ。
生活に馴染んできたということは、人間関係にもひとまずの落ち着きが見え始めたということでもある。
軍属としての色が強い学園は生徒たちの自主的な集団行動を奨励している。
だからというわけでもないが、
組のまとめ役、エレーナ・オン・マダルハンゼ女伯爵閣下とその協力者たち。
平民の星、
純血派ソシアラ侯爵家のオルウェンキスと既得権益を保持する会の皆さま。
勇者なキャスパーと騎士オタのメナ嬢が音頭を取る天辺取り隊。
政治力の閣下、人数の愉快な仲間、財力の純血派、武力の天辺取り隊と、見事に集団の色が別れたものである。
アズルトは騎士養成学校という社会において時流に取り残されていた。
ぼっちというわけではない。単に属するグループがないだけだ。
言うなれば独立勢力。いや、この呼称は止めた方がいい。どうにもトラブルの種にしかならない響きがある。
呼び名はどうあれ、実態を捉えても孤立というよりは独立が近いだろう。
私的な交流こそないものの、オルウェンキスを除くグループのリーダーとは折につけ話をする間柄だ。
オルウェンキスも声そのものは掛けてくるのだが、嫌味や罵倒を吐き捨てることを会話とは呼ばない。
ただ、数少ないアズルトの私的な交流に含めるかどうかは悩みどころだ。
侘しいアズルトの交友関係はさておくとして、なぜそんな宙に浮いた立ち位置にあるのかだが、それはアズルトがクレアトゥールと共にいることが多いから、となるだろう。
隔絶した武威とひねた性格のせいでクレアトゥールは組の中で孤立している。
会話が成り立たないばかりか感情表現が暴力一辺倒なのだから、これで孤立させるなという方に無理がある。
だが度重なる暴走の件もあり、孤立しているからと放置しておいてよいとも考えられていない。
そこで白羽の矢が立ったのがアズルトだ。
マダルハンゼ女伯爵の提案をオルウェンキス・オンが承認するという形で、クレアトゥールを身分において治外法権に等しい扱いとし、唯一まともに意思疎通が取れるアズルトにその外交窓口としての役割を押し付けた。
などと小難しく語ってみたが、狐娘の暴挙は見て見ぬ振りをしろ、不満はアズルトに言え、要件もアズルトに言えとそういうことだ。
いまやアズルトを除けば、クレアトゥールに話しかけるのはキャスパーとかいう金剛メンタルの持ち主くらいなもの。反応はほぼ決まって不平を垂れるだけだが、たまにまともな意見を返すあたり極まった脳筋会話には拒否感が薄いらしい。
理解ある級友らが積極的に協力してくれたお陰で、クレアトゥールの当面の安全性は確保できた。
あれは、アズルトがそう考えた矢先の出来事だったように思う。
授業が終わり休憩時間になると、クレアトゥールがじっと物言いたげな視線をぶつけてくる。別段なにか深い意味がこの行為に込められているわけではない。事件直後は見受けられた口も利きたくないという態度も、敵意ごと行方不明な昨今である。
つまるところこれは、口下手なクレアトゥールの単なるものぐさだ。
さっさとしろと尻尾が急かすのでアズルトは授業で使ったノートを渡し、代わりにクレアトゥールのノートを受け取った。
一昨日から導入を始めた厄介事への対応策である。
効果についてはなんともかんとも。
中を見ると毎度のごとく頭を抱えたくなる。
クレアトゥールは馬鹿だ。言ってしまおう、お
頭の回転は悪くないはずなのだがとにかく勉強が不得手で、興味があればどうでもいいことまで詳細に記録するが、興味がなければ重要なところもぼろぼろこぼす。作中では魔術を高火力の攻撃術以外は使いこなす器用万能な設定であったはずだが、座学は底を行きそうな予感さえする。
ただやる気はあるようなので、叩けば人並みには出来るようになるのではとアズルトは希望的観測に逃げることにした。
渡したノートをぼんやりとした眼差しで、その実は真剣に読んでいたクレアトゥールが耳をぴくりと動かした。
ふらふらと不規則に揺れていた尻尾の動きが止まっている。
また来たかとアズルトは鬱々した気分になる。
クレアトゥールも常に輪をかけて仏頂面だ。
社会通念の貧弱なアズルトでも気づく妙な人の動きというものがある。
他人に興味がなさそうなクレアトゥールでも気づく、というか彼女はすでにして実害を被っていた。
「また来た」
うんざりした風の呟き。嫌悪を通り越して敵意に差し掛かりつつある。
本当に余計なことをしてくれるものである。アズルトの人生、予定通りという言葉とはほとほと縁が薄いが、それでも好転していた状況が覆されることに不快を覚えるのは、ヒトとして至極当然の心の働きだ。
四日ほど前からであろうか。授業の合間に他組の生徒が
他組とまとめて言っているが、ほとんどは
訪れる人間は日や時によって変わるものの、いずれも隣国ランクート公国出身の貴族と判明した。
以前にも触れた事があるかと思うが、
寮という縦の生活圏を与えられている候補生らにとって、横の繋がりは希薄だ。
国家や派閥といった学園の枠を超えた結びつきは維持されるだろうが、それはあくまでも内輪のもの。表立って集団を形成することは避けるのが学園での倣いとなっていた。
縦割りの構図が、学外の政治的な動静を持ち込ませぬための教会側の工夫である、と言えばこの慣習の重みも理解が早いだろうか。
複数国家による共同運営を基本とする騎士養成学校は、教区内における政治的な情勢が反映されやすい。対立する国家、派閥が学内で徒党を組み騒乱へと発展するのは、人類種の守護者たる騎士を養成する機関として看過すべからざる事態だ。
横割りの構造は特定の思想集団による学年の私物化を生み出す土壌となる。
所属する寮を基軸とした対立構造には、横の繋がりを制限するという働きもあるのだ。寮や組で縛り背信行為を戒め、彼らが活動し辛い環境を作り上げている。
だがどうにも、今年の新入生のなかには慣習を解さぬ輩が紛れているらしい。
あるいは、三国の王侯貴族が子弟を送り込んでいる今年を例外と見た輩か。
なんにせよランクート公国は動き始めた。
まだ各組ともグループの結束を固める段階であろうに、休憩時間の度に誰かしらを四組に送っている。
縦割りの図式であるがゆえに、組の主導権を握るのが何処の誰であるのかというところは非常に重要になってくる。組としての方向性。寮内での立ち位置。そういったものはすべてそこにかかっていると言ってよい。
公国の利益を考えるのであればそちらにこそ注力すべきで、それを放り出してまで四組でなにをしようとしているのか。
学園に理解がある者ほどその疑問は大きかったことだろう。
だが真っ当の者にその行動の真意を推し量るのは不可能だ。なにせ肝心の公国貴族でさえ、己らの役割に対して困惑を隠しきれぬ有様であるからして。
公国貴族の裏で糸を引く者の目論見を端的に言い表すならば、青田買いだ。
未だ宝珠を得ておらず将来性の定かではない候補生に、騎士として破格の条件を提示して、自国に引き込む。他国の候補生を真正面から勧誘に動くというのもさることながら、宝珠を得る前にそれを行うというのが常軌を逸している。
それでもここまでの話で終わっていれば、先走ったタカ派の蛮行と失笑を漏らすに留め済ませたことだろう。
問題は公国が主たる目標と定めている四人にある。
学年最重量、力士を彷彿とさせる体型の純後衛、ベルナルド・ドラマルス。
騎士狂いの呼び名が広まりつつある美貌の家出令嬢、メナ・ベイ・ツィベニテア。
魔道の才の片鱗を見せつつある脳筋お助けキャラ、キャスパー。
すでに北寮で知らぬ者のない問題児、狂犬こと裏ボス、クレアトゥール・サスケント。
アズルトなど露骨さで眩暈すらしそうだった。
この四人を並べられ、ピンとこないムグラノの水紋のプレイ経験者はおるまい。敵として味方として、いずれもが名の知れたキャラクターたちである。
公国貴族に指示を出している者はわかっているのだ。彼らが戦力として有用になることを。暴走めいたこの行為が、果たされれば確実に自国の利となるであろうことを。
公国に自らの同類――プレイヤーがいる。
それはアズルトにとってもはや事実だ。偶然は有り得ない。
交流を求める相手として、公国貴族が平民を選ぶのは不自然極まりないが、取り込もうとする相手として見るなら幾分か妥当とは言えるだろう。そうした前提に立ってなお、偶然は有り得ないとアズルトは断言する。
価値観が違うのだ。
ムグラノで生きる王侯貴族は、サスケント寺院の管理下にあるクレアトゥールを迂闊に自らの陣営に引き入れようなどとは考えない。
サスケント寺院はムグラノ地方で主教座に次ぐ規模を持つ教会組織だ。アーベンス北西部の辺境地帯に寺領を持ち、少数民族のイドラ人の居留地として治外法権を与えられている。主教座でさえその運営に口を挟むことは叶わず、さながらサスケント地方といった様相を呈している。
触らぬ神になんとやら。
サスケントの所有物に手を出すなど、端から思考にすら乗らぬもの。
ましてやランクート公国にとってサスケント寺院は因縁深い、宿敵にも等しい相手。アーベンス建国以前の記録が公国にどれだけ残されているか定かではないが、宿縁を押してまで抱き込む価値は今のクレアトゥールにはない。
クレアトゥールほどではないにせよ、メナやベルナルドも似たようなものだ。
メナ嬢は
バルデンリンド公の愛人とかいう怖いもの知らずな噂まで流れる始末で、バルデンリンド家の関係者という認識が世間では強い。
ベルナルドには両者のような学外での結びつきはないが、入学して間もない頃にオルウェンキスが配下とした旨を北寮で宣言している。多少なりとも下調べをすれば耳に入ることだ。
いずれも博打で手を出すには難のある者ばかり。納得のゆく選考などキャスパーくらいなものだろう。
確固たる利がなくば、いや利があってなお二の足を踏んで然るべきもの。真っ当な神経の持ち主ではこの決断を下すことは出来ない。
まるで世界は己の意のままに動くべきだとでも言うような、すべてを見下しているかのごとき傲慢。こんなものを押し通そうとするのは、神羅万象を解する全能の者か、さもなくば自らを特別と信じてやまぬ勘違い野郎だけだ。
プレイヤーならばその候補足り得ると、アズルトは考えている。
彼らの持つ知識は、特別と自惚れても已む無き、運命すら捻じ伏せる可能性を秘めたものだ。
たとえそれが所詮は可能性に過ぎぬものであるのだとしても、意思という名の波紋を散らせば容易く崩れ去る泡沫の夢であるのだとしても、かつて持ち得なかったものを手にした彼らはきっと優越感に浸れるのであろう。
自らを数多あるものの一つとしてしか捉えられぬアズルトに、当然その実感はない。
だからこれは分析だ。
そしてこうした思考実験の結果はプレイヤーの存在を確定づけるとともに、アズルトへ困難を突き付けるものとなった。
この種の結論を決めてかかっている手合いの排除法を、アズルトは知らないのだ。
クレアトゥールへの公国貴族の無遠慮な接近には寿命が縮む思いだった。
栄光あるランクート公国の貴族様が、薄汚い傷物の平民に声をかけてやっているのだと、オルウェンキスにも負けず劣らず大上段の物言いだった。人選を誤っていると思うのだが、侯爵様御自らのお声掛けであるところからして、力の入れ具合は確かなのだろう。
だが、どうしたものかと対応で悩んでいたクレアトゥールに、無視していると勘違いした貴族が掴み掛ろうとした下りは、実に頂けない。
備品が二つほど塵屑に変わるだけで済んだのは僥倖と言えよう。
バッテシュメヘの教育的指導に手心が加えられていたのも、経緯から情状酌量の余地ありと判断されたからだろう
手始めに取った対応策が、なにをするでもなくぼんやりとしていることの多いクレアトゥールに動きを与え、少しでも話しかけるのを躊躇わせる環境を作ることだ。引き抜きを指示した者とは異なり、実際に動いている貴族らには迷いも見える。度重なる暴挙の数々に侯爵様ですら職務放棄の口実を探している気配が出始めた。
ノートを与え勉強していますとアピールさせた程度で引き下がるかは怪しくもあるが、学力の向上の意味も兼ねて行わせることにしたのだ。
アズルトはすっかり集中の逸らされたクレアトゥールを窺う。
視線は辛うじてノートの文字を追っているようだが、読んでいるよりは眺めているに近いだろう。意識は耳の方に乗っている。
ただ、アズルトにはその耳が心なしかへたれているように見えた。
この半節あまり、クレアトゥールはよくやっていたと、傍らで観察を続けたアズルトは好意的に評価をしている。他者の存在が害悪としてしか働かない彼女にとって、学園での集団生活は心休まる暇もなかったはずだ。衝動を抑えることを強制され、己が最も排したい敵が四六時中側にいる。
けれども、さざ波の日々のなかであれば慣れることが出来たかもしれない。
――台無しだ。
アズルトの落胆は昏く深い。
それでもアズルトはなるべくクレアトゥールの好きにやらせるつもりでいた。
不愉快な公国貴族の干渉に口を挟まず、手出しも控えた。ノートを貸し与えてこそいるが、アズルト自らが事態に関与しているわけではない。
外野なのだ、今はまだ。
だが、クレアトゥールのこうした様子を見るに潮時なのだろう。
公国貴族が四組を訪れるようになってからというもの、アズルトが連帯責任で罰を受ける機会が激増した。学園では許可された場所・場合を除いて魔力を扱うことを厳しく戒めている。感情の制動を最終的に魔力の発散に頼るほかないクレアトゥールにとって、それは避け得ぬ対価だ。けれどそれが、なによりも彼女の負担になっている。
「椅子を少し寄せろ」
「なんだよ」
この瞬間、周囲に散っていたクレアトゥールの警戒心がすべてアズルトに振り向けられた。
公国貴族への苛立ちが、不信と猜疑の眼差しに混じりアズルトを射抜く。
久方ぶりに向けられた敵意をアズルトはどこか微笑ましくさえ感じた。
「おまえは馬鹿だからな。貴族様が勉強を見てやろうという話だ。まあ、男爵の家格がどれだけ役に立つかはあちらさん次第だろうけどな」
クレアトゥールは目をぱちくりさせた後、意図を察し尻尾でばしりと椅子を叩く。
断固拒否、といった様子だ。
しかしこの程度で引き下がるくらいなら、アズルトもはじめから声など掛けてはいない。
隣の席の少女にだけ聞き取れるよう、声を絞りに絞って呟く。
「罰を受けた後、自分がどんな顔をしているか気づいているか」
その言葉は彼女に相当な衝撃を与えたらしかった。
敵意どころか警戒すら抜け落ちたぼんやりとした表情で、その細い指先が頬を弄んでいる。
「思うところあり、か」
「そんなの……ないし」
遅まきながら自らの行いに気づいたクレアトゥールが、耳をぴんと立て顔を背ける。
落ち着きない尻尾が内心の動揺を表しているように思えた。
それを確認したアズルトは、観察に徹する時間を終わりにする最後の文句を切り出す。
「教官殿の愛情が恋しいなら無理にとは言わない。ただ……」
言葉を止めると、焦れたクレアトゥールが横目でなんだと問いかけてくる。
アズルトの助力をこの少女はよしとしないだろう。けれど今を受け入れているわけではないのだ。逃げ出したい気持ちを必死で抑え、その際で踏み止まっている。アズルトがなにもしなければ、きっと限界を迎えるその時までそうしているつもりなのだ。
「あの糞どもが不快なのは俺も同じだ。手を貸すくらい許せ」
だからアズルトは己の論理を押し付ける。
今のクレアトゥールの妥協点が、ここにならあると見越して。
「……ん」
一拍の逡巡の後、クレアトゥールは小さく頷いた。
そうしてそっと、自らの椅子をアズルトの机の傍へと寄せたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます