第16話 東域守座の赤騎士・前

 教官に連れられてアズルトがやって来たのは、警備室とでも形容すべき場所だ。あるいは制御室か。

 研究区画にある大部分の扉は魔術的に管理されている、とはバッテシュメヘの言だ。それらの状態は常時記録されていて、警備室から確認できる仕組みになっている。加えて、開閉を魔術的に制御している扉については、その状態をここから変更することも可能となっている。


 そう話を聞くと気になってくるのは測定会場へと向かう道中の件だ。

 アズルトはなにも好き好んで最後尾をとぼとぼついて歩いていたわけではない。教官から指示が出されていたのだ。

 先に述べたように、研究区画には認証を必要とする扉がある。バッテシュメヘ教官がそれを開け、最後尾を命じられていたアズルトが扉が閉まるのを確認する。そういう段取りで動いていた。


 だが実はあれ、要らなかったのではなかろうか。ここまで魔術的に管理されている施設に、画像投影系の魔導器や魔造生物が配備されていないとは考え難い。常に監視されていたとすれば、扉の開放時間がやけに適切だったことの説明も付く。

 バッテシュメヘ教官の目的はただアズルトに最後尾を歩かせることにあり、それでクレアトゥールが途中で逃げ出すのを抑止していた。そう考えるのが妥当であるように思える。

 穿ち過ぎと思わぬでもないが、バッテシュメヘの対応を見るにそれくらいの予防線は張っていて然るべきだ。なにせ職員の失敗も見込んでいるような男なのだから。


「邪魔するぞ」

 バッテシュメヘは警備室に入ると職員を一目で確認し、無精ひげの目立つくたびれた風体の男に歩み寄った。

 そして開口一番、そのたった一言で事情を語る。

「ガキが一匹逃げ出した」

「よう出戻り。確か前にもこんなことがあったな」

「追えるか」

「何年このつまらん仕事に縛られてると思ってる。追えるってか、らしいのはもう見つけてある」

 男が手元の水晶板に触れると、部屋の中央に鎮座する巨大な流体球に魔力が流れ、研究区画の三次元的な略図が投影された。アズルトの記憶にある図面との若干の齟齬は、投影されたのがあくまでも外向きの情報だからであろう。


「二つも渡っていやがったか」

 バッテシュメヘの舌打ちは、クレアトゥールの予測所在地が測定会場のある区画フロアから少し離れた区画フロアに示されていることに対してのものだ。『渡った』というのは他人の移動に便乗して認証をやり過ごした、ということだろう。

「使えそうな眼はあるか」

「逃げられてよけりゃいくらでも」

「ならいい。温室の状態は」

「管理室に二人。庭に追い込むか」

「任せる」

「おう。後でまた飲もうや。それと、言っても無駄かもしれんがあんま壊すなよ」

「阿呆ぬかせ。宝珠もねえガキをシメるだけだ」


 バッテシュメヘはすでに踵を返し歩き始めている。

 怒鳴られては敵わないと急ぎ足を踏み出しそれに気づいた。

 経験のなせる業、なのだろうか。

 クレアトゥールの所在予測が早くも隣の区画フロアに移ったのを視界の端に、アズルトは間髪を置かぬ男の返答にどこか薄ら寒さを覚えた。



 ◇◇◇



「それで、追い込んだ後はどうするつもりなんですか」

 温室へと向かう道すがら。だんまりを決め込むバッテシュメ教官に漠然とした不安を抱きながらも、それがなにかもわからぬアズルトは仕方なしに声をかけた。

 だが、返ってきたのは気のない返事だけ。

「さあな」

「命じられるままついてきましたけど、そろそろ説明くらいあってもいいと思うんですが」

「逆に聞くが、おまえならどうする」

「どうすると聞かれても、答えようがありませんよ。あいつのことはなにも知りませんから。そもそもなんで逃げ出したりなんてしたんですかね。教官はその辺り知っていそうですが。対処の仕方が明らかに想定していたそれでしたし」


 教官はアズルトの問いには答えず帯鞄ベルトポーチから煙草を取り出すと、片端を魔力で焼き口に咥えた。

 煙草とは言っているが厳密にいえば魔法薬の一種だ。地球的な煙草もあるにはあるが嗜好品としては非常に高価で、同種の形態だと薬煙草の方が普及している。教官が服用しているのもそれで、更に正確に評するなら劇毒だ。

 教官の喫っている煙の主成分はニザ瘴土帯を満たす猛毒の魔力、すなわち瘴気だ。幾分か濃度は抑えられているため副流煙が周囲の環境に及ぼす影響は微々たるものだが、直に喫えば常人なら一本とかからず致死量を超える。


 禁足領域とも形容されるニザは、その浅い領域でさえもただのヒトでは肉体が耐えきれぬ高濃度の瘴気で満たされている。宝珠によって瘴気への耐性を得られる騎士であっても負担は無視できるものではなく、赤位でもまともに活動できるのは第二層までと言われている。

 教官が学園に赴任するまで主な活動場所としてきた第三層は、赤位の立ち入ることの出来る限界とされているが、これは赤位ならば立ち入ることが出来るということを意味しているものではない。

 第三層に挑む騎士はその多くが宝珠による肉体の変質を意図的に引き起こし、極限環境に適応させることでそれを可能にしている。独力でそこに至れるのがおおよそ赤位の上位陣。だからこその限界という意味である。

 だが無理を通せば歪みが生じるのが道理というもの。極限環境に適応した騎士の半数ほどは通常環境での不調を訴えるようになる。その対症療法の一つがいま教官の手にある煙草だ。


 これだけの備えをしてニザに挑みながら、教官として学園に再び押し込まれたのだ。

 事情を知っていれば、周囲への当たりがきつくなるのは納得がいく。

 もっとも憤懣の捌け口とされているアズルトにしてみれば、あんたの事情なんて知ったことかとせせら笑ってやりたいところであるが。


「んなもん要るかよ。馬鹿の相手をするのはこれが初めてってわけじゃねえんだ」

「だから策なんてないと。俺を連れまわしておいて冗談きついですね。そもそもですけど、今回の測定を受けさせる必要なんてあるんですか。入学の必要書類で提出していると思うんですけど」

「前に数値を水増ししてた奴がいてな。おれはそんなのに教えるのはまっぴら御免でね。あの時は二年の最後に潰してやったが、そこまですんのも面倒だ」

「あいつはサスケント寺院の出身ですよね。名前からして」

「阿呆か。出で区別してたら高貴な馬鹿どもが騒ぐだろうが。教会関係者サスケントを例外にしなけりゃどんな貴族も黙る。ちったあ頭を使え」

 もっともらしいが適当にでっち上げたものだろう。ずいぶんと穴がある。そもそもの前提となる測定を拒む高貴な馬鹿が四組ルースには存在しないのだから。


「昨日の勝負、クレアトゥールが勝った件について有耶無耶のままでしたよね。あれを理由に例外を認めればいいんじゃないですか」

「おまえ話を聞いてなかったのか。過程なんぞ関係ねえんだよ」

 面倒くさいとアズルトは思う。

 バッテシュメヘ教官はサスケントに不信感を抱いている。

 クレアトゥールという少女を直にその眼で見て、サスケントの提出した記録に疑問を覚えたのだろう。たった二日でどこまで見抜けているのかは知らないが、教官の疑念は紛れもなく正しい。

 提出された測定の結果は改竄されている。本来の値よりも、おそらくはずっと下に。

 けれど教会関係者そのものである騎士養成学校の教官が、教会組織の不正を面だって口にするわけにはいかない。

 たとえ測定結果に大幅な変化が見られても、値が増加しているのであれば不正の証拠とするには弱い。それにアズルトがそうであるように誤魔化す方法はいくらでもある。

 それでも、より事実に近い数字を手元に置いておきたいのかもしれない。


 だがそんな事情はアズルトには関係のないもの。求めているのは、より手間のかからない形での事態の収拾だ。得るものなどなくてよい。

 初日から破綻してしまったが、アズルトとしては目立つ行動は極力避けたいのだ。

 クレアトゥールに接近するにしても、腰を据えてじっくりと時間をかけて行いたい。

 濁流に放り込まれて岸まで無事に辿り着けるほど、アズルトはヒトと関わることに慣れてはいない。


「さっきのどうするという話ですけどね、サスケントに倣えばいいと思いますよ。なぜ、なんて問いは時間の無駄です」

 バッテシュメヘ教官にこの件を押し付けるべく、アズルトは一歩踏み込むことを選んだ。

 元から大きくもなかった声をいっそう潜める。

「騎士養成学校は生徒を含む関係者に、学内で知り得た情報の外部への持ち出しを固く禁じています。実態がどうのという話はいまは置いておくとして。知らないはずの情報の扱いはどうなるのでしょうね。それも契約を取り交わす前のものとなれば」


 学園は受験者の最終的な合格判断に魔力測定や身辺調査の結果を使用している。

 前者は合格見込みの通知とともに送付され、入学手続きで必要な書類として提出が義務付けられているため、明言はされていないものの合否に関わっていると騎士界隈では認知されている。

 後者の情報は完全に秘匿されているものだが、騎士養成学校という組織の性質を考えればあって然るべきものだし、四百年も続けていれば目端の利く諸侯なら領内のヒトの流れからそういったものが在ることには気づくだろう。教職員から情報が流れないとも限らない。それでも公になっていないのは、誰もが教会の目を気にしてこの件を胸の内に収めているからだ。

 そして閉鎖的なバルデンリンド西部辺境地帯本土出身の候補生には、そうした事情を聞き知るだけの土壌がある。


「それで、サスケントは必要書類をどうやって揃えたんですか」

「知らねえよ。報告に上がってんのは初期の手口だけだ。しこたま殴って抵抗できなくしてから検査、訓練と称し枯渇するまで魔力を酷使させて昏睡したのを検査、復活すんのが早くて拘束具は必須だともあったか」

「それだけの仕打ちを受けて逃げずにここまで来たのを、むしろ褒めてやるべきなんじゃないですか」

 ずいと顔を近づけられ、肺に溜まっていた瘴煙を吐きかけられる。

 これにはさしものアズルトも眉をひそめた。


「阿呆か。結果に寄与しねえ過程に意味なんてあっかよ」

「結果――つまり、動けなくなるまで嬲って連れて行くと」

「教官だからなにをしても許されるってか、んなわけねえだろ。おまえ常識も知らねえのか」

 あまりにも真人間な返答に、初日からその理不尽を振るわれた覚えのあるアズルトとしては絶句する他ない。

 今回の件、クレアトゥールが魔力を指定外で用いたのは疑いようもない。ならばそれを理由に制裁を加えることは道理である。だからこそ呆れを混じえて聞いたのだ。

 あれとこれにいかほどの違いがあるというのだろうか。


 アズルトが訝しんでいるうちに目的の温室の前まで辿り着いてしまった。

 だがバッテシュメヘ教官から扉を開けようという意思は窺えず、呑気にも取り出した二本目の煙草に魔力を灯し始めたのであった。

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