第15話 研究区画と四組のひよこたち

 そんなわけで、四組ルースは粛々と騎士養成学校イファリスの本棟北西部、研究区画を歩いている。

 この研究区画、北に教室を持つ四組から直線距離は近いのだが、そのためには予科生の立ち入りに制限のある騎士会の区画を通るか、完全に立ち入りが禁止されている地下を通らなければ辿り着けないとかいう面倒な造りになっている。

 研究区画と余所との境界は、積層構造の分厚い隔壁を見ずとも一目瞭然だったろう。竜の骨マズヌの基幹構造が暗色の、なんらかの塗料によって被覆されているのだ。そして塗料によるものか、はたまた間に仕込んであるのか、そこからは幾重にもなった魔術の気配を感じる。それがどういった効果を持つのか、というところまではアズルトには読み取れなかったが。


 バッテシュメヘ教官が壁面の金属板に触れるだけで開く扉など、候補生らにとっては目新しいものばかりだろうに、息を呑む様子こそ伝わってくるが、言葉数は少ない。

 目を輝かせて壁にへばりついたり、扉を不思議そうに指先で突っつくキャスパーはいるが、昨日までの賑やかさがどこへやら。

 まあ、理由くらいアズルトにも想像がついているのだが。


 最後尾をのんびりと歩いているアズルトには、四組の面々を観察するだけの余裕がある。男女の得も言われぬ距離感。視線の置きどころを気にするような素振り。時おり見える挙動不審な態度。とりわけ女子に疲労の色が濃い。

 多感なお年頃の少年少女らに昨日のバッテシュメヘ教官の勉強会は、いささか刺激が強すぎたらしい。


 教官が去った直後の訓練場はそれは酷いものだった。

 陰鬱に沈む空気はまるで黒く色づいて見えるような、そんな有様だ。

 恥辱だけではない。彼ら彼女らはこれから待ち受ける教練の日々に思いを馳せ、早くも心砕かれそうになっていたのだ。

 女子の半数は涙をこらえきれずにいた。こんなの聞いてないと、男子からも嗚咽が漏れ聞こえた。多くが頽れ呆然と動くことも忘れていた。


 快活な印象を受けたユリス・ベイ・コルレラータが、ディスケンスに涙声で怒りをぶつけ追い払っていたのをどれだけの者が覚えているだろう。

 ハルティア・ベイ・ゲッヴェが伯爵であるエレーナ・オン・マダルハンゼを抱きしめ立ち直らせようとしていたのに気づいていた者は少ないに違いない。

 仰向けに倒れたまま目元を覆い肩を震わせていたダニール・オン・ルクロフーブを、オルウェンキス・オン・ソシアラが蹴り起こし、魔法で水を浴びせかけ無理やり引きずっていったのは……さすがに皆も気づいているか。


 オルウェンキスの動きに触発されたのだろう、ディスケンスとフェルトが男子連中を引っ張って訓練場を去ってゆき、治療を受けていたキャスパーはメナ・ベイ・ツィベニテアが上手いこと連れて行った。

 後に残った女子たちがすべて立ち去るまでには、もうしばらくの時を要しただろうか。

 教官らと隅の方に身を隠していたアズルトが後片付けに取り掛かれたのは、それを待ってのことだ。手伝ってやれないが頑張れよと肩に置かれた教官の手は、アズルトにとってなんの救いにもならないものだった。

 余談だが、クレアトゥールが訓練場を出たのはアズルトの片づけを終わり際までつまらなさそうに眺めた後のことだ。



 今に話を戻そう。

 バッテシュメヘの被害者で、なんら痛痒を感じていなさそうなのはハルティアくらいだろうか。そもそも彼女は吐くものなど胃に入っていなかったようであるから、被害者に数えてよいか疑問でもある。

 オルウェンキスにもさほど変わった様子は見られない。強いて言うならば、朝からずっとバッテシュメヘ教官を観察しているようだ、ということくらいだ。旗から見ると十分すぎるほどに怪しい行動ではあるのだが。

 昨日の様子からすると男子はだいぶ持ち直した感がある。昨晩はどこかの部屋で消灯時間ぎりぎりまで盛り上がっていたようであるし、怪我の功名というやつかもしれない。

 もちろんアズルトにお声はかからなかった。

 今日やけにおとなしいのは、身分を笠に着たユリスが男子を威圧しているというのが半分、もう半分はバッテシュメヘ教官を警戒してのことだろう。

 それでも研究区画の奥へと進んで行くにつれて、次第に交わされる言葉も増えてゆく。見慣れぬものが多くなり、自ずと内を向いていた意識が外に振り向けられるようになってきたのだ。


 複雑怪奇な魔導器が通路のそこかしこに放置してある。無造作かつ乱雑なそれらは、ここが地上において最先端魔導技術を詰め込まれた施設であることを忘れさせてしまいそうなくらい、退廃的で混沌とした印象をアズルトに植え付けていた。

 開け放たれたままままの扉も多く、部屋のなかを覗き放題なのも安全保障セキュリティの面でいかがなものか。表面に薄く魔術紋を施した透明な円筒で培養されている目玉とか、どう見ても危険物である。先ほど通り過ぎた菌糸類が入口から溢れ出している部屋も、果たしてあれは放置しておいてよいものなのだろうか。


 至って真っ当なものもあるにはある。例えば儀式場だとか。

 儀式場というのは、有り体に言えば空間を丸ごと使って組み上げる魔導器だ。

 最もシンプルかつ多くの用途があるものとしては、『魔法的に外界から隔離された小部屋を作る』というのがある。研究施設ではあまりにも一般化し過ぎていて、これを儀式場に含めるかどうかは施設管理者の判断に委ねることになるが、空間が従来有する性質から変化させるという点において儀式場に区分けされるのは間違いない。


 他にも魔導器に交じって転がっている石柱をよく見た。

 これは魔術の補助器具で、それ自体に魔術や魔力が込められていることもあれば、材質そのものが意味を持つ場合もあったりと、似たような見た目でありながらかなり多様性に富む。


 用途は同じだが原理からして異なる詠唱機は、外ではまず見ない代物だから皆の気を引いているようだ。

 記述式だの口述式だのと言われる古典魔術を機械的に行使するための魔導器で、呪文を到底ヒトの耳では聴き取れぬ超高速で読み上げる鳴唱機、何十何百もの魔法陣を定められた手順に従い秒単位で起動させ続ける投紋機の二種類がある。


 閉鎖環境型の施設に必須とも言える環境調整設備は、ここでは世界樹と総称される魔造植物群を使っているらしい。

 階層をまたぐ吹き抜けの広間に大樹が茂っている様には、皆そろって首を傾げていた。天井部に青空が投影されていたことも混乱に拍車をかけたのだろう。これまで窓一つなかったところから一転、である。

 ただまあ、アズルトには植物と放置されたままの魔導器の組み合わせが、まるで文明の滅び去った後の都市を想像させるのであったが。

 年が変わってまだ間もないからか、行き交う研究員の姿が多いのがせめてもの救いである。


 研究所というよりも、発明家たちの秘密の楽園。そんな雰囲気の場所だ。

 役割としては病院のようなものであるはずなのだが、統一感は欠片も見当たらない。

 ニザの研究所はその点、実によく整えられていた。様式としては黄泉の世界のそれだが。機材はどれも生っぽくて、妙な温もりがあったりと設計者の正気を疑うようなものばかりだったが、ここと比べればなんとまともであったことか。

 世間一般のヒトが聞けば『逆だ』と反論しそうなものだが、アズルトにはまるでその自覚がない。

 こちらの研究施設の魔導器にも生物的な造形は多々見られる。

 ただ大半は植物をベースに設計されたもので、そうでなくとも、生理的嫌悪感を抱かずにはいられないようなそんな冒涜的な造形には未だお目にかかってはいなかった。



 そうして長々と研究区画を歩いて目的の測定会場へと到着する。会場とは言ってはみたが、ただ関連する検査室が並んでいる一帯というだけだ。

 アズルトは辺りを観察しながらも、頭のなかにある図面と現在位置との確認を怠りはしなかった。ここまでやけに歩かされたと思っていたアズルトだが、図面から場所を割り出せばなんということはない、騎士会区画にある扉はいわば裏口のようなものなのだ。

 本棟西部にある扉から入れば長々と通路を歩くこともなくこの場所に着く。

 騎士会から西側に抜けて、表の入り口から向かうのが時間効率としては良さそうにも思えたが、バッテシュメヘ教官は、四組ルース一組アルの教室に近づくのを避けたのかもしれない。


 さて、測定会場にやってきてまず行うことと言ったら着替えだ。

 貴族の服飾には魔術的な細工を施してあるものが多いので、頭のてっぺんから足の先に至るまで測定のために用意されたものに取り換える必要がある。

 バッテシュメヘ教官から測定の具体的な流れの説明を受け、男女はそれぞれの更衣室に入ってゆく。

 アズルトも先頭集団に引っ付いて入った。そして中にいた職員から着替え一式の入った籠を受け取ると、他が選びやすいようさっさと隅の方に自身の場所を定める。


 慣れた手つきで検査衣に着替えたアズルトは、話し相手もいないためそのまま検査待合に向かうことにした。

 他にまだ誰も来ていない待合に入ると、途端にため息を吐きたくなる。

 己の体を見下ろせば、前合わせの一枚布の検査衣に突っかけサンダル。細部は違うもののどこかでよく見た格好に、望みもしない郷愁を覚える。

 辟易、なんてするほど思い入れのある過去ではない。ただ少し、偶然が供した嫌味にため息のひとつくらい吐きかけてやろうという気分にもなる、というだけの話だ。

 もっとも、それを実行に移す機会は直後に失われることとなった。


「待ちなさい!」

 女性の叱咤が廊下に響き渡る。

 一拍遅れる形で騒がしくなったのは更衣室の辺りだろう。耳に届くのはアズルトにも覚えのある声ばかり。

 先に検査室に入っていたらしいバッテシュメヘ教官が待合所に出てきた。騒ぎが耳に届いたのだろう。待合所にいるアズルトを見て眉間に皺を寄せたが、特になにを言うでもなく騒動の方へと歩いてゆく。急ぐでもなく、いっそ気だるげに。

 騒ぎは想定の範囲内。バッテシュメヘ教官の歩みはそれを物語っているようだった。


 気乗りしないのはアズルトも同じだった。けれどこの場に残ったところで事が済むまで待つのは同じ。

 それに面倒だから逃げたとあればあの教官のことだ、不満の捌け口に嬉々としてアズルトを選ぶだろう。


 重い足取りで更衣室前まで引き返せば、すでに状況は明らかだった。

 方々で同じような会話が為されているため、特段アズルトが聞こうとせずとも大まかなところは自然と耳に入ってくる。

 曰く、更衣室でクレアトゥールが暴れて逃走した。

 細部の食い違いは、少し離れたところでバッテシュメヘ教官が女子を担当していた職員から事情を確認しているので、そちらで補うことにする。

 観察眼で頭一つ抜けているメナ嬢がいれば彼女の発言を参考にするのだが、生憎と姿が見えない。やはり彼女はこうした低俗な娯楽には関心がないらしい。


 肝心の騒ぎであるが職員の言葉をまとめると、逃走を図ったクレアトゥールを職員が捕縛しようとして暴れた、といった顛末になるだろうか。暴れたの部分にやや主観が強く、より客観的な情報を望むのであればメナ嬢に尋ねるのが正解だろう。


「青を寄越せと言ったろ。ま、来ねえのなんてわかってたけどな」

「油断、しただけです」

「加減した無位にあれが捕まるかよ」

 男子を担当していた職員が不憫そうに女性を見ているが、表情とは裏腹に擁護に入る素振りは見えない。教官をよくわかっているのだろう。

 バッテシュメヘ教官は悪い意味で目立つ。教職員で知っている者は多いはずだ。そしておそらく直に接して評価を上と下に足すことになる。


 しかし、クレアトゥールの逃走を見越して手は打っていたようだが、それが不発に終わった今、次の手はどうするつもりなのだろう。

 研究区画は要所に魔術式の自動扉があるため、権限を持たないクレアトゥールは遠くまでは逃げられない。けれど近場と言ってもそれなりの広さはあるし、なにより騎士でない職員もここには少なからずいるわけで。

 アズルトが思案していると、四組ルースの生徒らに向かってバッテシュメヘ教官の罵声が飛んだ。


「愚図ども。時間は決まってる、さっさと着替えを済ませて測定に入れ。指示は担当から聞くように、おら動け」

 蜘蛛の子を散らすように四組ルースの生徒が逃げてゆく。着替えを終えている者は待合へ、そうでない者は更衣室へ。若い男性職員もこれ幸いとばかりに引っ込んでしまった。


 戻るか。取り残される形になったアズルトが、引き返すべく振り向きかけたときだった。

「おまえはこっちだ」

 他人事と気を抜いていたアズルトに、バッテシュメヘ教官からお声がかかった。

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