第10話 騎士による洗礼・後

「口で教えるのは時間の無駄だ。騎士を名乗る者の力を見せてやる。クレアトゥール、キャスパー、ベルナルド、ニー、ジェイク、メナ、ガガジナ、……アズルト。おまえら八人は後回しだ、この場に残って見ておけ」

 防壁魔術の立ち上がりを確認し、バッテシュメヘが訓練場の中央へと移動する。

 だが間もなく、未だ二の足を踏むひよこたちの姿に舌打ちが飛んだ。騎士と戦うということで完全に腰が引けているらしい。これが命令であることも忘れて立ちすくんでいる。


 魔力と衝撃を吸収する積層素材の壁に四方を囲まれ、観覧席との間を幾重もの魔術防壁によって隔てられた訓練場は、下級の黒騎士の攻性魔術をも容易く凌ぐ設計であるとされる。

 中にいる者の安全性など問題は多く、使用には教官ないしは騎士会、寮会の許可と立ち合いが必要になるし、膨大な要求魔力をどうやって賄っているのかも謎だ。ラケルの歴史を紐解けば解決法はいくらでもあるが、いま重要なのはそこではない。

 本格的な魔術戦闘を行う備えを目の前に示された。それが彼らにを連想させるのだ。だがそれでも、こういうものは一人が動けば後も続く。問題はその一人が出ないことで……。


 自尊心が強くこのような場面で真っ先に動きそうなオルウェンキスは、生憎とひよこたちの中では最も騎士に親しい。

 エレーナ・オン・マダルハンゼ女伯爵は四組ルースで唯一爵位を持つ掛け値なしの諸侯だが、十四歳とやはり子供で、入学試験の剣の腕も並という評であったから先陣を切るのは難しいだろう。

 四組ルースには他にハルティア・ベイ・ゲッヴェというソシアラと肩を並べる大貴族の娘がいるのだが、経歴からして彼女は動くまい。


 勇んで挑みかかりそうな奴らをすべて弾いてしまったのは失策でしたね、とアズルトが視線を向ければ、バッテシュメヘも同じ結論に達していたらしい。盛大な溜め息とともに肩を落とし頭まで振ると、やおら右の掌を掲げた。


「見ろ、屑ども」

 上にした掌の中で青の魔力光が三次元的な陣を描くと、次の瞬間には小さな光点に収束する。解けるように消えた光の跡に残ったのは、小指の先ほどの半透明の結晶体――<宝珠>だ。バッテシュメヘは見せつけるようにしてそれを上衣の内ポケットの仕舞うと、ひよこたちを嗤った。


「おれとしたことがウッカリしていた。おまえらごとき糞虫じゃあ騎士のなんたるかは理解できねーよな。いやホント悪かった。おれには塵の見る世界なんてさっぱりでな。で、どうする。遠慮するな。誰からなんて言わん、全員で来い。殺す気でな。一太刀でも入れられた奴は次の実技試験をパスさせてやる」

 そんな約束を担当とはいえ教官がしていいのかよ、と思わずにはいられない。

 次の実技試験というのは、前期末の遠征のことだ。パスさせたら人数が合わなく……そこまでに落伍者がでるという予想だったりするのだろうか。要らぬところで不安に慄くアズルトだ。

 この程度の相手では万が一にも不覚は取らないという自負があるのかもしれないが。


 流石にこの挑発は看過できなかったらしく、お貴族様筆頭のオルウェンキスが勢いよく集団から飛び出した。

「青騎士風情がなんたる傲慢。宝珠を外したこと後悔させてやる。おれはソシアラの名を継ぐ者、オル――」

 単身斬り込んだオルなんとかは、抜き手で剣を飛ばされ鳩尾を掌底で強かに打たれ呆気なく沈む。

 瞬きの間ほどで行われたそれは、無駄のない鮮やかな手並みであった。無論、人間業ではない。闘気を用いた達人の挙動だ。地面に崩れる寸前に爪先で掬い上げられ靴裏が叩き込まれたのは、死体蹴りなどではなく場外へオルウェンキスを退避させるためだったと信じたい。


 昼飯を撒き散らしのた打ち回っていたオルウェンキスは、控えていた教官に手早く回収され舞台を降りる。

 中々に衝撃的な光景であっただろうに、ひよこたちの中には顔を見合わせ頷き合う姿がちらほら。腐っても候補生ではあるらしい。再び腰が引けてしまった者もいるようだが、全体の士気は上がっている。


「皆、昨日の二人の、その……アレは覚えているな!」

 女伯爵が一同を見渡し鼓舞するように声をあげた。途中言葉を濁したのは、まあアレだからだろう。余計なことを口走って藪蛇はご遠慮願いたい。自粛するのは賢い選択だとアズルトにしても思う。

「教官殿はあの二人以上の手練れだ。あの場に割って入ることのできなかった私たちでは、正面から挑んだところで馬車の先に舞い込む赤結せきけつの葉の如く、であろう。故に、囲んで同時に仕掛ける」

「……包囲は半円で、魔法を使える人たちで最初に一斉射。そこから先は乱戦になるだろうから魔法は控えた方がいいと思う」

「フェルトに賛成!」

「分かった。コルレラータ嬢の案でいこう」

 作戦はバッテシュメヘにも筒抜けだが、こういった場面では意思統一をするのがなによりも肝要だ。その辺りを理解しての行動であれば、女伯爵閣下も優等生君も指揮官として十分に使える駒になるだろう。


 こうして即席のチームが結成され、ひよこは狩場に躍り出た。

 行くぞの号令とともに六の魔力光が煌めき、摂理を捻じ曲げ事象を顕現させる。

 あるものは炎の槍に、またあるものは炎の礫に、氷針が駆けたかと思えば、地面から土杭が突き出す、握り拳ほどの暴風が荒れ狂い、一条の閃光が刺し貫く。

 そこへ臆することなく飛び込んでいくのはエレーナ・オン・マダルハンゼ女伯爵と、イケメンのフェルト、その同郷のディスケンス。これにぼさぼさ頭のダダと、アズルトと同じバルデンリンド公爵家の陪臣グリフ・ベイ・オルディスが続く。


 結果は……アズルトには目を瞑っていても分かる。

 強度の低い魔法はバッテシュメヘの発した略式の攪乱魔術によって構成を崩され、魔力の塵となって掻き消える。

 先陣を切った者たちは無傷で佇む男に渋い顔をし、得物を弾かれ、打撃を叩き込まれては宙を舞い、地面に打ち据えられた後、悶絶して吐瀉物をぶちまけていった。

 貴族の子息子女が、良家のぼんぼんが、自信を打ち砕かれたばかりか恥辱と汚辱を塗り込められていく有様は、目に余る光景だと思う。

 おまけに絶妙な力加減で気絶することすら許さない。じわじわと屈辱を噛みしめさせるとか、教官殿は外道かな。


 目を逸らしてあげるべきなのか、それがより尊厳を踏みにじるのか、似非貴族のアズルトには学ぶべきことが山積みである。

 吐くと後の処理が面倒なんだよなと逃避気味に思考を巡らせていると、アズルトの目の前に撃沈した生徒たちが放り出された。そして回収を担当していた教官が何食わぬ顔で実演しながら対処法を伝授し始める。アズルトは身を以て覚えさせられた口なので今更ではあるが。


 他の六人のところを窺えば、男子のところには女子が、女子のところには男子が優先的に集められている。徹底しているなともはや呆れの境地である。心を折るという意味でもそうだが、治療についても同性の方が迷いが少なくてすむ。それを異性で示すのは、現場における僅かな躊躇すらもなくすためだろう。手が込んでいる。

 まあ、隣にクレアトゥールがいるからか、アズルトが見せられているのは野郎の治療風景なわけだが。

 クレアトゥールには思うところはないのかもしれない。けれど道端に落ちている糞を見つけたかのように見降ろされる彼らの心境については、お悔やみを申し上げよう。


「なんだか慣れてそうだな」

 三人目の処置が終わったところで飽きたのか、視線はそのままにクレアトゥールが呟いた。

「ん……、ああ。ここに来る前に体に叩き込まれた。そういうあんたも経験はあるんだろう」

「まあな」

「なんだ、反応薄いと思ったらどっちも経験者か」

 そんなアズルトらのやり取りに嘆息したのは、目の前で熱心に指導をしてくれていた若手の教官だ。気の良いお兄さんといった風体の人物で、気配りの行き届いた解説は要点がよく強調されており、初見であっても必要な箇所は漏れなく記憶に残るものであったろう。


「先にお伝えするべきでしたか?」

「いやいいよ。半分は彼らへの説明だからねっと、話をしている間に終わりだ。いいかい、今のをしっかりと頭に叩き込んでおくように。これから先、きっと何度もやらされることになるからね」

 四人のひよこたちは顔を青くしてカクカクと首を縦に振る。

 嘔吐の処置だけか。やはり治癒術の類は使わないらしい。汚れもそのままである。教官はこっそりと魔術で手を清めていたが。


「質問よろしいでしょうか」

 一段落したのを確認して、アズルトは気にかかっていたことを尋ねてみることにした。

「そうだね、まだ少しくらいなら大丈夫そうかな。質問どうぞ」

「はい。これは、学園では普通のことなのでしょうか?」

 ああ、と教官が苦笑する。

一組アル二組ヴァーテでこれをやったら青位を剥奪されるかもしれないね」

「それはつまり、四組ルースだから許される、ということでしょうか?」

「そういう側面がないとは言い切れないけれど、普通やらないよね。それに初日でしょ、実質これ。まあ、マフクス・ディアだから……彼が言っていたけれど、運がなかったんだよ、君たちは」

 運がない、か。それはまた随分と作為の乗った運だとアズルトは苦笑を噛み潰す。


 マフクス・ディア・バッテシュメヘ――三年ぶりに教壇に戻った赤と青の位格を持つ騎士。

 現在の本科五年とその三つ上の学年を担当し、卒業後を含めれば五人の黒位を出している戦技教導の鬼。今の学内序列一位であるシュケーベ・ディアも確か彼の教え子だったはず。


「さて次は君たちの番かな。前線から急遽呼び戻されたせいで虫の居所が悪いみたいだから、死なないように頑張りなよ」

 若手教官の不穏な台詞に視線を上げれば、訓練場中央を焼野原にしたバッテシュメヘが今まさに集合をかけるところであった。

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