第9話 騎士による洗礼・前

 学園生活二日目の午後。アズルトら四組ルースの候補生は教官の指示により、第五屋内訓練場に集められていた。

 揃いの、未だ汚れを知らない生成り色の道着は、昼前に訪ねた需品科で支給されたものだ。味気のない実用一辺倒の作りで、既製品の中から選ぶという形態を取っている点も踏まえれば、これらが消耗品であることが察せられる。


 貴族からの評判はすこぶる悪い。

 似た用途でありながら制服に近い仕立で、刺繍の類であれば認められる訓練服。野外演習等で用いられる戦闘服も、細部の意匠にはかなりの自由裁量が認められている。これらと比べた時、道着は彼らの眼にあまりにもみすぼらしく映るのだろう。

 他との違いに気づいておきながらあげつらうことにしか考えが及ばないのは、貴族の子弟としていかがなものかと思わないでもない。しかしよくよく考えてみれば彼らの多くは、未だ成人とされる十五歳を迎えてもいないのだった。

 子供なのである、ゲームと同じで。

 いや、違うからこそ子供なのか。


 ラケルはゲームと同じ歴史を辿っている。教材として用いられる『教会史』や『地方史』、『国史』といったものは世情に歪曲されるものであるから齟齬も多いが、高位の教会関係者に教えられる人界の歴史――『地上史』については、かなりの確度であると言ってよい。

 けれど細部に目を向ければ、違いなど山のように見つけることができた。それは学園にも当てはまることだ。

 これまでに述べたものから違いを例として挙げるならば、入学の資格年齢も、候補生の年齢も、ゲームの設定から押し並べて二年分下がっている。ただそれとは別に成人年齢もゲームでの二十歳から十五歳まで落ちているので、その違いによって社会的な位置づけが結果として似た形に収まっていた。

 違うからこそ子供というのはこれが理由だ。そしてこんな齟齬を孕んだままゲームの登場人物が学園に揃うというのだから、なんとも妙な話である。


 本題に戻ろう。

 そんな名実ともに子供な彼らは、これもまた支給された銘々が得意とする訓練用の武器を手に、和気あいあいと雑談に興じている。いや彼らの名誉のため、親睦を深めていると言葉を改めておこう。教官殿から賜った重大な任務である。悪いことはなにもない。指定の時間までまだ少しあるのだから、その熱心さを評価することこそ正しいのだろう。

 だが彼らはここが毎年多数の落伍者を出す騎士養成学校であることを忘れているのではないか。アズルトはそんな疑問を抱く。準騎士号は金で買えると言われているが、それは成績の話である。訓練を乗り越えられるかどうかはまた別の話だ。


 さて、第五屋内訓練場には四組ルースの候補生の他にも五人の教官の姿がある。一人は担当であるマフクス・ディア・バッテシュメヘであるが、残る四人は今日が初めて見る顔だ。彼らは生徒から離れた壁際に担当教官殿を中心に集まって、小声でなにやら打ち合わせを行っている。

 飄々としたバッテシュメヘとは対照的に、残る四教官の表情は一様に渋い。密談にしては魔術による結界を張っていないというのも妙な話で、それだけに胡散臭い。

 いったいなにを企んでいるのやら。アズルトにはお貴族様方のような素敵な妄想はできそうにない。


「呑気なもんだな」

「まったく。是非もない」

 すぐ隣で放られた気だるげな呟きに、アズルトは肩を竦め、なんとはなしに言葉を返す。視線をほんのわずか左に寄せれば、教室より少しだけ近い位置にあるクレアトゥールの、あまり手入れをされていない赤毛が映る。確か尻尾もそんな感じだった。もったいない、と思わないでもない。


「気が付いているなら教えてやったらどうだ」

 斜め下に傾きつつある思考を誤魔化すように言うと、不機嫌そうな瞳がアズルトを映し睨んだ。

「おまえがあたしの立場だったら言うのかよ」

「まさか。そんな無駄なことしてなんになる」

 どうせこれから嫌と言うほど思い知らされるんだ。

 伏せた言葉はしかし彼女には筒抜けだったようで、険のある琥珀に呆れを滲ませ歎息して見せた。


「それで、本当はなにしに来たんだ。あんたはお喋りを楽しむタイプには見えないが」

 ここにきてようやくアズルトがクレアトゥールに顔を向けると、彼女はぴくりと耳を震わせあからさまに動揺を示した。尻尾もどこか忙しない。

 仏頂面に磨きがかかり鋭くなる眼差し。唇が二度三度となにか言葉を口にしかけるも、声にはならない。そして終いには顔を俯けられてしまった。

 硬く握り締められた拳が彼女の胸に渦巻く激情を物語っているようで、アズルトにはとてもではないが追及することができない。


 アズルトから昨日の件を蒸し返すのは気が引けた。当人から切り出す分にはよいが、逆はなしだ。下手に触れれば彼女にとっての火種を引くことになる。

 短いやり取りではあったが、初めて会話らしきものが成立した。互いの中に消化しきれない想いがあるにしても、今を不意にしてまでその解消に動く意義は薄い。

 だからアズルトは視線を賑やかな集団へと戻し、クレアトゥールの答えを待ってはいないのだと、無言のうちに示すのだった。


 やがて教官からの整列の号令がかかる。

 アズルトがそのまま言葉もなく一歩を踏み出すと、クレアトゥールも同じようにして後に続いた。


 ◇◇◇


四組ルースに割り振られたひよっ子ども。実技の授業に入る前に、ひとつ現役の騎士様からありがたいお話を聞かせてやる」

 腕を組んだバッテシュメヘが、教室とは前後逆の形に整列するアズルトらを前に声を張った。

 大上段の物言いだが、多くの者が居住まいを正し隠しきれぬ強張りを面に耳を傾ける。無駄口を叩く者は皆無だ。アズルトらへの教育的指導は受けた当人らにも増して、組の者たちの素行改善に役立っているようである。


「まずは今年入学することになったおまえたちの運の無さには同情してやる。言っている意味が分からないか、まあいい。知っての通り三国の王族が時期を合わせて入ってきた今年は、例年に比べ際立って学園への入学希望者が多かった。高い競争率を乗り越え合格を果たしたことで、おまえたちは多少なりとも己の能力に自信を得たことだろう。そして自分たちは名誉と栄光の入口に立ったと、そう確信している」

 初め首を傾げた者たちは多かったが、語られる言葉に矜持を刺激されるころがあったのだろう、あちらこちらに小さく頷く者の姿があった。

 だからこそ、続く教官の言葉を理解するには幾許いくばくかの時間を必要としたに違いない。


「――愚かだな。選ばれなかった屑の山から拾われた、まだ使えるかもしれない屑。おまえたちはソレだ。学園はこの組に期待などしていない。精々が貴族組の引き立て役」

 バッテシュメヘはそこで言葉を置くと、反感が行き渡るのを待ち、再び声を張った。

「おまえたちの眼に騎士はどう映っている。おまえたちが目にしていたのは、騎士の為した栄光の軌跡ばかりだ。民の前で悠然と振舞う騎士たちは品位に優れ、地位と権力に支えられて眩しく輝いていたことだろうよ。だが、それはおまえたちの未来ではない」

 概ね間違いではない。

 人々を導く光としての騎士――そうした世間一般に語られる騎士像は、貴族組つまり一組アル二組ヴァーテから輩出される竜騎士や聖騎士、青騎士らによって作り上げられたものだ。四組ルースからそうした位格の騎士が出ないとは言わないが、稀有な存在であることは確か。

 大貴族であるオルウェンキスですら例外ではない。いや、古い貴族である純血派の筆頭であるからこそ、新たな時代を担う導き手として排される境遇にある。

 だが、バッテシュメヘが言いたいのはまた別のことであるとアズルトにはわかった。


「騎士の本質とはな、兵士でありそして兵器だ。人類を護る最後の盾であり、人類の行く手を阻むものを切り捨て道を作る剣なんだよ。そして騎士は、騎士であるが故に強いわけではない。強者であるが故に騎士を名乗ることを許される」

 言い切るとともにすらりと剣を鞘から抜き放つ。

 訓練用のものとは違う、真剣の冷気がその刃にはあった。いや事実、刃には魔術による寒風が薄く貼り付けられている。愚鈍な新兵の未熟な危機感を刺激するためであろう。そしてその効果は確かに表れているようであった。

 ただもしかすると少々、冷気が効きすぎたかもしれない。憤懣も反感も、待ち受ける暴力を前に立ち枯れてしまった。

 極一部、まるで動じていない者たちも混じってはいるみたいだが――。


「口で教えるのは時間の無駄だ。騎士を名乗る者の力を見せてやる。クレアトゥール、キャスパー、ベルナルド、ニー、ジェイク、メナ、ガガジナ、……アズルト。おまえら八人は後回しだ、この場に残って見ておけ」

 そんな三人は目敏いバッテシュメヘによってひよこたちの群れから追い出されてしまった。

 凡人らしく動揺して見せたというのに、名が呼ばれたことはアズルトにとってまことに遺憾である。

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