第8話 狐耳の裏ボス

 アズルトはクレアトゥールという少女をある意味においてこの世界の誰より、それこそクレアトゥール本人よりも詳しく知っている。

 察しのよい者はこれだけで気づいたことだろう。

 そう、クレアトゥール・サスケントは『ムグラノの水紋』に登場していたキャラクターなのである。


 受ける印象はずいぶんと異なる。

 ゲームにおける彼女は揺らめく長い髪に爛々と灯る金の瞳が代名詞とも言える、幽鬼を思わせる出で立ちだった。人によっては大きな金属首輪や手枷足枷、四肢に巻かれた鎖を特徴として挙げる者もいるかもしれないが、あれらはオプションであってクレアトゥールを体現する要素と言うには語弊がある。

 というわけで、ゲームでの彼女の面影をアズルトの左隣の席に座る少女に見ることはできない。それでも名前の一致と片耳の獣人という共通項、加えて垣間見せた規格外の魔力、極めつけはあの欠陥だらけの社会性である。これで別人という方が驚きだ。


 こうして語ったクレアトゥール像からもわかるように、彼女は主人公らの仲間になるキャラクターではない。

 仲間にならないだけで敵というわけでもないのではあるが。


 学園の生徒は本科一年にあがると準騎士の称号が与えられるとともに、序列によって戦闘実技の格付けがなされる。この格付けは学年の垣根を越えて行われ、在学騎士を含む本科生すべての中で優劣が定められることになる。

 卒業資格を得て騎士を名乗れるようになると、在学騎士として個人単位で外に出る機会が増える。そうなると必然、組単位で活動を行うには不都合な部分が多くなる。その埋め合わせとして定められている試験の一種なのだ。


 審査基準は単純明快。試合で勝てばよい。

 もっとも、試合の最小単位は班となっており、隊単位で行うものもあるのが、イファリスらしいところだろう。例年、経験に富む高学年の位格持ちが上位を席巻するのだが、当然といえば当然である。

 けれど、今年入学した候補生が本科にあがる再来年、そんな常識を嘲笑うかのように、卒業資格すら得ていない準騎士が学園最高位の座に就く。それも班、隊ともにすべて単騎で喰い散らかす形で。


 序列一位、黒位を凌駕し天位に迫ると評される人格破綻者。

 それが作中におけるクレアトゥールの配役だった。


 システム面で言えばアリーナのランキングトップ。やり込み勢の最後の遊び相手という位置づけになるだろうか。

 他の騎士・準騎士とはまるで異なる獣じみた挙動に、プレイヤーからは狂犬ちゃんと呼ばれていた。最高難易度にした時のステータスのインフレ具合も掛かっていたのだろう。

 実際のクレアトゥールは狐系統のフェテ族の獣人で、犬呼ばわりしようものならどんな逆襲が待っているか知れたものではないが。

 ただ、アズルトに言わせれば狂っていたのは一度取った行動に対して完璧な対策を講じてくる鬼畜AIの方だ。開幕低確率デバフのリセット戦術とか断じて認めない。


 今朝がたの騒動についても、その中心にいるのがクレアトゥールであることは割と早い段階で目星がついていた。教室には他に条件に合致しそうな人物が見当たらなかったというのもあるが、かような人物が他者とまともにコミュニケーションを取れるとは考えにくかったのだ。

 フードから覗いた耳には安堵を覚えたほど。

 まあ、直後の暴挙で深刻さを思い知らされたわけであるが。


 無関係のいざこざに手を出したのは、ひとえにオルウェンキスの生命を危ぶんだからだ。もしあそこでアズルトが止めに入らなければ、クレアトゥールは闘気の籠った拳をオルウェンキスに見舞っていただろう。

 いくらお貴族様の制服が特別で、防護の術式が幾重にも組み込まれていると言ったって発動しなければ意味がない。アズルトの知るクレアトゥールなら、守りの間隙を縫って直接魔力を叩き込むくらいやってのける。

 無警戒の人間があの魔力を直に受けたらどうなることか。運が良くて重傷、場所によってはまあ普通に死ぬ。散々に殴られたアズルトは確信すら得ていた。

 付け加えると、それはなにもアズルトひとりの見解ではない。幾人か、アズルトと同じ結論に達していたらしいことは彼らの振舞いからして明らかだ。


 作中でボンクラ貴族は死んでいたのかもしれない。けれど人死にを好むアズルトでもない。死なずにすむと言うならばそれはなんと素晴らしいことか。

 体の自由が奪われるとかなると一概には言い切れないところがあるが。

 それに拾った命で悪事を働く輩もいるだろう。オルウェンキスなど感謝よりも怨嗟を集める人間の典型だ。彼によって苦しむ者が現れるのはもはや避けようのない未来に思える。

 それは俺の関知するところじゃないだろと、今のアズルトなら言い切るだろう。では小心者のアズルトは? 小心者はなにも言わない。ただ胸の内で思うだけだ。オルウェンキスなんて知らない。その死で被るクレアトゥールの不利益を回避しただけだ、と。


 兎にも角にもアズルトがクレアトゥールとオルウェンキスの運命を捻じ曲げたのは変わらぬ事実であり、けれど四組ルースに集う候補生の悉くがその事実に気づかぬのも、また変わらぬ事実なのであった。

 だがこれはアズルトにとっての真実。

 オルウェンキスとクレアトゥールの諍いにアズルトが横槍を入れ、暴れた。

 意味のとらえ方の違いはあれ、彼らにとっての真実はただこれひとつだった。

 そして世界にとっても。


 重要事項説明書といった趣の手帳を配り終えたバッテシュメヘ教官が、面倒くさそうに、それでいて仕方なしと規則の解説を始めたのも、そうした因果に連なるものだ。

 近々の予定が取って付けたようなおざなりなものであったのも、たぶんきっとそうなのだろう。


「これで全部か……ああ、編成について言ってなかったな。細かいことは手帳を見ろ。実際に班を決めるのは中間考査の後だ。それまでは適当に周りの奴らと親睦を深めておけ。夏に遠征に出たい奴は特にな。さてこんなもんか。質問は?」

 女伯爵のマダルハンゼ郷やイケメンで優等生感のあるフェルトがいくつか問いを口にしていたが、いずれも手帳を見ろ寮会に聞けで終わった。

 この教官、実に四組ルースの担当らしいイイ性格をしているのではなかろうか。


 ――それにしても親睦……親睦、ね……。

 友人とはどうやって作るものだっただろうか。ゲームなら悩みのひとつでも解決すればころっと仲間になってくれるのだろうが、あいにくとここはゲームではなく、ボタンを押したら勝手に悩みを話し始めてくれるような便利機能もない。

 そもそもアズルトが声をかけたら、それが悩みになってしまいそうな現状である。

 ネトゲの中にしか友と呼べる者を持たなかったアズルトには、途方もない難行に思えてならない。


「いいかおまえら、うんざりしてるのはおれも同じだ。だから言うのはこれで最後だ、というか最後にさせろ」

 バッテシュメヘの恫喝が低く四組ルースの教室に染み入る。一度鋭い視線が向けられるが、これはアズルトとクレアトゥールだけを指して言っているわけではないのだろう。居並ぶ候補生の反応を確かめるような間があった。


「許可された場所、場合以外で魔力を使うな。殴り合いがしたけりゃ訓練時間にやれ。今朝のはデモンストレーションだ、次やりやがったら二日は飯が食えない体にするぞ」

 教官が鞘に入ったままの剣を教卓に叩きつけ、鈍く鋭い音が教室を震わせる。

 幾人かが小さく悲鳴を上げたが、教官のあれはフェイクだ。本当に今の音が鳴る勢いで教卓を叩けば今朝の二の舞になる。


 鞘と卓の双方に魔術の付与を行い、その干渉により音を響かせた。そんなところだろう。言うは易いがそれを周囲に悟らせずにやるとなるとかなりの難事だ。

 事実、完全な成功とは言い難い。何人かは看破した素振りがある。

 さりとて、口にされた言葉は確かに実行に移されるであろうから、重く受け止めておいて間違いはない。なにせ今日アズルトらに行われた指導は、闘気を上手く扱えない者が受けていれば丸一日は身動きが取れないほどの激痛を伴うものだった。

 教官のぞんざいな語りを、お貴族様のオルウェンキスまでもがくそ真面目に聞いているのは、その時の光景が目に焼き付いているからであることは疑いようもない。


 誤解の無いように言っておくが、打擲ちょうちゃくから身を護るために闘気を用いたわけではない。反省室で魔力を巡らせ治癒を促進させただけだ。もし罰の最中に闘気による防御行動など取った日には、反省の色なしと目も当てられぬ追加授業が課されていたことだろう。

 クレアトゥールも同じ罰を受けたわけだが、彼女が最初に数度口答えをした以外に、反抗的な態度を見せず無抵抗に鞘を受けたことは、アズルトに少なからぬ驚きをもたらした。彼女の隣に座ることに躊躇わなかったのは、ゲーム情報に寄っていたアズルトのクレアトゥール像が大きく見直されたからでもある。


 頭に血が上ると冷静な判断ができなくなるようだが、決して察しが悪いわけでも話が通じないわけでもない。と思う。

 分別についてはなにも言うまい、常識こそ怪しい。

 だがそれでも、目の前の少女は設定にあるような人格破綻者とは――少なくとも今はまだ――違うとアズルトは考える。そしてその考えは、朝の一件がクレアトゥールの地雷を踏み抜いた末の事故であるとの推察を、アズルトに与えるに至っていた。


 形ばかりの質疑応答が終わると、学園施設の案内に移った。

 案内……まあ、案内でいいだろう。教官に連れられて向かった先が訓練場と救護室、それから遅めの昼食で寄った大食堂は除くとして、立ち入り制限区画だけだったところに悪意を感じぬでもないが、それはアズルトの心が荒んでいるからだと思うことにする。


 素通りであったが、他の組の教室の前を行く機会には恵まれた。もちろん教室は空であったわけだが、直に三組ロウ四組ルースの孤立ぶりを目の当たりにしたことで、学園という組織が組ごとの寮を基軸とする縦割りの構造であることを実感する。

 ゲームは横割りの図式での進行が中心だったが、あれは互いの教室が見える位置にある上位二組が物語の中心だったため。正史の視点で見るなら第二王子ルドヴィク殿下がいるから、となる。作中では他の組にいる友人を頼るという展開があったが、あれも学園において邪道の類で、本来は寮会を頼るものらしい。


 先に組の成績次第で格付けが変わると述べたが、所属する寮は入学時のものから卒業まで変動はない。入学時の格付けを寮会が一丸となって覆させる意図がこの制度の裏には潜んでいる。家伝の技術なんかを学園に還元させる目論見もあると予想された。

 旧来からある騎士養成学校の仕掛けだろう。それがイファリスで機能しているかははなはだ疑問であったが。


 案内のさなか益体のない思索にふけっているところからも分かるように、アズルトは暇を持て余していた。

 初日にして級友との間に底の見えぬ溝を作ることに成功してしまったアズルトは、この学園行脚の間、黙々と列の最後尾をついて歩くだけ。

 同じく列から距離を取って歩く狐娘が一人いたが救いにはならない。ちょっと目が合うだけで不機嫌そうな顔をいっそう険しくするのだから、社交性に不安だらけのアズルトに和解と交友を求めるのはあまりにも酷な話だ。

 分を弁えぬ行動がもたらすのは、得てして後悔に彩られた結末。教官には釘も刺されている。であるからして、おとなしく思索に埋没するのは実に理に適った行いであると言えた。

 そう。断じて己が不明を嘆いているわけではないのだ。


 締めに学舎の北側にある四組ルースの寮に案内される。

 寮会の人間を呼びつけたバッテシュメヘ教官は、本科の制服を着た人物が姿を現したところで役目はこれで終いだと去っていった。なんとも適当なことだが、どうにもこの傾向は教官に限られないらしい。


 寮会員に案内された広間で寮会役員から受けた説明は、果たして説明と言ってよいのだろうか。寮の見取り図を渡すからこの場で頭に叩き込むように、それだけである。

 それだけと言い切ってしまうのは不味いか。荷は届いているから各人で部屋に運び込むように、とも言っていたな。肝心の部屋割りについては丸投げである。

 そして部屋割りにアズルトの口を挟む余地はない。


 白熱する級友らを余所に、幸いにして回ってきた見取り図を見る。大まかに言えば寮会のある四階を境に上は女子、下は男子。共用設備は一階と四階に集中、といったところだ。アズルトの知るところでは寮から通じる地下の区画もあったはずだが、立ち入りが制限されているのか知られてすらいないのか、この紙だけでは判断がつかない。

 確認を終えた図面は暇そうにしている狐娘に押し付けた。


 さて、そうこうしている間に決まった部屋割りであるが、部屋はすべて二人部屋であるにもかかわらず、アズルトに相方はいなかった。

 四組二十七人の内、男子は十七人。奇数であるのだから一人余るのは避け得ぬ運命。

 ただそれがアズルトだったというだけの話である。

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