第4話 揉め事

 主人公補正とかいうヤツは、あながち馬鹿にしたものでもない。

 ラケルで目を覚ましてからもう何度目になるだろう。ふとした瞬間に脳裏をよぎる、それは益体のない空論のようなものだ。


 成功者にもっとも必要なモノはなにか考えたことがあるだろうか。

 才能と答える者は多いだろう。持って生まれた潜在能力が違えば、当然その結果も変わってくる。道理であり、改めようのない事実であるように思わせられる。これに異を唱える者たちは、それは努力であると答えるかもしれない。どれだけの才があろうと、努力なしに結果は生まれないのだと。その者が生まれ持つ可能性の上限へと至る過程と考えれば、これもまた実にもっともらしい話だ。

 だが当然これらを否定する者たちもいる。富こそが成功へと導くと考える者もいるだろう。家柄が人脈を呼ぶこともあれば、社交性によってそれを得る者もいる。決断力や行動力といった時勢を逃さぬ能動性を持ち上げる者もいるに違いない。

 曖昧な成功者という言葉はこれらすべてを許容するだろう。けれどアズルトはこれにただひとつの明確な解を持っていた。


 成功者にもっとも必要なモノ。それは『運』であるとアズルトは考える。

 同じような才能を持った二人がいたとする。彼らが同じような努力をしたとして、果たして同じような結果が生じるだろうか。

 答えは否だと思う。

 だれが、いつ、どこで、なにを、なぜ、どのようにするのか。語られなかった数多の条件によって、両者は異なる結果を導くに違いない。

 時には富が状況を左右することがあるだろう。時には人が状況を左右することがあるだろう。けれど時そのものは巡りあわせだ。富だけでは時は動かず、人だけでも時は動かない。ならば両者の間に生じる差は極論、運なのだと思う。才能すらも、ひいてはその一要素にすぎない。


 さて、主人公とはおおよその場合において成功者である。であれば、そこに不条理な幸運が紛れ込むのも、かえって現実味があると言えなくもないのではないか。

 主人公補正だのご都合主義だの言われるヤツは、突き詰めれば途方もなく運が良いというだけのことだ。


 奇想を巡らせるアズルトだが、実のところ運ゲーは好まぬ性質だ。毛嫌いしていると言ってもいい。

 アズルトのもっぱら好むプレイスタイルはまったくの逆で、徹底したランダム要素の排除にあった。敵の行動パターンを把握し、確率に依存せぬ形へ自らの手を組み上げてゆく。見栄えが悪かろうと、無駄に時間がかかろうと、相手にを与えぬことがアズルトにとっては至上に思えたのだ。


 それは生前の境遇によるところが大きいのだろう。幸運とは対極にあった、終末までの長い長い刹那と。



 鏡次きょうじ魔相稠密体まそうちょうみつたいの基幹構造をそのままにした灰白色の広い学園の廊下に、やや忙し気な靴音が響いている。

 竜の骨マズヌと称えられる、クアルアネハル文明の御業によって錬成されたこの超硬度石材は、それそのものが完成されたひとつの芸術品と言ってよい。魔術の管理を司る<教会>ですら製造と加工に手を焼く代物で、その関連施設以外で用いられることは極めて稀。仮に取引されたとして、同質量の金に勝る値が付くとすら言われている。

 智に明るい者であれば尻込みすること已む無しの光景だが、アズルトはまるで気にする風もなく靴底で蹴りつけるようにして進んでゆく。


 いささかのんびりとし過ぎた。アズルトは己の迂闊さに鞭をくれる。

 軽く現物を確かめておこうと、発端はそんな思い付きだった。


 入学試験で訪れている他の新入生たちと違い、アズルトが学園を訪れるのはこの日が初めてのことだった。いわゆる裏口入学というやつである。国際的な教育機関で、<教会>が出資者となもなると金銭や縁故でどうにかなる話ではないのだが、なにごとにも例外はあるものだ。とは言え、それを他の生徒に気取られるワケにもいかない。

 アズルトは試験当日の入学希望者の動き、試験内容、そして偽造されたその結果に至るまでを詳細に叩き込まれた。そうした資料の中には学園の詳細な図面も含まれていて、この度のアズルトの失態に繋がるわけだ。


 アズルトは未来をっている。それは確定されたものではないが、限りなくそれに近いものであると考えられた。必要な役者も揃っている。必然、この学園を舞台にこれからいくつもの波乱が繰り広げられることになるだろう。言うなればここは戦場。そしてアズルトは今まさに戦に赴かんとする兵士であった。


 戦において地形の把握は絶対だ。そして戦端は間もなく開かれようとしている。なればその確認は急務であるに相違なかった。

 ただどうにも、見込みが甘かったらしい。いざ自分の足で歩いてみると、組み上げていた想定より実物はいくらか大きい。おまけに目立たぬよう他の新入生に紛れて行動したことで、最後にずいぶんと遠回りをするハメになった。


 初日から遅刻なんて笑えない冗談だ、悪目立ちにもほどがある。

 向かっている教室もまたそれを避けたい原因だった。先の空論をもじるのであれば、そこは成功者が集うここ《イファリス》にあって、もっとも幸運と縁遠い者らが集まる、当て馬たちの掃きだめ。こと今年は例年に比べ貴族の占める割合が大きい。妬みに嫉み、そして劣等感の渦巻く小宇宙で、凡百の候補生として埋没するためにはできる限り付け入る隙は与えたくなかった。


 そうしてなんとか時間までに辿り着いた四組ルースの教室だったが、なにやら揉め事が起きているらしいことは少し離れた廊下からもわかった。

 ――早速、か。

 見立ての正しさを自賛すべきか、期待を裏切らない彼らの献身を称賛すべきか、なんとも悩ましい。いずれにしても、これはアズルトにとって好都合であるように思われた。


 歩調を緩め、気持ちだけ足音を潜めると、戸口から窺うようにして室内に踏み込む。

 幾人かが視線を寄越したものの、すぐに興味を失い散っていった。

 それはそうだろう。錆色の髪は王都近傍でこそ少ないがベルニ系にはままあるものだし、やや中性的な顔立ちは不快感を与えない程度に整っているものの、特徴に乏しく印象が薄い。中肉中背の体形に取り立てて語るべきところはなく、身に着けた制服も貴族を示す刺繍こそ入れてはあるが既成品そのもの。他人の気を引く要素など皆無と言ってよい。おまけに耳目を集める出来事が今まさに繰り広げられているともなれば、アズルトに視線を留めるのは酔狂に等しい。


 そっと、観衆に紛れるようにして状況把握に努める。

 教壇に向かって階段状に傾斜する教室、その隅に座るフードを被った人物の前に、値の張りそうな特注の制服で身を包んだ居丈高な少年が二人、挨拶がどうした態度がどうのと顔から火を噴きそうなほどみみっちい難癖をつけている。

 ――よりにもよって。

 アズルトはため息のひとつでも吐きたい気分に駆られたが、よくよく考えてみれば彼が人格者であればそもそも騒ぎなど起きてはいまい。

 進んで関わり合いになりたいとは到底思えぬ連中である。けれどこの組で三年を過ごす以上、それは叶わぬ願いであろう。アズルトは即座にそのことに気づいたのだ。


 今年入学した候補生について、アズルトはその全員の詳細な個人情報を把握している。個々人の入学試験の成績はもちろん入学までの経歴、家族構成や属する派閥、交友関係や金銭的な繋がりに至るまで、身分の高い者ほどその情報は膨大だ。

 魔術的に焼き付けた知識であり、瞬時に思い出すことは凡人であるアズルトには少々厳しいものがあるが、貼り出された組分け表を眺めながら必要になりそうな事柄の反芻は済ませてある。ゆえに件の少年らが何者であるか一目でわかったのだが……。


 気が重い。重くてたまらない。

 拍車をかけるのは教室にある空席の位置だ。厄介ごとの臭いを嗅ぎつけ皆が避難していたためすぐには気づけなかったのだが、男爵家の身分に相応しい座席が問題の三人の傍らにしか残されていないのである。

 いやしかし、とアズルトは自らに言い聞かせる。

 ここは学んだことを実践する良い機会を得られたと、そう前向きに捉えるべきところなのではないか。

 ほとんど捨て鉢である。

 そうとでも考えなければやってられない、というのが本音だ。

 このまま観衆に紛れたとして、次に標的とされるのは未だ面通りをしていないアズルトである可能性が高い。ならば、と。そういうわけである。

 気を取り直した、というか強引に取り換えたアズルトは、二人の貴族の元まで進み出ると、会話に割り込む非礼を謝罪し丁寧に腰を折った。

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