第3話 Lye qhye rakehl stories
明け方の寒風も心持ち和らいで感じる
聴き慣れた者たちであるならば、年明けを祝う祭りの浮ついた余韻が抜け落ち、新たな年を負わんとする気迫へと転じたのをその声から読み取ることができただろう。
活気とも違う熱が、アーベンス王国の王都クイスカには漂っていた。
王都の西端を成す岩山の頂上部に、巨大な尖塔がひときわ目を引く白亜の城塞が築かれている。
都市そのものが防衛拠点として設計されており、政務の中心としての趣が強いアーベンスの王城とは対極の、防衛機能以外を削ぎ落した実直な造形は、その優美な色合いとは裏腹に見る者の心を圧して止まない。
平素は隔絶された空気をまとうこの城塞であるが、今日ばかりはその息遣いに王都の一部であることを隠せずにいる。
明けの鐘より一刻(約二時間)あまりが過ぎたこの時間、王都を発った熱が岩壁に設けられた山道を伝い、城門へと緩やかな列をなしていた。
◇◇◇
リド・ヤークトーナ=クーシラには野望がある。いや、ここはウォルトラン男爵家の四男、アズルト・ベイ・ウォルトランには、と言葉を改めておこう。
それが今この場において、アズルトに与えられた役割を示す名であるのだから。
アズルトは目の前に聳える白亜の城塞を見上げる。
ふっ、と思いがけずため息がこぼれた。滲むのは潰えた安寧への離愁と、切望した波乱への渇求、そしてそれに等しい憂慮だろうか。
視線の先、超硬度の人工石によって組み上げられた城壁には精緻な魔術意匠が刻まれている。それらはときおり仄かな魔力の燐光を散らしては、編み込まれた術式の繊細にして猛き様を匂わせていた。
『レ・クィ・ラケル・ストーリーズ<Lye qhye rakehl stories>』と呼ばれる一群のゲームがあった。
ラケルと名付けられた世界を舞台に、様々な時間・地域を切り取った数十ものタイトルをリリースしてきた大河作品だ。生々しい世界観とシステムの多様さ、作り込みの深さから、シリーズを通して多くのコアなファンがついていた。
そんな<Lqrs>シリーズの中でも、特に物議を醸したタイトルとして『ムグラノの水紋』の名を冠する三部作がある。
乙女ゲームの形態を取ったRPGであったこともさることながら、それでいて作中年表に書き加えられる<正史>と銘打たれる作品群に指定されていたことが、<正史>を追っていたプレイヤーたちによる
とは言え<Lqrs>の愛好家であったアズルトに、プレイしないという選択肢はなかった。そして常の如くハマった。
システムには定評のある<Lqrs>だ。乙女ゲームであろうと、既存シリーズのプレイヤーが楽しめない道理がない。
主人公や攻略対象に加え、多彩かつ個性的なサブキャラが男女問わず登場する。そんな彼らを用いて行われる大規模戦闘のクオリティは、本当に高かった。『なぜこれを乙女ゲームで出したのか』『普通はSRPGでやる人数でしょ頭おかしい』なんて悲鳴とも歓喜ともつかぬ声が、プレイしたファンたちの間で飛び交っていたのをアズルトは昨日のことのようによく覚えている。
そしてそんな作り込みを、ご新規さん用の『システム難易度調整』で殆ど不意にするところまで含めて、実に<Lqrs>だった。もちろん、同社ゲームプレイヤーに向けた高難易度も充実していた。やり込みこそが<Lqrs>の真骨頂なのだ。
だが『ムグラノの水紋』には苦い思い出もある。
ムグラノ三部作の最後の一作について、アズルトはまったくと言ってよいほど情報を持っていない。長い闘病生活の末に果てたのが、三作目について発表されて間もなくのことだったからである。
さて、前置きが長くなった。
それはすなわち、二年前にアズルトが目を覚ましたこの世界が、慣れ親しんだ<Lqrs>の世界であることを意味していた。
より厳密に定義するならば、<Lqrs>に酷似した世界、だろうか。
アズルトはここ――仮称ラケルを、ゲームとは異なる現実として認識している。
確かにこの世界は<Lqrs>の<正史>をなぞるように歴史を積み重ねている。けれどすべてがすべて<正史>の通りに進んでいるわけではなかった。若干の齟齬を含みながら、しかしそれらを許容する形で、世は<正史>に
アズルトは別にゲームをそのシステム面だけ見て楽しみとしていたわけではない。
もちろん、ゲーム性は大切である。でもそれと同じくらいに築き上げられた舞台を、織りなされる物語を求めてやまなかった。
この際だから言ってしまおう。
ゆえに冒頭の言に繋がる。
繰り返しになるが、アズルトには野望がある。
野心、とは少し違う。
アズルトは特に言葉を飾ることを好む性質の人間ではないが、貴族の身分に倣い気取った言い回しをするなら、『真理の探究』などと耳触りの良いものを選ぶことになるだろう。
まったくの嘘ではないし、なにより受けが良い。
聞くところによればとの注釈は必要になるかもしれないが。
なぜ『聞くところによれば』なのか。これは実に単純な話で、本来のアズルトが貴族とはまったくの無縁の身分であるからだ。
まあ、与えられているウォルトラン男爵家の四男という身分にしても、中央の宮廷貴族を解する立場とは言い難い。ウォルトラン男爵がアーベンス王の臣下たるバルデンリンド公爵の陪臣だと言えば、貴族を名乗ることのおこがましさを理解してもらえるだろうか。
さて、その辺りは追々語る機会があるであろうから脇に置いておくとして、今は野望について話を続けよう。
野望――アズルトの飾らぬ言葉を用いるなら、それは『完全攻略』とでも言い表すのが相応しいか。
ゲームと違うと断じておいてなにを言っているのか、と思うかもしれない。けれどゲームにのみ生きてきたアズルトにしてみれば、ここがゲームと同じ世界であろうが、ゲームと似た世界であろうが些末な問題だった。重要なのは、なぜこうした世界が存在するのか、そこである。
幾つもの異なる歴史を内包しながら<正史>はその大きな流れに帰結している――それさえも、アズルトの目には解き明かすべき至極の謎として映るのだ。
生前のアズルトがゲームに埋没したのは、それは逃避であっただろうが、夢幻に己の好奇を仮託したというところも大きい。
現はあまりにも遠く、であるからこそ虚ろの中に未知を求めた。
だが今や、アズルトを縛る病はない。現とを隔てる壁は崩れ去ったのである。
もっとも、『真理の探究』はアズルトの極めて個人的な生涯の目的である。組織に隷属する身分であるアズルトにとっては果てしなく遠い。野望の二字にはそうした意味も含まれていた。
目下、アズルトが果たすべき目標は別にあり、それについて納得もしている。いや感謝も、だろうか。
役目は果たすと決めている。それはこの機会を与えてくれた公爵への、最低限の礼儀だと考えるからだ。
自身が<イファリス>に送り込まれることになった経緯を思い返しながら、アズルトは視線を落とすと、わずかに鈍っていた歩みを整えた。
座上、もといバルデンリンド公爵よりアズルト・ベイ・ウォルトランの名を賜ったアズルトは、本日より《イファリス》に入学するしがない予科一年生となる。貴族として振舞わねばならないことに不安は募る。だが、それに並ぶ愉楽もあった。
目覚めてより二年。生きるために試せることはすべて試してきたと思っていた。けれどまだ足りない。
この世界は存外、未知に満ちている。
アズルトは確かにラケルのおおよその歴史をゲームで把握している。いかなる試みが行われ、いかなる結果をもたらしたのか。悲劇も、喜劇も、惨劇も。しかしそれは
緩やかな坂道には、アズルトと同様に田舎貴族の子弟と思しき少年少女や、大きな鞄を腕に抱えた平民らが疎らに列をなしている。いずれも今年入学することが決まった騎士候補生たちに違いない。彼ら彼女らの足取りは、正門を前にいよいよ軽い。
そんな彼らに遅れるまいと、アズルトはひそかに歩調を早めたのであった。
◇◇◇
後レナルヱスタ教会歴六七八年、アーベンス王国歴四一六年の
彼の入学を期に、《イファリス》は有象無象の野心と欲望が渦巻く混沌の
雫は水面に落とされた。波紋はひと時の平穏を無慈悲に喰い破り、たちまちにアーベンス王国を飲み込むだろう。そして人々の憎悪と怨嗟を掻き立てながら、やがてはムグラノ地方全域へと広がってゆくことになる。
華やかな恋と栄光に彩られた彼の物語の裏側で、<正史>に刻まれる、それは避け得ぬ代償のようなものであった。
本来、『ムグラノの水紋』に役を持たぬアズルトは今、<正史>の大河の只中にいる。それが如何な意味を有するのか。知る者はまだ居ない。
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