第2話 出来損ないの人造天使

 クアルアネハル時代の絶頂期。高度な魔術社会を築き世界に君臨していた超帝国メルフォラーバは<ニザの産声>と伝えられる大災厄によって突如として滅びた。

 災厄の地より溢れ出した瘴気がベリトラーシュ大陸全土を覆い尽くすのに、さしたる時間はかからなかったという。


 大地はヒトがヒトたらしむることを赦されぬ、この世の地獄イャーテヨヘナへと成り果てた。瘴気に蝕まれたヒトは次々にその形を失い、知性を持たぬ異形の化け物――禍人マガツヒへと変じていった。瘴気による変容を免れたヒトもかつてままであり続けることは叶わなかった。残された乏しい資源を巡って凄絶極まる争いが始まったのである。


 知性を持つ、生に貪欲な獣の群れの潰しあい。そこにヒトの尊厳などありはしなかった。文化の残滓を蹂躙し、文明の残照を食い潰し、殺すべき相手すら見失い、ヒトはようやく自分たちの業の深さを知ることとなった。

 大災厄とそれに続く廃忌はいき戦争は地上から文明の灯を消し去るばかりか、ベリトラーシュ大陸をクアルアネハル時代の地図が意味をなさぬまでに破壊し尽くしていたのだ。

 高度複雑化した魔導技術を維持するだけの社会基盤は、もはや地上のどこを探しても見つからない。クアルアネハルの遺物の担い手は減り続け、ヒトは否が応でも滅びを悟らずにはいられなかった。


 かくも卑しきヒトを、それでもしゅは見放さなかったのだと聖典は記している。

 主――ノーウェクラィエは自らの定めた魔導技術の管理者たる<教会>に福音を授けた。それは失われつつあるクアルアネハル時代の御業の数々であったと伝えられる。

 この混迷の時代、ノウェがヒトを導くともしびであったことを疑う余地はない。

 けれど信仰は時代を経てヒトの世が取り戻されゆくのに従い、その受け手の意識の移ろいとともにあり方を変えようとしている。


 大陸に広がる瘴気が薄れ、かつての時代のようなヒトの往来が戻ったのは、ほんの千年ほど前のことだ。

 世界には大災厄の爪痕が深く刻まれている。半ば大陸を分断する形でヒトの立ち入ることの叶わぬ魔境――瘴土帯しょうどたいが広がり、歪んだ地脈と混沌とした気候が可住領域を著しく狭めていた。

 それでもヒトは生きている。

 過酷な世界に抗うように、<教会>が復活させたわずかなクアルアネハルの御業を支え木に、ヒトは再び楽土を築くべく歩み始めていた。


 クアルアネハル文明の崩壊より二千余年。地上には再び文明開化の兆しが見え始めている。



 ◇◇◇



 後レナルヱスタ教会歴六七八年、アーベンス王国歴四一五年の黒幽こくゆうの月。

 不死の巨大なイキモノたちを溶かして敷き詰めたかの如く、そう狂乱とともに評される冒涜の地――ニザ化生。その東域、第二層と区分される濃密な瘴気渦巻く一帯に、林立する蠢く肉腫の小山が円形に開けた場所がある。

 所々に赤や黄、時には緑や青も混じる乳白色の液体が流れ込み、あたかも湖のようになったその中央には黒い、規則的な辺を持つ巨大な直方体が聳えていた。平たい骨を肉で接ぎ合わせ組み上げたかのような外観だが、そこには明らかに辺りの景観と異なる人意の介在が見て取れる。


 東域バルデンリンド第八実験基地ユフタ。それがこの奇形の構造物を示す名であった。

 そしてその地下深く――《ニザ》の臓腑の大地に穿たれるようにして、深部隔離研究区画は形成されている。その広大な区画容積の大半は《ニザ》からの同化に抗するための術的な防壁であり、残る大部分も実験および研究のための大規模な設備が占める。

 厳重な管理と徹底した立ち入り制限が行われ、ニザ東域の監視を司る《バルデンリンド》においてさえその存在を知る者は一握り、ましてやその内を知る者ともなると、ここ東域第八実験基地ユフタに詰める所員であっても上位の限られた者たちに留まった。

 地上部の十倍以上の容積を持ちながらも深部隔離研究区画で働く研究員は少ない。ここを根城としている者たちに加え、緊急時の応援要員を加えたとして、地上部の一割にも満たないだろう。

 狂気なしにヒトの生きれぬ、地獄の中イャーテヨヘナにある現界ディクムの孤島のようなこの空間で、果たして如何な試みが為されているのか。それについて言及するには、今はまだ時ではない。


 兎にも角にも、ヒトの世の一つの果てに違いない《ユフタ》の深部隔離研究区画に、研究員とは異なる装いをした三人の男たちがいた。

 瘴気に満たされた外界と、領域を一にするとは思えぬ清冽な浄気で満たされた室内は、しかし一見してここがヒトの住む世界ではないことを確信させる。

 灰の、薄皮の張った胸骨を思わせる歪曲した壁面は、わずかな湿り気を帯び生々しいイキモノの質感を残しており、そこを大型の蜘蛛にも似た二体の環境虫――ヒトの生存環境維持のため造られた魔造生物の総称――が音もなく徘徊している。《ニザ》に立ち入ったことのない者が見れば悍ましさに卒倒し兼ねない光景だが、部屋に居る三人に気に掛ける素振りはない。


 術的擬態を施された奇怪な机を挟み、奥側には黒銀の髪が印象的な眼鏡を掛けた壮年の紳士と、その斜め後ろに影のように立つ剣士にも魔道士にも見える妙な装いをした青年。入口側にはこざっぱりとした貫頭衣のみを身に着けた錆色の髪の少年が、彼らと向き合う形で片膝を着き、恭しく頭を垂れている。

 至急と検査の途中で呼び付けたことには触れぬまま、壮年の紳士――ニザ東域守座バルデンリンドの座主ロドリックから眼下の少年に問いが投げかけられた。


「ムグラノの貴族たちは、騎士をその身を誇るための宝飾かなにかと勘違いしているらしい。昨今、厚顔にも私欲を満たす道具として政治の舞台に引き出そうという動きがある。騎士養成学校イファリスの腐敗を、ひいてはムグラノ主教座の衰退を、けいはどう見る」

 少年――リドはいくらかの沈黙の後、平坦な声で、けれど明瞭に言葉を返す。

「獣はヒトならざられば、騎士たるの資格なし、と」

「東征の託宣か。己が意の置き所を示すため、敢えて言葉を崩したな」

 どこか妙な、それほどの時を会したことはないが、座上らしからぬ物言いであるとリドは感じた。そして部屋を訪れた際に見えた側付きの青年――キケシの険のある眼差しに思い至ると、黙したまま、より深く頭を下げる。

「キケシ」

「は」

「これでもまだ卿は早いと考えるか」

 半歩だけ、その視界の端に自らが映るようキケシがロドリックに身を寄せた。


「……敢えて申し上げます。適任ならば他に幾らでも居りましょう。不適格ゆえに計画から除かれたとはいえ《リザ》に関わる人造天使。なにも斯様な場面で用いる必要は御座いますまい。加えて此の者は……いえ、何卒御再考頂きたく」

 感情を排した味気のない声が、淡々と忠言を述べる。

 だがそう感じたのは付き合いの薄いリドだけであったらしい。ロドリックからは呆れに似た気配を見て取れた。

「そちらが本音か。やれやれ、何も理解してはおらんようだな」

 下がるよう手振りで命じられると、キケシはわずかに頭を垂れそっと自らの立ち位置へと戻った。

「リド・ヤークトーナ=クーシラ」

 思いもかけぬ名で呼ばれ、驚きにリドの顔が上がる。


 ヤークトーナ=クーシラ――それは彼がリドとして目覚めたその日に廃棄された、人造天使の秘匿参型としての個体識別名。そう有れかしと与えられていた、失われた可能性の名であった。

 もはや玖号クーシラは存在しない。自らを定義する名と記憶に焼き付けられているのに、名乗ることは禁じられ、ゆえに呼ぶ者もない。

 キケシに訝るような感情の揺れを見たのは、その場に彼も立ち会ったからであろう。

 だが、まだ名を呼ばれただけ。ロドリックの声は続ける。


「卿にアズルト・ベイ・ウォルトランの名を与える。明くる銀吹より騎士養成学校イファリスに赴き、教会の法に則り、俗悪な獣どもにその身の痴愚なるを知らしめよ」

 言葉の意味を誤らず理解できたとは思う。

 命じられたのは貴族主義に染まる騎士養成学校イファリスの秩序の崩壊。法とは即ち現行の体制。つまり敵の整えた土俵で、在るべき騎士の姿を示し、徹底的に心を折れ、ということ。

 確かに今年、騎士養成学校イファリスにはムグラノ各国の王侯貴族が揃う。面子を潰すには最良と言えよう。だがそのための手段はどうか。単身暴れたところで意味はない。それしきのことで三百年に渡り埋め固められた騎士養成学校イファリスの土台は揺るがない。

 座上の出す課題は『老師の試練を生き延びろ』といい難易度が狂っている。目的は理解できてもお粗末な戦闘人形が適任とは言い難い。キケシの言はもっともだ。

 騎士養成学校イファリスで学ぶことについて、リドは意識的に考えることを避けた。


「蒙昧な臣に発言の機会を賜りたく」

「好きに話せ」

「寛大な御心おこころに伏して御礼申し上げます。では」

 再び深く礼を取ると、リドは言葉を選びながら慎重に声を出す。

「私は老師からも見放された出来損ないに御座います。御身の名を汚す戦闘人形には過分な大役と愚考する次第。なにゆえ私なのか、御教示頂けますよう御願い致したく」

「不出来か。面白いことを言うものだ。の試しから生還してそう自らを評価したのは卿が初めてやも知れぬな。なにが卿にそう言わしめるのか興味は尽きぬところであるが、まあよかろう」

 リド、面を上げて私を見ろ。そうロドリックの声が響いた。

 恐々と面を上げた先にはすべてを見透かすような瞳が待っていた。

「卿の飢えは我が庭では埋まらぬと見える」

 その瞳が違うかと問うてくる。


 リドは目を覚ましてからというもの、はじめの二節を除けばずっと戦場に身を置いていた。戦いの中でその術を教え込まれ、生き残るため必死になって考えを巡らせ続けた。

 二節を無為に過ごした無能ゆえに。死なずに乗り越えられれば、その時こそはなにかを得られているだろうと。

「ようやくにして騎士としての体裁を得たのだ。試してみたくはないか」

 試す。その響きに心が揺れた。

 結果を出せぬまま生き延びてしまった敗残者、それが今のリドだった。けれど心は枯れていない。

 いや、すでに一度すべてを諦めているから。


 元よりそんな機能は持ち合わせていなかったのだろう。

 出来ることは大して増えていないが、出来ないことは把握できた。その上で必要なものを自らが選び、試みる。

 その機会を与えてくれると言っているのだ。我が君は神か。


「なに、余興だ。キケシは適任と言ったが、此れほど迂遠な行いに適任も何もあるまい。卿が成し得るのであればそれでよし。先々の私の手間が幾らか減ることだろう。だがたとえ成らずともそれはそれで構わぬのだ。元より卿には他にも幾つか任せたい案件がある。此れはそのついで。退屈するであろう卿に送る遊戯とでも考えてくれればよい。是が非でもとは言わん。しかし、私の退屈を紛らわせるくらいのものは見せられるだろう、我が息子よ」

 名といい、初めて言葉を交わした日のことを思い出す。生まれ落ちたあの時、望むモノではないとわかっていたにも関わらず、息子とそう呼び祝福してくれた。

 胸が熱くなるとはこういうことを言うのだろうか。

御心みこころのままに。そして身に余る栄誉を賜ったこと、恐悦至極に存じます」

 この二年のことを思えば、優しさなどとは無縁の人物であることは明白だ。これもきっと打算。実験かもしれない。


 失敗作として生まれ、予備となることを期待され、けれどそれすら叶わぬ劣化品と判明し、ただの戦闘人形として育てられた。

 並ぶモノはなく。後に続くモノもない。打ち捨てられる数多の失敗作に埋もれるだけの可能性の残骸。

 いつかはまた見放されるのかもしれない。けれど、今はまだその時ではない。

 それに己は初めから諦めているのだ。ならば絶望の底をさらうくらいのこと、苦と称するにはあまりにも軽い。


「一つ、卿の信仰を正しておこう」

 どこか愉しそうにロドリックがこぼした。

は種を芽吹かせるのに比類なき才を持ってはいるが、新たな種を生むことにはてんで関心がない。いや、自らの手の長さを知っているが故に、全てをその内側で片づけようとするきらいがあるのだ。なまじ腕が長いから、世の悉くはそれで事足りているように見えてしまう。だが覚えておくとよい。老師の理解の決して及ばぬモノが私の知るだけでも二つある。それが何かまでは教えられんがな」


 かくてリドの騎士養成学校イファリスへの派遣が決まった。

 入学まで残り二節と迫った、黒幽こくゆうの二節も末のことである。

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