02
アルバートの店を出た後——例のワインはもちろんボトルキープしてもらった——ハールは酔いを傍目から感じさせることのない足取りで路地裏へと歩いていた。
路地裏に足を踏み入れると一匹の黒い猫が道の真ん中で器用に足で頭を掻いている。黒猫は首にはチョーカーが巻いてあり、チョーカーには柄のようなものが刻まれていた。ハールはその黒猫に近づき、黒猫の顎をさする。黒猫は喜ぶように目を細めるもハールの表情は変わらない。
「……ムニンか」
ハールが黒猫の顎を撫でながら、そう呟くと黒猫はハールの手のもとから離れ、数歩ハールに背を向けるように歩いた後姿勢を反転させてハールに向かって座った。それは黒猫がハールの手を嫌がって離れたようなものではなく明らかにハールの声に呼応したような反応だった。
『ハール、一度戻ってきなさい。あの方がお待ちです』
黒猫は喋らないがその声は直接ハールの頭に流れこむ。
「……」
ハールは何も喋らない。ただ脳に流れる言葉に目を瞑って耳を傾けていた。
『詳細は会いに来てから伝えるとのこと。できるだけ早く、だそうです。』
「……終わりか?」
ハールは話の終了を確認するも黒猫からの返答はない。ただ黒猫がまた足で器用に頭を掻き始めた様子を見てハールは猫の頭を撫で、その場を去った。
舞台は依然として王都アスガルタの大通りである——
珍しくアイパッチをつけているからか、もしくはその容姿端麗さから度々すれ違いざまに好奇の視線を引くもその歩みを進めるハールはある店の前で立ち止まった。石鹸屋だ。職業柄、といえばいいのだろうか。彼の服には鉄のような匂いがひどく残る時がある。彼が匂いに敏感、という訳ではないが——香水には興味があまりない——石鹸屋には、たまに立ち寄っていた。
店内に入り、気に入ったものを二つ手に取る。片方は自分用、もう片方は、土産といえばいいだろうか。元々数が少なく、多くの人がこの店で石鹸を買うということもあるだろうが、店の中には少しからずは人がおり、また売れ行きがいいのか売れ残って困っているような様子は見られない。
ハールが買ったものはラベンダーの香りがするものだ。ラベンダーはワイン用葡萄とも並ぶアスガルタの名産だ。ワイン用葡萄と同じく気候的に適している。とはいえ、石鹸などを気にする者より酒を飲むことを好む者の方が圧倒的に多い。ワイン用葡萄と並ぶ、といっても他地域と並んで見たときの生産量の差であって、ラベンダーがアスガルタで名産と知る者は意外と少ないだろう。
「またお越しください」
従業員にそう背中に声をかけられ、ハールは店を出て行った。
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