第十五節 初めての喧嘩#2


 そうして、このマンションに朝が来た。今日は颯くんより私のほうが早く起きた。今日が楽しみにしていた新しい雑誌の発売日だったからだ。通販で先行予約しておいた。デザインの参考にもなる。


待ち遠しく、胸を弾ませていた。そしたら8時過ぎにインターホンが鳴った。嬉しくて駆け出していくと頼んでいた雑誌だった。「ありがとうございます」と言い、受け取った。


リビングのソファーへと進んで行き、座って読んでいると苦い顔でこちらを見てきた。何か悪いことでもしたかな……と不安になった。


あれか、透明な机の下に沢山積まれていた雑誌は。いつか捨てよう。


ひそかにそう企んでいた。


 雑誌には可愛い服やかっこいい服が沢山掲載されていた。中でも今、応援している若手の男性モデルに目が行った。その人は爽やかで綺麗に着こなしていて、とてもかっこよかった。黒い服など寒色系のコーデを着ていた。春なのに。でもそれがまた、良かった。他にも私はこういう人になりた~いという女性モデルもいた。背が高くて、自分よりサイズの大きい服を着ていて、憧れた。ファッションに夢中になってると「朝ご飯まだー」という彼の声が聞こえた。


「待って、もうすぐ作るからね!」と威勢のいい声で返事をした。


その雑誌にはお洒落な衣装が盛りだくさんあった。ご飯食べ終わってからも見ようと意気込んでいた。


朝ご飯を食べ終え、雑誌のページをめくる。あれ? なんか誰かが読んだ形跡が……そういえば今日の皿洗いは此葉がやってと言われた。それじゃ、その間に……でもなんで見る必要が? おかしい。それに見たいなら見たいって素直に言ってくれればいいのに……ファッションに颯くんも興味があるのかなあ……。そんなことを読みながら考えていた。


あっという間に午前が過ぎた。腕時計を見ると午前11時58分を指していた。お昼ご飯作らなきゃ。


急いでキッチンへ向かうと颯くんが居た。うずくまっていた。


「どうしたの?」と声を掛けた。


そしたら「僕が作る」と言ってきた。


断ったのだが積極的に作ると連呼してきたので、渋々キッチンを譲ってあげた。だが、食材が無かったので急遽きゅうきょ、冷凍食品になった。


 そして食卓に昼ご飯が並んだ。今日のメニューはパスタだった。きのことほうれん草のやつだ。美味しそうな料理だった。いい匂いが漂ってきた。だが、この時は予想だにしない出来事が訪れるとは思わなかった。いつもの食事タイムで午後は雑誌が読めると思っていた。


最初の会話はこれだった。


「今日届いた雑誌っておもしろい?」不機嫌そうな表情で聞かれた。


(え、何、急に……)


「お洒落な服とか載ってて参考になるよ。読んでて楽しい」と普通に答えた。


「そうなんだ」淡々としたトーンだった。


 私がテレビの電源を付けた。


そしたらきつい怒ったような面持ちで「食事中に“ながら”はよくないよ」と注意された。


「別にいいじゃん」


そう告げ、バラエティー番組にチャンネルを変えた。今日はファッションのコーナーがやっていた。パリコレの様子が流れていた。おお……思わず私は感激した。そこには背の高い女性人気モデルが歩いている姿が映っていた。女性が多かったが男性も少数いた。


何故か目の前にいる彼は視線を逸らしている。そして目を塞ぐ仕草なども見受けられる。なんでだろう……


 テレビには世に出回っていないようなお洒落な服を着て、胸を張って歩いているのに。


彼に「大丈夫?」と話しかけた。


すると、「チャンネル変えるか、消さない?」と低い声で怒り口調に言われた。


「食べる気、失せるんだけど」


「え?」

「そんなに変な番組だっけ? これ。普通のファッション番組だよ」


「いいから、早く消して!!」

彼は何故か涙を流し、怒鳴どなっている。


逆鱗に触れたのだろうか。私にはそれが分からなかった。彼の地雷も心の傷も何もかも。


「昨日から僕を傷つけたり、怒らせる言動ばっかり! そういうの本当にやめて! 嫌」泣き崩れるような動作だった。涙がポロポロと零れている。


「気に入ってる番組なんだよ」と傷口に塩を塗るような発言をした。


その言葉には僕は無視した。


強引にリモコンを奪い、テレビを消した。その後は静寂が食卓を流れていた。


 午後はとっても憂鬱だった。お互い。食器洗いも颯くんは嫌と言い、私がやることになった。


颯くんは消えてしまった。と思ったら、ゲーム部屋へ行ったようだ。何故か物置き部屋だったのが今ではゲームのソフトや大画面のテレビが置かれ、今ではゲーム部屋へと化している。全て彼の自費だ。物置き部屋がゲーム部屋になるとは思いもよらなかった。部屋は広々としている。


私はというと気分が落ち込み、怒りとかではなく、ただ無気力で離人感が湧き出てきて、ぼーっとしていた。そしてベッドに体を預けた。寝たら忘れるって言うし。寝て忘れよう、そう思っていた。でもなんで颯くん怒ってたんだろう……考えるのはやめよう。何も考えず、寝ようとした。だが、なかなか寝つけなかった。


寝ること3時間。気づけば夕日が沈む頃だった。ベッドからガラス越しに観る夕景は綺麗だった。ここからも高い所から色々な建物などが観れる。ガラスの外は露天風呂だ。

だけど、忘れられなかった。沢山寝たはずなのに……夜ご飯作らなきゃ。もう作ってくれないだろうな。ゲームに夢中だし、不機嫌だし。颯くんとは一緒にご飯食べたくない。顔も合わせたくない。ゲーム部屋の扉を開くと彼は疲れたような様子でクッションに横たわり、寝ていた。私と同じだ。ゲームで遊んでいるかと思えば寝ていたのだ。その光景に驚いた。目には涙を浮かべている。眠いからかな、そう思っていた。


 夜ご飯を作り終わり、食卓に皿を並べた。(颯くんを起こさないと)と思ったが、起こさない事にした。今日は1人で食べたい。昼ご飯の時の残像がよみがえってしまう。目の前の皿が3皿、誰にも食べられないまま、完成形を保っている。こういうのって見てると切なくなってくる。悲しくて、物寂しい音が聞こえてくる。捨てられるのは嫌だなぁ……頑張って作ったのに……


私は食べ終わり、颯くんを呼びに行った。起こすのに時間が掛かった。体を左右にゆらゆらと揺らす。揺すってみても起きない。今度は叩いてみた。そして、「起きて」と大きな声で言った。そしたら、うむっと可愛い声を出し、起き上がった。


「夜ご飯の時間だよ」


「作ってくれたの? でも、いい。食欲無いから」そう吐き捨てるように言い、また寝ようとした。


この場合は捨てるパターンだ。最も、避けていた事態が既に起き始めようとしている。何とかして阻止せねば。


だから「お風呂はどうするの?」と促し、寝かせないようにした。


彼は思い出したような目をし、ゲーム部屋から気力を失い、やる気のなさそうに一歩、一歩、すたり、すたりと歩き出した。


 私は夜ご飯の片付けと食器洗いをした。幸いにして、颯くん用に作っていたご飯は明日の朝に持ち越すことにした。まだ持つし。片付けながら思った。相当、昼の出来事がショックだったんだろうなぁ……と。でも何がショックなのかは分からなかった。



 僕は風呂に浸かりながら、思考を巡らせていた。嫌な夢だったなぁ……僕は悪夢を見た。過去の嫌な出来事が夢になったといってもいい。テレビや新聞で淫行報道が報じられ、新聞には性的暴行と大きな見出しで掲載されていた。逮捕までされた。手錠を掛けられた。それがすごく重く感じた。その時から社会が怖くなった。隠れてひっそりと暮らしたいと強く思った。恥ずかしかった。嫌で嫌でしょうがなかった。でもそれは、僕じゃない。僕のふりをした別人だ。


風呂から戻り、彼が寝室へと帰ってきた。今日は颯くんとは一緒に寝たくないと思った。入れ代わるかたちで私は「また後でね」と言い、廊下に向かった。


「ちょっと待って!」と颯くん。


「寝室なら僕が譲るよ」


「いいよ。そこで寝て、おやすみ」と私は言った。


別に廊下で寝ても大丈夫。寒くても我慢する。私は彼を傷つけたからと遠慮していた。


「女の子が地べたで寝たら冷えるし、よくないよ」


変な所で優しく気遣ってくれた。そういう所が嫌いだった。憎めなくて、嫌いになれなくて……嫌いだったら嫌い、好きだったら好きになりたい。それなのに中途半端な優しさに憤怒してしまう自分がいる。


「私の気持ちなんて何一つ分かってないくせに!!」暴言を吐いてしまった。思わず、彼の顔をうかがう。彼は頷き、無表情で分かったというような顔をしていた。


「うん。ごめんね、僕の要らない優しさだったよね……」そう言って布団を被った。


「あ、おやすみ」


「おやすみ」目を合わせて言った。


私は結局、廊下で寝ることとなった。布団は奥部屋から持ってきて、敷いて寝た。

久しぶりの廊下寝も悪くはなかった。


翌朝。

 朝が来たことを知らせる太陽の無い廊下で私は寝返りを打っていた。唯一、朝が来たことを知らせるのが人の声だった。


そろりと気配のない足音がこちらに近づいてくるのが分かった。


「起きて、おはよう。朝だよ」颯くんの声だ。


まさか彼に起こされるとは思ってなかった。


「おはよう」朝の挨拶くらいはする。


「ご飯、どっちが作る?」いつもこうゆう話し合いをする。


「颯くんが作って」そう指示して、彼はキッチンへと消えていった。


 着替えなきゃと思い、衣装室へと向かった。デザイン関係の仕事をしているので、沢山お洒落な服は持っている。雑誌にあった服も頻繁に買い溜めている。着替えた。


食卓に向かうと、まだ朝ご飯はできていないようだった。だからひたすら待った。暇だから雑誌を読もうと机の下から1冊取った。あれ? 手にしたのは去年の10月号だった。おかしい。昨日届いた雑誌が無い。しかも順番がばらばらになっているのを今気づいた。ひょっとして颯くんに荒らされてる? と同時に思った。昨日の雑誌はどこだろうと色々な場所を探してみたが見つからない。おかしい。昨日の雑誌は机の下に置いたはずなのに……


憂鬱な気持ちのまま、食卓に就いた。食欲不振で颯くんに嫌疑がかかっている。


食事をし、カウンターに皿を置いた。


 そして、日課であるゴミ出しと新聞取りに行くため、玄関を出た。今、パッとゴミ袋を確認がてら見て、驚いた。驚いた理由というのがあの昨日届いた雑誌が袋に入っていたのだ。これは驚くしかないだろう。なんで……? どうして……涙が出てきた。私、いじめられてるの。そう疑問に感じた。颯くんの仕業だ。イジワル、サイテー。汚れているからもう取り返しがつかない。しかも生ゴミと一緒に袋に入ってる所から悪意を感じる。


涙を浮かべながら玄関を抜け、リビングに帰ってきた。


「どうしたの?」


「どうしたの? じゃないでしょ。分かるよねえ?」私は悔し涙を流しながら怒りをあらわにした。この確信犯。絶対、自分のやった事を分かっているはず。覚えてないなんて言わせない。


でも、また変えるし、怒って悲しんでいるだけじゃ済まなかった。問題は“どうして捨てられたか”だ。何か理由があるに違いない。


 徹底的に調べ上げた。携帯で名前を検索する。そして過去の雑誌も見る。だいぶ、減っていた。“颯”だけだと沢山の人の名前が出てきて、合致するものが出てこなかった。数分は調べていた。パソコンでも調べた。


(でも、誰か知ってる人の顔に似てるんだよねー)


「何で僕の名前なんか調べてるの?」


デスクでパソコンを開き、Googleで検索「颯 モデル 昔(〇〇年)」と調べていたら横から口を挟んできた。


(何でと言われても答えられない……思い当たる人はいるけど、知られたくない。知られたらまた隠されるに決まっている)


「颯くんには関係ないよ。教えない」そう口を閉ざした。


だが、「関係あるよ。僕の事でしょ」と全てを知っているかのように言った。


「だって……謎な行動ばかりだし、何も自分の事を話したがらないし、教えてすらくれないし。もう、うんざりなの!! 名字すら教えてくれないのは卑怯だよ」


それには僕は言い返せなかった。僕が雲霧靄だってバレたらこの関係でいられなくなる。それは受け入れられず、僕にとって苦しい選択だった。


「僕は君のことが本当に好きだよ。どんなに君が嫌な気持ちになる事が起きても、好きな気持ちに変わりはない」


「本当は嫌いなんでしょ。だからこんな意地悪……」


「好きだって言ってるじゃんか! 嫌な気持ちにさせてごめんね。雑誌捨てたのは僕だよ」と颯くんは暴露した。


「謝ってない! 雑誌、颯くんの自腹でまた買ってね」


「何でそういうこと言うの? 此葉のことは何でも分かってるよ。でも今の此葉は嫌い。もういいよ。僕が消えるから」


颯くんは今にも泣きそうな目をしていた。結ばれてはいけない恋だったのかもしれない。でもこう出会わせたのは1つの財布だった。


「私のことなんか何も分かってないくせに!!」


テレビは消されるし、好きな雑誌なんかは翌日に捨てられる始末だった。その現実を分かったと受け入れる事は出来なかった。嫌だった。これじゃあ、憂鬱な毎日がいつまでも続くだけだ。そんなの許せなかった。だから彼にこう言った。


「颯くん、この家から出てって! 一生この家には上がらせないから。颯くんのことなんて嫌い! 大嫌い! さようなら!!!」そう叫んだ。


 本当は心の中では颯くんが嫌いになんてなれなかった。そういう気持ちになりたくなかった。でも、彼がそうさせたのだ。


もう会えなくなっちゃうのかな……そんな思いを胸に颯くんを追い出した。






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