Day13 樹洞

 その占い師は、街外れのくすのきに住んでいる。

 人一人がようやっと座れるような樹洞にすっぽりと収まって、日がな一日水晶玉を覗いている老婆。その人こそが、かつて『星詠みの姫』と呼ばれたアルベルティーナだ。

 そんな気恥ずかしい二つ名も、いっそ捨て去りたいくらい煌びやかな本名も、もはや過去のものだ。今はただ大婆だとか占い婆と呼ばれているし、その簡素な呼び名が気に入ってもいる。

 かつて大国のお抱え占星術師として重遇されていた美貌の占い師。彼女の水晶玉はすべてを見通す『目』だ。遙かな過去も、遠い未来も――そして数分後の来客も、ばっちりお見通しなのだった。

「やあ、アルベルティーナ。今日も星を見ているのかい」

 現れた昔なじみに、やれやれと苦笑を漏らす。

わしをそう呼ぶ者は、もうお前さんだけじゃよ。ユージーン」

 同じ十二番街の住人で、唯一彼女より年上なのが、この薄らとぼけたエルフの男だ。古代種の彼は見た目より遙かに長く生きており、数百年前の『大厄災』さえも体験している、まさに歴史の生き証人だ。

 それなのに、今の彼はどこからどう見ても『くたびれた中年エルフ』であり、『開店休業中の骨董店主』という肩書きで、辛うじて世間に認められているような存在だ。

「いい加減、その呼び方はやめてくれと言っておるじゃろ」

「だって、僕より年下の君を『婆』と呼ぶわけにはいかないだろう?」

 見た目の年齢を追い越してしまったのは、もう五十年近く前のことだ。つまり、この不毛なやりとりも同じ年数だけ続いていることになる。

「実は頼みがあるんだ」

「ほぉ? お前さんが儂に頼み事とは、珍しいこともあるもんじゃな」

 彼は占いを必要としない。占い師が水晶玉を読み解くように、彼は世界そのものを読み解く力を持っている。

 だから彼が助けを求めてくるとしたら、もっと人間くさい何かだ。

「うちで預ってる子がさ、冬に備えて編み物を習いたいんだって。裁縫は出来るんだけど編み物の経験はないらしくて、教えてくれる人を探してるんだ。誰か、心当たりはないかな?」

 これはまた、予想外の『頼み』だ。長らく自分の世界に引きこもっていた男が、同居人が出来たことで随分と変わったらしい。

「何じゃ、そんなことか」

「心当たりがあるんだね? さすがは十二番街の生き字引!」

 他の住人ならともかく、この男にそう呼ばれると嫌味にしか聞こえないが、まあいいだろう。

「儂のところに寄越すといい。基本の『き』くらいなら教えてやれるじゃろ」

 もう昔ほど手が動かなくなってしまったが、今でも手遊てすさびに首巻きや肩掛けを編むことがある。そろそろ何か編もうかと思っていたところだったから、ちょうど良い。

「君、編み物できるんだ。凄いねえ。じゃあ頼むよ。今度引き合わせるからさ」

 じゃあまた、と手を振って、くるりと踵を返すユージーン。のんびり屋に見えて、用事が済むと余韻もなく立ち去ってしまうのが、この男の悪い癖だ。

「お待ち、このせっかちエルフ。久々に顔を出したんじゃ、茶くらい飲んでいかんかい」

「えー、だって君の淹れてくれるお茶は苦いじゃないか」

「薬草茶は長寿の秘訣じゃよ」

「これ以上僕を長生きさせてどうするのさ」

「なに、お前さんには儂を見送ってもらわにゃならんのだから」

 占わなくとも、その未来はすでに見えている。

 誰よりも長生きの彼は、誰よりも出会いと別れを繰り返し――そして世界の終焉をも見届けるだろう。

「見送るのは、もう飽きたよ」

 だからさ、と微笑む、その横顔はどこか寂しげだ。

「長生きしてよね、アルベルティーナ」

「ふん、お前さんもな」

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