第15話 Impact
弘美さんが言う『その事故』の名前は、当時まだ生まれていない僕でも聞いたことがある。死者と多数の被曝者を出し、その後の日本に放射能への恐怖を植え付けた歴史的事故だ。
智司さんが一枚の紙に手を伸ばした。
「記事の下書きね。結局それが世に出ることはなかったけど」
弘美さんの言葉など耳に入っていないかのように、智司さんは書かれた文章に神経質なほど目を巡らしている。そして、その表情はどんどん青ざめていった。
「桐谷さん、ここに書いてることって、本当……なんですよね?」
「それを担当した記者によればね。私も一通りは確認したけど、一概に捏造と切り捨てることも出来ないわ。……まさかあの事故の裏で、三十人以上も外国人が被曝、死亡していたなんて」
事故の裏? 三十人以上が被曝? どういう事なんだ?
「それが事実なら、本当の死者は公表されているよりも数十倍の数になる。どうしてそんな事を、どこにも出さなかったんだ……」
「当時を知っている人間もほとんど事情を話したがらないわ。一つだけ聞けたのは、『自分たちは記事を出そうと全力を尽くした』という事だけ」
「上からの圧力……ですか?」
「あの、一体どういう事なんですか? 二人が何言ってるか、よく分からないんですけど……」
「それ読めば、一発で分かるわよ」
弘美さんはコピー用紙を指差す。
「でも弘美さん、彼はまだ子供ですよ。わざわざ首を突っ込ませなくても」
「別に構わないでしょ。リアルタイムで事故を知ってるわけじゃないんだし、ネットの都市伝説みたいなもんと思ってちょうだい」
「それもそうかもしれませんが……」
そう言いながら智司さんが差し出したのは、メールの本文を印刷したような紙。
記事を読み進めると、事の全貌が少しずつ分かり始めた。
『——外国人労働者の管理・派遣を行う企業Sが多数の違法労働に外国人を斡旋している、そのような疑惑を我々は掴んだ。本記事ではその中でも特に社会を揺るがしかねない、驚愕の真実について特集する。——企業Sは東北地方の某核燃料加工施設に対しても多数の外国人を送り込み、法外な高給と引き換えに命に関わるような危険な業務を行わせていた。——そんな中で起こった未曾有の放射能漏出事故で、世間には公にされていないが施設の中枢にいた外国人十八名が被曝。病院に運ばれることもなく二十時間以内に全員が死亡した。それだけでも最悪の事態だが、さらに恐ろしいのは事態の収集を図るために国が派遣した除染部隊よりも早く、S社からさらに追加で十六名が派遣されたことだ。——外国人である彼らはもちろん、会社側も放射能の危険性を正しく認識していなかったため、不十分な装備のまま内部の遺体の運び出しや証拠の隠滅を図った。そして、彼らも高濃度の汚染に曝された。——最終的にはこの事故により三十四名全員が死亡し、それらの証拠の大半は公表されないまま闇に葬られてしまった。——遺された僅かな資料や、当時の周辺住民への聞き込みを続けた結果得られたのが、以上の事実である』
周囲の席に客が増え始めた。僕たちの間に言葉は無く、賑やかな騒音がやけに煩く感じる。
「桐谷さん、この事実を公表するつもりは……無いんですか?」
「ここにある証拠は全部、聞き込みとか盗撮写真とかの客観的な証拠よ。これを奴等の鼻先に突きつけても、鼻息一つで吹き飛ばされちゃうわよ」
「確かに、こんな内容だと程度の低い陰謀論とも捉えられかねないでしょうね。けど、これだけの取材量を見ると、一笑に付すことも出来ないというか……」
「同感よ。それで、ここから先は私の推測」
弘美さんはコップの氷を全て口に流し込むと、音を立ててコップを机に置いた。
「サワシロ・プロジェクトによる外国人の違法就労と、三十人以上が被曝により死亡した事件。それらの決定的な証拠は、失踪した高城雅樹が持っていると私は思ってる」
「高城さんが資料を持って会社から逃げた、と?」
「一九九九年は高城雅樹が入社した年だし、その同年に事故は起きた。彼も事故の当事者である可能性は十分にあるわ。
会社が隠そうとしている事故の実態を知った彼は情報をかき集めて、会社側に談判した。この事実を社会に公表し、正式に罪を認めるようにと。でも、会社はもちろん無視を決め込んだ。自分の正義を貫きたい彼は会社の意思に反発して、行方をくらました」
「でもなんで失踪なんて……。普通に辞めればよかったんじゃないです?」
僕の問いに、弘美さんは小さく唸る。
「たぶん、会社は彼を手離したくなかった、手離せなかったんじゃないかしら。高城は会社を潰せるほどの情報を持っているし、そんな人がすべてを世に放とうとしているなら、手の届く場所に置いておきたいはずよ。だから何としても辞めさせまいと会社はあらゆる手を尽くした。その結果、彼は何も告げずに消えるという選択肢を取らざるを得なかった。こんなところかしら」
横で聞いていた智司さんは、突然何かに気付いたように顔を上げ、スマホを操作し始めた。
「……やっぱりそうだ。高城さんが消息を絶った年にサワシロ・プロジェクトは解散。その翌年、後継となる『あの会社』が設立されてる」
「てことは、高城雅樹は会社の事業が拡大する前に告発しようとした?
……まさか、会社に『消された』んじゃないでしょうね」
「消されたって……」
「私の想像だから、あまり深く考えないで頂戴。でもこれまでの情報とか記事を見てると、外道な事もやりかねない連中に思えるわ」
「それで、かつてのサワシロ・プロジェクトの役員たちは現在どうしているか……、もちろん、調べてるんですよね?」
僕が聞くと弘美さんは何も言わず、ノートパソコンの画面をこっちに向けた。
「見ての通りよ。代表だった沢城一馬はあの会社の取締役に、その他の社員たちも本社の重役に落ち着いてる。自分たちがしでかした事なんてもう無かったことにしてるみたいに、清々しい出世ね」
「ただの中小企業の役員ならともかく、これほどの大企業の椅子に収まっていると直接突撃するのもまず無理、か」
あまりにスケールが大きくて、未だに現実感が無い。今すぐにでもテレビの番組構成を塗り替えてしまうほどのニュースが、この小さな卓上に広がっているというのか……。そしてその情報の最前線に、僕も少なからず関わっているんだ。
「さあ、今日はこの辺にしときましょうか。長いこと付き合わせちゃってごめんね。今日は私が出すから、先に出てて」
弘美さんは手早く資料を片付けると、伝票を握るように持って行ってしまった。毎回思うけど奔放な人だなぁ。
僕も続いて席を立とうとすると、腕を捕まれた。振り返ると智司さんが口に人差し指を当て、目配せをする。
「本当は弘美さんと二人で会うつもりだったけど、念のためにこれを持ってきて良かった」
そう言って取り出したのは、クレジットカード大の黒いもの。
「これ……、カセットテープですか?」
「そう、タクトくんでも知ってるんだ」
知ってはいるが、実物を見るのは初めてだ。思っているよりメカニカルな外見をしてるんだな。
「久しぶりに法学研究会に顔を出してたんだ。丁度OBの忘年会もあったしね。そしたら、部室でこれを見つけた」
サークルの卒業生には著名人も多いため、置いて行った私物などはなるべく保管するようにしているらしい。
「これは、幸太郎が遺した物だ」
裏返すと、A面と記載された側にサインペンで彼の名前が書かれてある。
「この、カセットテープがですか?」
「うん、当時だとCDもとっくに普及してたと思うけどね。実は家のラジカセを捨てちゃったみたいで、僕もまだ聞けてはないんだ。もしタクトくんのご両親が再生機器を持ってるなら、先に君に貸しておこうと思って」
受け取ったカセットテープは見た目に反して、軽い。
「それともう一つ」
智司さんは諭すような目で僕の目を見る。
「君たちはこれ以上、この事件に関わるな。誤解を恐れず言うと、あの人とももう関わらない方がいい」
智司さんは一瞬レジの方を見る。
「今日、本当はタクトくんを呼ぶつもりはなかったんだ。彼女はどう思ってるか知らないけどね。
今日の話は高校生が関わるにはあまりに重すぎる。僕だって正直あまり深入りしたくないけど、関わってしまった以上は責任を持つ。でも君たちは別だ。一人の売れないミュージシャンを追いかけてる少年少女に過ぎなかった君たちが、今や国際政治を揺るがすほどの大事件に首を突っ込みかけている。事件の真実を知るのは、この辺りで留めておいた方がいいよ」
店内の暖房がいやに暑く感じた。全身が汗で包まれて、逆に身体は寒さを覚える。
「桐谷さんはジャーナリストとしての使命を感じて動いている、被るリスクもすべて自己責任だ。でもタクトくんは違う。責任があるとすれば、不要なことを教えた僕たちにある」
智司さんは僕の肩に手を置くと、それを支えに立ち上がって入り口へ向かう。そして慌てて追いかけようとする僕に、言葉を付け加えた。
「この社会って言うのは複雑なことに首を突っ込むと、その後腐れがとても厄介なんだ。もし、この先君がどこかで不条理を味わうなんてことがあったら、いつでも僕に連絡してほしい。界峰院大学法律研究会がきっと、君の力になる」
命尽きるまで 千歳 一 @Chitose_Hajime
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