第14話 Melt

 結局事情を聞く余裕もなく、僕は駅前のカフェまで連れて来られた。

 やって来たホットのカフェ・マキアートを手で包むと、智司さんの血色は多少良くなる。一方の弘美さんはこの季節なのにアイスコーヒーを注文し、ストローを使って一息で飲み干していた。

 そしてさっさと机のスペースを空けると、手慣れたようにノートパソコンを開いて話し始めた。

「御厩敷さんにはもう言ったけど、タクトくんにも話しておく。……サワシロ・プロジェクトについてよ」

 次々とカバンから資料を取り出し、机の上に置いていく。これだけの取材量で、本業の方は大丈夫なんだろうか。

「前に御厩敷さんが言ってた通り、サワシロ・プロジェクトは小さな人材派遣会社よ。

 ただ、一つ特徴的なのが」

 新聞記事の切り抜きをこちらに押し出した。『始まる技能実習制度 受け入れの体制は?』との見出しが付けられている。記事の最後にある『取材協力:サワシロ・プロジェクト』という付記が目を惹くが、日付の平成五年って、何年前だ……?

「ここは外国人のみを対象にした人材派遣会社だったの。今だと『技能実習制度』ってのがあるけど、この会社がやってることはちょっと違う」

 『技能実習生』か。ニュースで名前ぐらいは聞いたことがある。

「タクトくんは分からないかもしれないけど、僕たちが小さい頃は日本の外がいろいろと騒がしくて、それで国を追われた外国人がボートに乗って難民として日本に来ることが多くあったんだ。そしてそれを追いかけるようにして、外国人労働の法制度が整備され始めた」

「ちょっと、私はまだ生まれてないんだけど!」

 智司さんが補足し、弘美さんは抗議する。

「……まあそれはいいとして、設立者の沢城一馬さわしろかずまは当時、このビジネスが将来的に当たると考えたんでしょう。今考えると相当な切れ者ね。その裏では相当エグいことやってたみたいだけど」

「エグいこと?」

「前にも聞いたでしょ。この会社は企業体質が最悪だったのよ。賃金の未払いからパワハラセクハラコンプラ違反……。元社員二、三人から話を聞くだけで出るわ出るわ、ゴシップの山よ」

 弘美さんは大袈裟に手を広げて見せる。

「実際に被害届も出ていたそうなんだが、会社の人間も狡猾で、捜査の手が入る度に証拠は消されていたらしい。こういった事案に対しては物的証拠が一番の効力を持つからね。当時はまだブラック企業なんて言葉も無かったから、そこまで深刻に考えられてなかったというのも事実だろう」

「それだけじゃないわ。業務の中心になってる人材派遣業でもかなりドス黒いことをやっていたみたいで、言葉も満足にできない外国人に対して極端に悪い条件で仕事を斡旋あっせんしたり、グレーな団体と手を組んでヤバい仕事をやらせてたり、嘘みたいな酷い環境だったそうよ」

「……そんな会社を、LastChildは調べようとしていたんですか?」

「そう。で、大事なのはここからよ」

 弘美さんは椅子の上で姿勢を正した。

「二〇〇三年に、この会社で一人の社員が失踪した」

「失踪? 退職じゃなくて?」

「ええ。かつての同僚からも裏が取れたわ。名前は高城雅樹たかしろまさき。二〇〇三年の冬に突然会社に来なくなったらしいわ。家族から捜索願も出ていたらしいけど、結局見つからなくて会社からは除籍。話を聞いた元同僚も、完全に音信不通だと言ってたわ」

「会社で働くのを苦にして失踪、とかですかね……」

 もしくは自ら命を、という最悪の結末だって考えられる。

「そうね。いろんな可能性が考えられたけど、やっぱり山奥で人知れず自殺だろうって、会った人はみんなそう言ってたわ。ただ、話はこれで終わらないのよ」

 弘美さんは次に、名前が縦に並んだコピー用紙を引っ張り出した。藁半紙わらばんしをモノクロコピーしたように画質が悪い。

「これは……」

「神奈川のある小学校の学級名簿よ。ここ見て」

 ピンクのマーカーで二本の線が引かれている。

「高城雅樹と……、その下は武澤幸太郎。これって……!」

「そう、この二人は同じ小学校のクラスメイトだったの。最近は個人情報の扱いが厳しいからこれを手に入れるのも大変だったのよ。でもこれのおかげで、この二人は中学まで同じ学校、しかもクラス内で交友があったことも同時に分かったわ」

 中学卒業後、高城さんは一九九九年にサワシロ・プロジェクトに入社。武澤幸太郎は高校に進学して別々の進路を辿ったという。

「幸太郎が言っていた『助けたい友人』は、彼のことで間違いないんじゃないかな。労働基準監督官を目指した理由もここにあるんじゃないかと思う。そして高城さんが失踪した二〇〇三年は、幸太郎が大学に入った年だ。夢を叶えようと苦難を乗り越えた矢先に友人の失踪なんて、どれほどの絶望か……」

 智司さんは首をゆっくり横に振る。その苦しみに気が付けなかったことに、自責の念があるのかもしれない。

 だが、これで線が繋がった。『Exhaustion』でLastChildが『お前』と歌う相手は、その高城雅樹さんというかつての友人で、智司さんに対してサワシロ・プロジェクトの調査を依頼したのは失踪した高城さんを探すため。あのライブは友人がいつ帰ってきてもいいように、地元の目立つ場所で待ち続けるため……。

 けど、まだ分かっていない事実もある。

「どうして幸太郎さんは大学を辞めたんですか? その後、どうして命を……」

「友人が行方不明になって労働基準監督官になる熱意が失われた、と考えればある程度の説明はつくが……、自殺に関しては全く分からないよ。そんなことをする奴には思えなかったから」

「とまあ、ここまでは御厩敷さんにも話した内容なんだけど、ここからは別よ」

 弘美さんの声色が変わった。

「まだ、何かあるんですか?」

 智司さんもテーブルに肘を置いて身を乗り出す。一体何の話だ? 僕は生唾を飲み込んだ。

「さっきから言ってる通り、サワシロ・プロジェクトは悪質な労務環境のいわゆる『ブラック企業』だった。でも、それとは別にある事件に関わっている疑惑もあるのよ」

 弘美さんの手が資料の山の一番下に伸びる。分厚いA4のバインダーを引っ張り出して卓上で広げると、メモ帳から折り畳まれた大判の地図まで、大小様々なサイズの紙が挟まっていた。

「私の会社に転がってた取材資料。二十年ぐらい前のものでお蔵入りになった記事ネタね。当時これを取材してた記者が会社に遺して行ったみたい。その人はもう辞めちゃってたけど」

 資料の中には数字だけが書き込まれた紙や折れ線グラフも見える。何を取材していたんだ?

「これってまさか……!」

 資料を一枚引っ張り出して目を通した智司さんは、目を見開いて続く言葉を失う。

「そのよ。これもタクトくんは知らないかもだけど」

 説明を求めて智司さんを見るが、資料を次々に抜き出して目を巡らせるばかりで、こちらに構う素振りもない。

 弘美さんはやれやれといった素振りで、僕の方を見る。

「一九九九年、この国で起こった初めての放射能漏出事故、知ってる?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る