第11話 Regret
「これ、昨日渡せなかった分」
僕たちの最寄りまで直通の快速電車に乗り、中でサラにUSBを手渡す。前日は学校の宿題に追われて小説どころではなかったのだ。
「お! ここからの展開楽しみだったんだよねぇ」
サラは両手で包むように受け取る。指先がわずかに触れ、淡い静電気のようなものを感じた。
「サラってさ、こういうジャンルよく読むの……?」
僕が書いているのは典型的なファンタジー小説だ。ドラゴンこそ出てこないが、剣と魔法の世界を舞台にした冒険譚。毎回深く読み込んでくれていたので、彼女の趣味に合うかどうかを気にしたことがなかった。
「うーん、あんまり本に好き嫌いはないよ。友達からえーっ!て言われるようなのも読むし」
どんな小説だよ めっちゃ気になるぞ。
「でも、どうせ読むならファンタジーみたいなワクワクするやつの方が好きかな! 夢の中みたいなフィクションを読んでこその小説だし」
それは同意する。最近流行っている後味の悪いミステリー小説とか、なんでわざわざ物語の中でまで嫌な思いをするんだと思う事もあるし。
「あ、そーだ! 私けっこう絵書くの得意だよ! 次返す時は挿絵描いて入れとくね!」
意外だな。意外とインドア派なのか?
「ほんとに? いいのかな、そこまでしてもらって……」
「きにすんな! 私だってこれのおかげで毎日飽きないし、それのお返しと思って!」
そう言って、サラは胸の前でUSBを抱いた。その様子を見るとなぜか自分まで恥ずかしくなってくる。僕はそっぽを向いて赤くなる顔を隠した。
今日の電車は時間の経過がとても速く感じた。他愛もないことを喋っている内に、もうサラの最寄り駅に着いてしまった。苦痛だとしか感じたことのなかった人との会話を、ひどく名残惜しく思う。
「じゃあ、またね!」
ドアが開き、サラは軽快に立ち上がる。夢のような時間が終わる──。
「待って!」僕は勢いで引き留めてしまった。
「ふぁ?」サラはびっくりして変な声を出した。僕は平静を装って咳払いをする。
「よ、良かったら家まで、……送って行くよ」
時間はまだ夕方だし、日も出ている。今考えれば別に送る必要もなかったんじゃないか? むしろ家を特定するつもりだとか思われたのでは……。僕の頭の中では勝手な思い込みによる後悔と恥ずかしさが渦巻いていた。
一方のサラは二つ返事で「うん、ありがとう!」と言ってくれた。まあいいや、やらない善よりなんとやら。僕はこの言葉がインターネット発祥であることを最近知った。
サラの家は駅から十五分ほどの小さなマンションにあった。てっきりお金持ちの娘さんかと思っていたが、その見当は違ったようだ。
マンションの前の駐車場まで来ると一階の階段で別れを言い、僕は背を向けた。空はもう藍色がかっている。今日はここから歩いて帰ってもいいかな。何か温かい物でも食べながら歩こうか——。
「タクト」
サラに呼ばれた。振り替えると、暗くなりゆく空気でサラの表情はよく見えない。宵闇のせいで、それほど遠くないはずの僕と彼女との距離がとても遠いように感じる。
「……どうしたの? サラ」
「ううん、やっぱりなんでもない。また月曜日ね!」
サラは階段を駆け昇って行ってしまった。僕は頭の上に疑問符をひとつ、ポケットに手を入れて歩き出す。
思い返せば、僕はこの時サラの話を聞いておくべきだった。
抱いた僅かな疑問を、見逃すべきではなかったのだ。
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