第10話 Recruit
「や、辞めた?」
思わず聞き返してしまった。聞いている限りでは成績や将来に問題など無いように思える。なのにどうして……。
「その頃には僕はもう卒業していたから、これも詳細は聞けずじまいだ。何か話ができていればと悔やんでも、もう遅いんだけどね」
「彼の退学と自殺は、何か関係があると思いますか?」
弘美さんが続けて尋ねる。
「それは……分かりません。彼の死を知ったのもほんの数日前なので、一体何がなんだか……」
「他に何か、彼に関しての出来事はありませんでしたか?」
「特に、無かったと思いますけど」
「ツイッターのアカウントとかは?」サラが思いついたように言う
「当時はそんなもの無いよ」と智司さんは笑う。
「でも、在学時から音楽活動はやっていたみたいです。私もLastChildの名前は耳にしたことがありました」
「そうだ。彼の音楽は聞かれましたか? 『Exhaustion』という曲について、何か心当たりは……」
スマホで動画のページを開こうとするサラを、智司さんは手で制した。
「この前教えていただいた動画のことですよね? あれは幸太郎本人で間違いないと思いますが、……ああまで感情をむき出しにしている姿は初めて見ましたよ。普段は黙々と努力しているような奴だったので」
「曲についてはどうです? 歌詞に出てくる『俺』とか『お前』って……」
智司さんは少し考え、「推測だけど」と前置きを入れた。
「それが幸太郎自身や、『助けたい友人』のことを指してるんじゃないかと、今考えるとそんな気もします」
やっぱり、智司さんも同じことを考えていたようだ。
「それにしても……桐谷さんはともかく、君たち高校生が十年前の無名の歌手を追いかけるなんて、随分物好きなんだね」
弘美さんは一瞬遅れて「なっ!」と智司さんを凝視し、抗議の意思を示した。僕も反応しようか迷ったが、無視しておくことにした。
智司さんの視線に促されるようにして、僕は大して上手くも無い感想を言う。
「僕は、その……あの曲の『売れるために作られてない』感じが好きなんです。何て言うか、実際は誰に向けたものか分からないけど、決して大衆には響かないし見向きもされない、売れる見込みも無いのに何かを信じて歌い続けている。そんなところに惹かれたと思ってます。あの動画も、どんどん人が素通りする様子とかやたらと低い解像度とか、そういったものまで全部含めて一つの舞台装置みたいに見えるし、……もちろん偶然の産物なんですけど。
……すみません。上手く伝わっているか分からないんですけど」
智司さんは一つも言葉を挟まず僕の話を聞いていた。そして、僕の言葉を吟味するように深く頷いた。
「ああ、よく分かるよ。君の考えは音楽の根源に通じるものがある。音楽と言うのは起源を辿れば、声に抑揚をつけて感情を表すために用いられていたという説もある。歌詞に共感を見出したりメロディーに陶酔を覚えたりするのはもっと後の歴史の話なんだ。幸太郎、いやLastChildの『Exhaustion』も君の評価も、そういった点では表現の本質を突いていると言っていい」
「そ、そうですか……」
そう真剣に褒められるとなんだか居心地が悪い。隣のサラもぽかんとした顔でこちらを見ている。
「僕なんかより、そっちの彼を取材した方がいい記事書けるんじゃないです?」
智司さんは冗談交じりにそう言う。
「え? 記事?」
「書かないんですか? 電話では記者の方だと……」
弘美さんは思い出したように膝を打った。
「ああ。だって、よく分からない人から『大学時代の後輩について教えてください』なんて言われても不気味なだけでしょ? 仕事上の人脈も使ったから、あながち嘘でもないし。これは取材の皮を被った個人的興味だし、記事なんて書きませんよ」
「そういう事だったんですね……。じゃあ、この話は」
「もちろん全部オフレコです! 何年も前に編集長にLastChildの特集を提案したんですけど、企画書に一目通しただけで即却下されちゃって。いまさらそんな記事書いたって誰も興味持たないですしね」
「確かに、言えてますね」
じゃあ話はこれくらいにしますか、と弘美さんが立ち上がる。
「良かったら大学の中でも見ていきますか? ちょうど高校生もいることだし」
智司さんがそう提案してくれた。
「さんせー!」とサラが手を挙げた。僕も大学生のキャンパスライフというものはかなり気になる。
「ならまずは学食でしょ! 名物があるってグルメサイトに書いてたわよ!」
食事の話になると、弘美さんのボルテージが急に上がり始めた。裏表のない人だなぁ。
「ええ、行きましょうか」
僕たち四人は喫茶店を後にした。
学生食堂『大地』のテーブルを囲み、僕たちは名物だという「天津炒飯」を食べていた。僕とサラの分は智司さんが奢ってくれたが、学食ってこんなに安く食べれるんだな。
「取材じゃないって聞いて、ちょっと安心したよ」智司さんはそんなことを言っていた。
界峰院大学法律研究会は出身者の著名さや数々の噂から、メディアの取材依頼がしばしば来るのだという。
「変な噂を流されたくないからほとんどの取材は受けるんだけど、やっぱり中には有りもしない記事をでっち上げる記者もいるんだ」
そう言い、とある実話系週刊誌の名前を挙げた。この雑誌が掲載した記事では、政財界の有力出身者が多いためサークルが事実上の政治意思決定機関のような存在になっていると紹介されていたらしい。
「よく言われてますよね、それ」弘美さんが食い付いた。
「国防に関する法案とか、最近でも外国人労働者に関する法律の強行採決とか、裏で一部の政治家が手を握ってるんじゃないかってよく言われてるし。なーんか疑っちゃうんですよね」
弘美さんは智司さんの出方を窺っている。完全に探りを入れている目付きだ。
「いや、さすがに都市伝説だと思いますけど……。秘密組織って訳でもないし、中身はただの塾ですよ」
「ならOBはどうです? サークルなら名簿ぐらいはあるでしょう? それをツテに裏の繋がりが……」
「まさか、映画じゃあるまいし」
智司さんは軽く受け流す。弘美さんはがっかりしたように肩を落とした。
「ま、そんなに都合の良い話もないかぁ」
ただ広い食堂は、休日の昼過ぎだと言うのにほとんどの席が埋まっていた。
学内をひとしきり散歩して、智司さんは僕たちを駅まで見送ってくれた。
僕たちが頭を下げて帰ろうとすると、智司さんに呼び止められる。
「そうだ、最後に一つだけ」
「はい?」
少し言いづらそうにしている様子だったが、意を決したように口を開く。
「実は、幸太郎に関する出来事でまだ一つだけ、お話ししていないことがあります」
「どういうことです……?」
怪訝な表情をする僕たちに、智司さんは言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「僕が大学を卒業して、労働基準監督官になった一年目のことです。
……幸太郎から、連絡がありました。時期から考えると彼が大学を辞める直前のことだと思います。
その用件は、『ある会社について、出来る限りの情報がほしい』というものでした」
「『ある会社』……?」三人は同時に反応した。
「ええ、メディアの取材ならこの事は絶対に言わなかったのですが、そうでないなら隠す必要もないでしょう。
その会社は、『サワシロ・プロジェクト』といいます」
サワシロ……聞いたこともない会社だ。弘美さんも首を傾げている。
「従業員も三十人ほどの小さな人材派遣会社です。知っている人はほとんどいないでしょう。ただし」
次に智司さんは、『別の会社の名前』を口にした。その名前に、サラと弘美さんが反応する。
「それって……、『あの』?」
「そうです。現在国内で最大手の人材会社。アルバイトの広告から旅行代理店、就職活動まで手を広げる、関わらない人はほとんどいないと言っていい大企業だ。
その会社の前身が、この『サワシロ・プロジェクト』という企業なんです。なぜか公にはなっていない情報だったので、僕も驚きました」
もちろんその名前は僕も聞いたことがある。バイトの応募に使ったり女子は美容院の予約をしたりと、高校生の生活にも不可欠な存在なのだろう。僕は使ったことないけど。
「……それで、ここからが肝心なんですが」
智司さんは声を落とした。自然と僕らも耳を傾ける。
「その会社、今で言う『ブラック企業』だったんです。それもかなり悪質な部類の。
弘美さんが口を開いた。
「サワシロ・プロジェクト、か。調べてみる価値はあるかもね」
「ですが、その名前で活動していたのはもう十三年も前です。ろくな情報が見つかるとは、とても……」
しかし弘美さんは自信ありげに胸を張って見せた。
「私だって伊達に十年編集者やってる訳じゃないのよ。私だけの情報網を使えば、この国の出来事で分からないことは無いわよ」
「そ、そうですか……。ただ、あまりこの事は口外しないようにお願いしますよ」
「もちのろんよ! ジャーナリストの矜持に懸けて、約束する」
恐らく智司さんの方が一回り年上だと思うが、いつの間にか年功が逆転している。
「じゃあ私はこれで! ばいびー!」
そう言い残し、改札とは違う方向にコートを翻して行ってしまった。
「あれ? 電車乗らないの?」
「弘美さん自転車で来たんだって。家近いから」サラは知っていたようだ。
「じゃあ僕らも、帰ろうか」
もう一度智司さんに礼を言い、僕たちは並んで改札に向かった。
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