第8話 bolt
週が明け、僕はいつも通り根暗な顔で教室に入る。サラもいつも通り朝から数人の友人に囲まれて元気にしているようだ。僕は一昨日のサラとの非日常な余韻がまだ残っていて、学校という現実に引き戻されるのがひどく嫌だった。彼女はそんなこと微塵も思っていない様子だけど。
僕たちのクラス内でのテンションは何一つ変わらないが、一つだけ小さな変化はあった。
授業が始まる直前、サラが友人に断って席を離れた。僕の席まで来て、ポケットから何かを取り出す。前に渡したUSBメモリだ。
「中に感想、入れといたよ」
サラはそう耳打ちして、僕にそれを渡した。サラの友人たちがこちらを覗きながら聞き耳を立てているのが見える。……別にやましいことは何も無いんだけどな。
チャイムが鳴ると同時に、彼女も席へ戻って行った。僕は何となくその姿を目で追う。USBは体温で仄かに暖かくなっていた。
「おい志田、前向け。お前森本に惚れたのかぁ?」
いつの間にか入って来ていた一限の教師に茶化された。教室に小さな笑いの渦が起こる。笑いに紛れて舌打ちの音が聞こえたような気もしたが、僕は聞いていないフリをした。
放課後、家に帰ってパソコンを開く。USBメモリの中には小説のデータと、『サラの感想!』と題された文書ファイルが一つ増えていた。
まだ小説は未完成だが、サラは細かい感想をいくつも箇条書きで記していた。『主人公のキャラクター設定が弱い気がする』、『ここの心情の変化はもうちょっと緩やかに!』といったアドバイスから誤字脱字の訂正まで、作者の僕より丁寧に作品を読んでるんじゃないかと思えるほどの指摘だ。一番最後には『総合的にはとてもおもしろいと思います! にじゅうまる!』と評価されていた。
人に作品を見せて評価をもらうことなど初めてだったので、少し恥ずかしくも思う。でもこれも、『夢への第一歩』なんだよな。僕が勇気を出して紡いだ糸を無駄にしないよう、僕はキーボードに指を乗せた。
サラとの交換USBを続けて一週間ほどが経った。彼女はほぼ毎日感想を書いて渡してくれるし、僕も負けじと物語の続きを書き進める。一人でも自分の作品を読んで感想を伝えてくれる人間がいることは、書く側にとって大きな推進力になるんだな。一年近く書き続けて序盤も書き終わらなかった小説は、既に全体の半分に差し掛かろうとしていた。
毎朝USBを交換し合うのも恒例になってきたし、フォルダを開くたびに増えてゆく『サラの感想!』ファイルを読むことも毎日の楽しみとなっていた。クラスの人間は未だに僕たちの関係を訝しんでいるみたいだけど、サラは何も言っていないのだろうか。……出来れば言わないでほしい。
一日に数十秒顔を会わせるだけなのに、僕の登校へのモチベーションも徐々に改善していた。朝の低血圧気味なキャラクターも鳴りを潜めつつある。
まるで『サラの魔法』だな。彼女の自然な行動には、人を元気づける不思議な力があるのかもしれない。
他に変わったことといえば、クラスで行く忘年会がイタリアンに決まったことぐらいだろうか。サラには強引に参加させられたが、まさか本当に僕も行くことになっているのかな。彼女以外に気軽に話せる人間は、まだこのクラスにはいない。
そして僕たちはいつしか、LastChildの話をしなくなっていた。飽きた訳ではない。今でも暇さえあれば聞いてるし、あの動画は今でも僕の創作活動の原動力になっている。
でも何となく、もう『終わった』ように思えたのだ。彼を追いかけた結果、待っていたのは彼の死というゴールだった。彼の素性に関してほとんど何も知らないから、自殺という事実にも実感が湧かないし、思ったよりショックを受けることも無かった。でも、彼との永遠の別れを示されたことは、僕とサラを繋ぐ糸の一本が切られるきっかけになったと、僕はそう思っている。何となくだけど、僕たちはあの話題を避けるようになっていたのだ。
変わり映えのしない日常に少しの変化が訪れたのは、金曜日のことだった。
下校途中、知らない番号からの着信があった。出てみると、時間帯には不釣り合いなほどハイテンションな声が聞こえてくる。
「もしもしー? タクトくん元気ぃ?」
二週間ほど前の記憶が、急に呼び起こされた。
「え、弘美さん? 何で僕の番号を……」教えた記憶は全く無いんだけど。
「サラちゃんに教えてもらったのよ。細かいことは気にすんな!」と、彼女は当然のように言う。あの二人はいつの間に繋がっていたんだ?
「それで、何か用……ですか?」
僕が聞くと、弘美さんは「もちろんよ、聞きたい?」と勿体ぶる。
「ある人に会いに行くのよ、いわゆる取材ってやつね。ま、仕事とは全然関係無いんだけど」
「へぇ、誰に会いに行くんです?」
「LastChildの過去を知ってる人」
「ふぅん……え?」
久しぶりにその名前を聞いて、一瞬脳の処理が追い付かなかった。LastChildの過去を知っている、だって?
「そ、それってどういう事ですか? 会いに行く人っていうのは……」
「まあまあ落ち着きなさんな。詳しいことは会って話すわ。じゃあタクトくんも来るってことで、オーケー?」
「え? ……は、はい! 行きます!」
「じゃあ決まり! 明日、田町駅の西口に集合ね! 京浜東北線だから一本で来れるでしょ?」
明日か、急だな。土日なんて僕は万年暇だからいいんだけど。
……て言うか、田町って東京だよな? 彼の影を追って神奈川まで遠征した次は東京都心か。今月はお金の消費が多くなるぞ。
「田町って、今度はどこに行くんです?」
そう聞くと、弘美さんは待ってましたと言わんばかりに声のトーンを上げた。
「聞いて驚くことなかれ。あの、
界峰院って、私立ではトップクラスの……いやトップの大学じゃないか。僕の学校でも卒業生が一人合格したとかで、ホームページに大々的に名前が掲載されていた。
「タクトくんも聞いたことぐらいはあるでしょ? そのチョー賢い界峰院の卒業生と連絡が取れたの。オープンキャンパスだと思って気楽に来てちょうだい!」
「は、はぁ……」
オープンキャンパスと言っても、僕の学力では到底行けそうにもないんだけどな。しかし界峰院とLastChildに、一体どういう関係があるんだ?
「さらにさらに、もっと驚きなのが!」
今度は何だ。辟易とする僕に構わず、弘美さんは話し続ける。
「LastChildもかつて、界峰院大学に在籍していたらしいの!」
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