第7話 Confidence
「彼の死を知ったのは五年ほど前よ。私も今の仕事をしてなかったら知り得なかったと思うわ」
大勢が帰宅する時間帯、都心へ向かう電車は少しだけ空いている。僕たちは並んで空いた席に座った。
「自殺、と聞いたわ。部屋の中に遺書が置いてあったのをアパートの大家さんが見つけたらしいの」
「自殺って、そんな……」サラは俯き、声を絞り出すように言った。
僕だって到底信じられない。人が通り過ぎる中で必死に歌い続ける様は、まさに自分の存在証明のようにも思えたのに。そんな彼が、自ら命を絶つ選択をするなんて。
「十年前って、『Exhaustion』が投稿されたのもたしかその時期じゃ……」
「ええ、そうね」弘美が重々しく口を開いた。
「遺書に記してあった日付は二〇〇八年の一二月一日。私が彼の動画を撮影した日のことよ」
心臓が冷たい手で握られたように痛む。あの動画の数時間後、彼は人生最後の言葉を綴り、人知れず生涯を終えた。いや、もうあの時には既に……。
それともう一つ、今日はLastChildの十周忌の日でもあったんだ。
「ごめんなさい。助けてもらったのにこんな暗い話になっちゃって。私も職業柄、彼についていろいろ調べていたのよ。でも知ることができた情報はそれだけ。その事実を知ってからは私もいつしかLastChildの名前を口にすることは無くなっていた。……今日君たちと出会うまではね」
次第に賑やかさを増す車窓の外とは対照的に、僕たちの間に流れる空気は暗く重い。弘美さんは責任を感じたのか、努めて明るく振舞った。
「なんか暗くなっちゃったけど、それでも彼の歌はちゃんと生き続けてる、私たちの中に! だから、ね? あんまり後ろばかり見ないで行こ!」
そう言って立ち上がる。電車はもう代々木上原駅に到着していた。
「じゃあ、今日は本当にありがとう。またどこかで会いましょ!」
一方的に別れの言葉を述べると、弘美さんは人の流れに乗って電車の外に消えて行った。
「行っちゃった……」
二人きりになり、会話が途絶えてしまった。僕は頭の中で弘美さんの言葉を反芻する。
十年前の今日、LastChildは亡くなった。彼はあのライブを行ったその日に最後の手紙を遺し、そして……。
考えれば考えるほど、現実感のない情報の奔流に押し負けそうになる。ちょっとした好奇心から始まり、あまりに多くの事を知った一日だった。
サラも同じことを考えているのだろう。ちらと横を見ると、普段あまり見せないような沈んだ表情をしている。
僕の視線に気が付いたのか、彼女はすぐにいつもの快活な表情に戻った。でもなんだか眠たそうだ。
「それにしても、今日あんな所で会えたなんてすごい偶然だね!」
「いや、多分偶然じゃないと思うよ」
「え?」
あの時、彼女のハンドバッグの傍らに落ちていた花束。丁寧に揃えられた淡い紫の花は、シオンだった。その花言葉は「遠方にある人を思う」。
「僕らは全員、彼に惹かれて集まったんだ」
新宿駅で電車を乗り換えた後も、僕らは微妙に距離を開けたまま言葉を交わさなかった。サラも疲れが来ているのかもしれない、口数が朝よりも少ないような気がする。
元はと言えば僕が誘ったのが原因なんだし、初デート……的な用事なんだから男子である僕が気を遣った方がいいんだろうか、などと考えていると、先にサラが口を開いた。
「タクトってさ、私のこと、どう思ってる?」
ど、どうって……。いきなりそんなこと聞くかよ? 自分の体温が上がっていくのを感じた。そりゃ、僕が見てる限りサラはクラスでも人気のある女子だし、性格も顔も……、って言うか彼女はどんな答えを求めてるんだ? ここで「好きだ」と言えと?
「正直、私ってあんまり空気が読めないっていうか、人の考えとかを無視して喋っちゃう所あると思わない? それで迷惑かけちゃうこともあるし、今日みたいなことにもなるし……。こういうのってあんまり、仲のいい人には聞けないから」
なんだそう言う話か。僕はちょっと安堵する。それと同時に、僕が『仲のいい人』に入っていないことが、少し心に引っ掛かった。
「……それは、そうかもしれないけど」言葉が僕の口を突いて出た。
「僕はその性格が羨ましい。人との関わりって、どうしても自分を押し通さなきゃいけない場面もあるし、それで仲良くなることだってあると思う。でも僕は人の気持ちとかを考え過ぎるから、思ったことを上手く言えないんだ。相手が僕に『違和感』を持ったらどうしよう、とか……」
僕が話し終えるとサラは少し考えたように黙って、そして口元に微笑みを浮かべた。
「正直なこと、言えたじゃん」
「……こんな事ちゃんと言ったの、初めてかも」
「人と仲良くなるための第一歩は、『自信を持つこと』。それと、『周りのことを考えないこと』だよ! 私はちょっと考えなさ過ぎかもしれないけどね」
自信を持つ、か。ほんの少しの自信があれば、こんな僕でも変われるのかな。
「……『そういえばお前さ あの夢は叶ったかよ? 俺は未だ終わらない道の途中なんだけど 夢ってのは叶えるためにあるもんじゃなくて 叶うって信じ続けるためにあるんだぜ』」
「それって……」
「『Exhaustion』の歌詞。好きなんだ、この部分」
彼も一人終わりの見えない夢を持って、あの場所で歌い続けていたのだろうか。でも自信は誰かから与えられるものじゃなくて、自分で作り出すものだよな。
「あのさ」
これは根拠のない自信と、今日で途切れてしまいそうなサラとの糸を繋ぎ直すための勇気だ。
僕はポケットからUSBメモリを取り出すと、サラに差し出した。
「小説を、書いてるんだ。もしよかったら……読んでほしい」
サラが先に電車を降りた。その姿が階段の向こうに消えてから気が付く。彼女を家まで送り届けたほうが良かったかな……。
僕は何も入っていない上着の内ポケットに、そっと上から手を触れた。
ただ、必死に生きている感触がそこにはあった。
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