第6話 Departure

 弘美さんと僕たちは帰る方向が同じだった。共に町田行きの電車に乗ると、車内は座れない程度に混んでいる。

「年甲斐もなく売られた喧嘩を買っちゃったのよね」弘美さんはケロッとした様子で顛末を語り初めた。

「あそこで用事を済ませてさぁ帰るか!って思ったら、帰りにアイツらに出くわしちゃって。別に興味も何とも無かったから素通りしたんよ。そしたらなんかMCで変なこと言い始めて、それがきっかけで気が付いたら喧嘩になっちゃった」

 舌を出して笑うような話ではない。数人の男に歯向かっていく性格を見るに、彼女もサラと通じる所があるようだ。

「その『変なこと』って、あの人たちは何を言ってたんですか?」サラが聞いた。

「それはね……あ、そうか、君たちもLastChildのことを知ってるって……。じゃあ話は早いわ。アイツらはこう言ったのよ。『そういえば今日思い出したんだけど、十年前にこの場所で路上ライブをしてる奴がいました。知ってる人はほとんどいないと思うけど、俺らはそいつとは違うんで、ちゃんと音楽やるんで、よろしく』って。こんなこと言ったのよ! それでちょっと頭来ちゃって、それって誰のことですか?って聞きに行ったら逆ギレされて、吹っ飛ばされちゃった」

「じゃあ、弘美さんもLastChildのことをずっと覚えてて……」

「当たり前じゃない! あの人は、あの曲は私の人生を変えてくれたんだから!」

「そ、それはどういうことです……?」

 あんなことがあった後なのに、弘美さんのテンションはやけに高い。これがいつものノリなんだろうな……。

「聞きたい? じゃあ特別に教えてあげる。君たちが言ってた『あの動画』にも関わってくる話だからね。

 十年前っていうと私はちょうど高校を卒業した頃で、卒業したは良いんだけど将来の進路が全く決まってなかったのね。だからバイトをしながらその辺フラつく毎日を過ごしてたんだけど、たまたま降りたあの駅で、私は彼のライブに出会った。『あの動画』を撮影した日のことよ」

 そこで弘美さんは一度言葉を切り、僕たちの反応を伺った。

「……あの頃の私って、『何者か』になるのが怖かったの。肩書きとか、年収とか、そんな価値基準で自分を見られたくないって。ありのままの自分を見てほしいって思ってて。……そんなの今の社会じゃ無理だって、心のどっかでは分かってたんだけどね。

 ただ、あの日私が見た彼は違った。お世辞にもカッコいいとは言えないし、歌詞だって共感できる訳じゃない。でも、声を枯らしてまで誰も聞いていない歌を歌い続ける姿は、いままで私が見た誰よりも『本心』を叫んでいる気がしたの。そこで初めて気が付いた、自分がたとえ何者であっても、自分は『自分』なんだって。自分の中の大事な気持ちを捨てない限りはああやって叫び続けることが出来る。その時の私の気持ちを何とかして残そうと思って、ケータイのカメラでライブを撮ったの。今見返したらひどい画質だったけどね。

 それから必死で就職活動をやり直して、今は小さい編プロで働いてる。『言葉を使う』って意味では、LastChildと同じ仕事かもね」

 弘美さんも、LastChildに多大な影響を受けた一人だったんだ。

「弘美さんはなんで高座渋谷に? もしかして、彼に会いにここまで?」

 サラが聞いた。

「え? ……ええ、まぁそうね」

「僕たちもLastChildに会えないかと思って来たんです。最近はもう路上ライブやってないみたいなんですけど……。あの人が今どうしているか、ご存じないですか?」

 僕の問いに弘美さんはなにも答えず、静かに目を伏せた。


「あの人にはもう会えないわ。亡くなったのよ、十年前に」


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