第5話 Coincidental
まだ短い手足を振り回して怒るサラを遠くまで引っ張り、駅が見えなくなった所でやっと一息ついた。
「ちょっと! 何で逃げるの! あんなの聞いて黙ってる訳?」
「お、落ち着いてよ……。相手は大人だし、まともに言い合って勝てる相手でも無いって!」
「だからって言われっ放しも嫌じゃない! 悪いのはどう考えてもあいつらよ!」
「それでも、あのまま続いてたらもっとヒドイことになってたって! 僕だって嫌だけど、あそこは我慢しないと……」
「タクトは自分の気持ちとか無いの!? 何で嫌なのに言わないのよ!」
「サラは感情に正直すぎるんだよ! 僕が居なかったらどうなってたことか……」
「タクトは感情を隠しすぎなの! ……だから友達も出来ないんでしょ!
あ、ごめん……」
静かな団地の中で、僕らは黙り込んでしまった。
……サラが悪い訳じゃない。傍から見れば、あの場で声を上げない方が弱虫と思われるだろう。おまけにに僕が自分の気持ちを表に出さないから友達が出来ないというのも、間違ってはいない。
彼女はただ、優しくて強いだけなんだ。
自分の不用意な発言を反省したのか、サラはすっかりしょんぼりした様子だ。僕はぎこちない空気を打開しようと、掛ける言葉を探した。
「……あのさ、少し休憩しようか。ちょっと行った所に図書館があるんだ。……CDのブックレットに載ってた場所だよ」
僕たちは何も会話がないまま、図書館の一階の喫茶店に着席した。熱いカフェラテを啜ると彼女も落ち着きを取り戻したようで、椅子の背もたれに深く腰掛けて溜息をついている。
「あの、本当にごめんね。タクトは危ないところを助けてくれたんだよね……」
「いや、別にそれほどのことは……」
「ううん、タクトがいなかったら私、何されてたか分かんないもん。……ありがと」
改まって言われるととても照れるな。
「僕も、あの時サラが言い返してくれて、すごく嬉しかった。僕はああいうの、正直苦手だから……」
それは僕の率直な気持ちだった。誰だって好きな人間をバカにされたら怒るに決まってる。ただ、本当に自分の声で反論するのは相当な勇気が無いと出来ないことだろう。サラのその愚直さが、僕は少し羨ましくもあった。
「ふふ、私たちって正反対なように見えて、実はお似合いのコンビなのかもね!」
そうやって真っ直ぐに見つめられると、僕はすぐに顔が熱くなってしまう。そういう所から僕みたいな男子は勘違いするんだぞ。サラはどう思ってるのか知らないけど。
「そういえばさ、一つ思ったんだけど」
サラがカップを置いて言った。
「あんまり認めたくはないけど、LastChildってここではあんまり人気無い感じだよね。じゃああの『Exhaustion』の動画を撮ったのって、誰なんだろ?」
そういえばそうだ、僕はスマホを出して動画を開いた。彼を撮影しているカメラのフレームは、不規則に揺れたり震えたりしている。カメラは三脚で固定されてないようだ。
「これ、本人が投稿した動画じゃないのか……?」
「ねえこれ、見て」
サラがスマホの画面を向けた。動画の概要欄に記されている投稿者のユーザーネームは『KiriHiro412』となっている。
その名前は見覚えがある。LastChildについて調べる時、真っ先にそのアカウントの他の投稿動画を確認したからだ。だが、
「でも、他に投稿してる動画は無いね」
そう、『Kirihiro412』がアップロードしている動画はその一本だけで、それ以外は何の動きも見せていない。このアカウントの登録は今から十三年前。これって、投稿サイトそのものの黎明期だよな……。
「うーん、なんか手がかりあると思ったんだけどなぁ」サラがぼやく。
「僕たち以外に唯一、って言っていいぐらいのファンだもんね。確かに一回会ってみたいけど……」
十年も音沙汰が無いなら、それも望み薄だろうな。あと僕たちに出来ることと言えば、この動画をひたすらに宣伝することぐらいか?
「そうだ! この動画にコメント送ってみようよ!」
「え? コメント?」
「そうそう! 気付いて反応してくれるかもだし!」
そう言うと、サラの指は目にも留まらぬ速さでスマホの上を滑った。文字のフリック入力ってあんなスピードで出来るのか……。僕はまだタッチ入力から抜け出せないでいるんだけど。
自分のスマホを見てみると、『Exhaustion』のコメント欄に数字が灯った。開くと『Sarasarah321』というアカウントから『この曲大好きです! 詳細教えてください!』との新着コメントが表示されていた。相変わらず、大した行動力だ。
「これで何か反応あればいいんだけど」
サラはカップの中身を飲み干す。口元には白い泡がたくさん付いていた。
そうだ、あまり簡単に諦めるもんじゃないな。短い時間だが、サラと出会ってから大事なことをたくさん学んだ気がする。
「じゃあもう夕方だし、そろそろ帰ろうか」
鶴瓶落としが如し冬空の下を、僕らは寄り添うように歩き出した。
やっぱり夕暮れ時は冷えるなぁ、なんて話をしながら駅前まで戻ってきた。いつかの下校時よりは自然に会話できているだろうか。受け答えの内容もちゃんと記憶にある。
改札口に向かおうとしたところで、僕は異変に気がついた。
いくら帰宅ラッシュの時間帯とはいえ、なんか駅前にいる人多くないか?
サラも通常と違う様子に気が付いたようで、「もしかしてさっきのバンドマン、見た目に反して曲は良いとか? それで話題になってたりして」なんて冗談を飛ばした。まさか彼らに限ってそんなことは無いだろうと思っていたが、やがて彼女の冗談は当たらずも遠からずということが分かった。
駅前の人だかりの中心には、昼間に会ったあのバンドマンたちがいた。ただし、全員楽器を携えているが誰一人音楽を奏でていない。
遠巻きに眺めていると、輪の中で一人の女性が叫んでいるのが聞こえた。「……謝りなさいよ! ……どの……かにして!」あまりよく聞こえないが、彼らに激昂しているのが分かる。また彼らは変なトラブルを起こしたのか。周囲の野次馬は無関心なフリをして、事の顛末を見届けようとする者ばかりだ。
「……行こ」
僕はサラを促す。彼女もそちらを少し見て、それから黙って僕について来た。
しかし、僕たちの背後で事態は動いた。
正面に立っていたボーカルの男が、言い合いの末にその女性を突き飛ばしたのだ。女性はそのまま後ろに倒れ、ハンドバッグの中身が散乱した。野次馬にもどよめきが広がるが、事態を収拾しようと名乗り出る者は誰もいない。
「おいコラ、誰のせいでライブ止まってると思ってんだよ。お前が責任取んのかよ? ああ!?」
バンドマン側も完全にキレている。ギターを投げるように置き、地面に倒れこむ女性ににじり寄る。彼女の目には怒りと恐怖の色が入り交じっていた──。
「そこの君、止まりなさい!」
怖いほどよく通った声で、叱責が飛んだ。その場の全員が雷打たれたようにビクッと動きを止める。
警察官のヨシさんが、そこにいた。刺すような眼光で周囲の一人ひとりを睨めつける。「見せモンじゃねえんだろ? だったらみんな散ってくれ。この場は俺が持つから」
そして振り返ると、輪の外にいた僕に笑い掛けた。
「助かったぜ兄ちゃん、あとは俺に任せてくんな」
女性が突き飛ばされる現行犯を目撃してすぐ、僕は交番に走り出していた。中にいたのはヨシさん一人、「おう兄ちゃん、あの歌手は見つかったか?」などと呑気にしていた。
「と、とにかく来てください!」白い息を吐きながら声を絞り出す。警察に駆け込むなんて初めてだから何と言えば良いのか分からなかったが、顔見知りの人がいて助かった。
ヨシさんは僕の様子を見てすぐに異常を察したのか、何も言わずに交番を飛び出した。老体とは思えない身のこなしだ。
サラが「やるじゃん」と僕の横腹を小突く。……なんか恥ずかしいだろ。
やがて、剥がれるように群衆が捌けていく。あとは地面に座り込んだまま俯く女性と、ヨシさんに楯突いて怒鳴られるバンドマンたち、そしてただ立ち尽くす僕たちだけが雑踏の中で浮いた存在となっていた。
サラが女性に駆け寄り介抱する。幸い目立った怪我は無いようだ。手持ちぶさたになった僕は、散らばったハンドバッグの中身を片付け初めた。バッグの傍らには、小さな花束が落ちていた。
結局、暴力を振るった男は他のメンバーと共に、パトカーに乗せられてどこかに移送されてしまった。
目撃者ということで僕たちは交番で三十分ほど聴取され、ヨシさんからは何度も感謝の言葉を述べられた。僕たちの隣にはあの時倒れた女性も同席していたが、毛布を被ったまま下を向き、何も言うことはなかった。よほどショックだったのかもしれない。
状況が概ね把握できたとして、僕たちもやっと解放された。交番を出ると、もう夜と言って良い時間だ。僕はともかくとして、サラはもう帰らないといけないだろう。
だから、申し訳ないけどサラには一人で帰ってもらうことにした。
「……ごめん。僕はもう少しここに居ないといけない」
サラは驚いたように目を丸くした。しかし、すぐに僕の方を向くと
「じゃあ私も帰らない!」
そして僕の腕にしがみついてきた。ちょっ、ホントに色々まずいって。あなた自分の人気の高さに気付いてます?
ここで僕が反対しても、サラはもう譲らないだろう。仕方がない。僕たちは風を凌げる改札前でひとしきり時間を潰した。
一時間近く経って、駅前の交番からさっきの女性が出てきた。横で見ていた時とは違い、ちゃんと歩けているところを見ると精神的なショックからはある程度回復できたようだ。駅に向かってくる彼女に僕は走り寄った。サラも慌ててついて来る。
女性は僕たちに気付くと、「もしかして、さっきの」と声を上げた。
「ありがとう、君たち。なんとお礼を言って良いか……」
「突然ですみません、……聞いていただけますか」
彼女の言葉を無視して、僕はスマホの画面を差し出した。
画面は『Exhaustion』を投稿した『KiriHiro412』のユーザーページが表示されていた。
「これ、もしかしてあなたじゃないですか?」
えぇ!? サラが素っ頓狂な叫び声を上げた。「なになに? 一体どーゆーこと?」
彼女も虚を突かれたように言葉を詰まらせ、「どうして、これを……?」と言葉を漏らした。
「やっぱり、あなたなんですね」
人違いでなくて良かった。僕は肩を撫で下ろした。
「さっきあなたのバッグの中身を片付けた時、免許証が目に入ったんです。その……勝手に見たことは謝ります。ごめんなさい」
まだ事情が理解できていない様子の彼女に、僕は言葉を続けた。
「
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