第3話 Solitary

 例の日は、思っていたよりもすぐにやって来た。

 スマホのトーク履歴を確認する。サラからの『明日、何時に集合(?_?)』というメッセージに対して、僕の返事はどこまでも素っ気ない。まだ約束まで三時間以上はあるのだが、もう家を出る以外の準備は済んでいた。着ていく服、持っていくカバン、そして当日のスケジュール。何ら不自然なところは無いはずだ。……僕が女の子と一緒に歩いている、という点を除けば。

 最も怖いのは、この姿を他のクラスメイトに見られることだ。先日教室でデートのお誘いを大公開してから、僕の周囲では何かと噂が立つようになった。サラも友人から色々と聞かれたようだ。彼女がどう返答したのか知る由もないが、少し迷惑なことをしてしまったかもしれない……。

 このまま家で待っていても落ち着かないので、時間は早いけどもう出よう。僕はノートパソコンを閉じるとUSBメモリを引き抜き、それを上着の内ポケットに入れた。万に一つでも、これの中身を知られることは避けたかったのだ。


 その後家を出て、雑貨屋などで適当に時間を潰した。十時半に駅のホームに向かうと、そこにはもうサラがいた。約束まではまだ三十分ほどある。こういうのって男が先に着いていた方が良かったんじゃないのか。

 サラはオシャレというより防寒に特化したような出で立ちだが、学校とは随分と印象が違って見える。制服と私服のギャップって、想像以上だな……。 

 サラがこっちに気がついて大袈裟に手を振った。親指とそれ以外の指で分かれているタイプの手袋、可愛いな……。僕も回りに目を配りながら小さく手を挙げる。僕たちは丁度ホームに来た電車に、足並み揃えて乗り込んだ。


「それで、どこ行くの?」

 隣に座ったサラが聞いた。学校で話すよりも顔の距離が近くて、心臓が高鳴るのを感じた。落ち着け、僕。

「……高座渋谷ってとこ」

「え? なに、どこそれ? 渋谷?」

「神奈川だよ」

「え、遠っ! ちょっとした旅行じゃん!」

 サラは目を丸くした。まぁ確かに、僕たちの近所からは電車で一時間半ほど掛かる場所だ。

「あ、ごめん……言ってなかったね」

「いやいや、楽しそうだから別にいーよ」

 サラはただ「楽しそうだから」という理由で何も聞かずに付いてきてくれた。言わなかった僕も悪いんだけど、なんかこう危機意識的なものは無かったんだろうか。

「でも、なんでそんなとこに私連れてくの?」

 そういえばそれも言ってなかったな。僕はスマホで『Exhaustion』の動画を開くと、サラに見せた。

「この路上ライブをやってる駅前、これがどこの駅なのか分かったんだ。それが高座渋谷って所。一回行ってみたくて、それで……」

「えーすごい! 何で分かったの? 画質も悪いし全然見えないのに」

 サラはキラキラした目でこっちを見てくる。僕はちょっとだけ、得意な気分になった。

「これがヒントだったよ」僕は次にリュックからクリアファイルを取り出した。『Exhaustion』のCDに同梱されていたブックレットの写真が十枚、コピー用紙に並んでいる。

「ここに写ってる中で、図書館とアイスクリーム店のモデルを特定できたんだ。その二つが駅の近くに位置してたから、もしかしてと思って画像を調べてみたら、やっぱり合ってた」

 もしかしたらLastChildはまだその場所でライブを続けているかもしれない。そのような淡い希望を抱いて、この遠出にサラを誘ったという意図もあった。

「へぇ~なんか名探偵みたいだね!」

 誉めてるのか馬鹿にしてるのか、おそらく彼女にとっては前者なんだろう。

「実はそれともう一つあって」

 僕はもう一度『Exhaustion』の動画を開いた。概要欄に記載されている登録日は、二〇〇八年の十二月一日。

「この動画が投稿されてから、今日でちょうど十年なんだ」

 僕たちを乗せた電車は、まず新宿方面へと進路を向けた。



「タクトってさぁ」

 サラがおもむろに口を開いた。

「クラスの集まりとかあんまり参加しないよね。なんか部活とかしてるの?」

 うっ、痛いところを突かれた。

「いや、特にはしてないけど……」

「いっつも帰るときもみんなと一緒じゃないよね。あんまり仲良くないの?」

 いや、仲が悪いわけではない。もっとタチが悪い、のだ。好きの反対は無関心と言う通り、クラスのほとんどの人間と何の関係も築いたことがない。入学してから八ヶ月ほど、顔見知りを作る機会ぐらいはかなりの数あっただろうが、気が付けばいつも一人でお弁当を食べる毎日を過ごしていた。

 僕だって中学の時はそこそこ上手くやっていたはずだ。性格ももう少し素直だったと思う。だが新しい環境に放り込まれた途端、急に人付き合いに対する自信を無くしてしまったのだ。

「そうだ! 今度二組で忘年会しようって話してるんだけど、タクトも行こうよ!」

 サラの無邪気な瞳に射止められ、たじろいでしまう。

「い、いやぁ……どうしようかな……」

「暇なんだったら行こ! そこで友達作ろうよ! それともなんか忙しいの?」

「まぁ忙しいというか、なんというか……」

「そう言えば休みの日とか何してるの? こう見えて意外とアウトドア派だったり?」

 休みの日……か。僕は上着の上からUSBメモリに触れる。

「別に……何もしてない、かな」

「なら決まりね! 焼肉かイタリアン、どっちがいい? 今クラスで投票してるんだけど」


 そんなことをダラダラ話している内に、電車は高座渋谷の駅に滑り込んだ。

 近くのファミレスで昼食を取り、駅前のロータリーに出た頃にはお昼を少し回った頃になっていた。

 辺りを見回して僕はすぐに見つけた、あそこだ。再開発が行われたのか周囲の印象は少し変わってしまっているが、カメラのフレームに映り込んでいたコンビニと駐輪場は全く同じだ。僕が見つけたのとほぼ同時に、サラが声を上げた。

「あ! ここじゃない! すごいよタクト、ホントにあった!」

 全く無名の歌手の聖地巡礼に、これだけはしゃげるのも才能じゃないのかな。一時間半掛けてわざわざ来る僕も僕なんだけどさ。

「でも、ライブはやってないね」サラはスマホを構えて、同じ構図で写真を撮っている。

「うん……」

 土曜日なら時間帯関係なく路上ライブをやっていると踏んでいたのだが、その目論見は外れたようだ。

 もしかしたらもうLastChildは音楽活動を辞めてしまったのもしれない。あれだけ鳴かず飛ばずの様子なら無理もないか。しかし、そう考えると無性に切ない思いがこみ上げてくる。会ったこともない人間に、もう会えないという寂しさを抱くのもおかしな話だ。しかしそれほどまでに、僕の中で彼の存在は大きなものとなっていた。

「もう辞めちゃったのかな……」

 サラも僕と同じことを考えていたようだ。

 でも世の中なんて所詮そんなものなんだろうな。吹き抜ける木枯らしにさらされながら、そんなことをふと考える。望んだことの大半は叶わずに終わるし、手に入るかと思えば、その直前で灰燼かいじんに帰す。僕自身、そんな経験は初めてじゃないからよく分かるんだ。今日に関しては、そもそも会えるという期待はほとんど無かったんだけど。

 だが、彼女の考えは違うかったらしい。

「ねえねえ、ちょっとあそこで聞いてみようよ! おじさんだったら十年前のことも知ってるんじゃない?」

 サラが指さしたのは駅前の交番。中では恰幅の良い中年の警察官が暇そうにお茶を啜っている。

「え……そんなことに警察使うの……」

「人探しなんだからいいんじゃない? ほら行くよ!」

 言うが早いか、一人でずんずん歩いて行く。僕は慌てて後を追いかけた。

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